白鳥は水面下で慌ただしく
お待たせしました。再開します。
「博打で全財産をスッちまった時が運の尽きとは思っとったが……おい! その小僧も連れて行くんだろが! 儂の前で気色の悪いモンを見せとらんで、行くんならさっさと行くぞ!」
『No way! (冗談じゃない!)』
後頭部をハンマーで殴られたら反射的に飛び出した、とでも言うように、不愉快な気持ちを隠すことなく吐き出した。
脊髄反射の如く飛び出した言語はコールマンの母国語である。言語を異にする相手には当然理解されるはずもない。だが言語の壁を超え、強く拒絶する意志が先行しているのが伝わる程度には強烈な語気だった。
(そうだ、冗談じゃない。何を血迷ったら突然あんなことをして来る奴に、脳天気にも同行しようなんて思える?)
これまで見てきた中でもトップランクの美貌の持ち主とはいえ同性なのだ。その手の人間に偏見はないが、コールマンに同性愛の気など皆無である。唐突に接吻してくるような輩は純粋に、生理的に嫌悪感を抱かずにはおれないほど気持ち悪いのだ。
はっきり言って、コールマンのアレクシスへの印象は最低最悪であった。部屋を不意に横切る黒いアレに近いほど嫌悪に値すると断ぜられる。そんなコールマンの様子に、とうのアレクシスは面白そうに目を瞬いていた。
「ノーウェー? 聞いた事のない響きの言葉だ。地方に独特の方言……にしては聞いた事がない……まさか精霊言語か? いいや、それも違う。精霊言語なら言霊に魔力が籠もるもの。この私にキスされて気が動転し呂律が回らなかったというふうでもない。興味深いな。コールマン……いやアルトリウス。親しみを込めてアーサーと呼んでも? 代わりに私の事はアリクスでいい」
『……ふざけるのも大概にしたらどうなんだ。あんな悍ましい事をされたというのに、私が君に愛称で呼ぶのを許すとでも思っているのか?』
告げられた愛称の意味に、頭に血を昇らせていたコールマンは気づけない。飄々とアレクシスは肩を竦める。
「おっと、嫌われたか……」
『むしろどこに好かれる要素があるという。はっきり言おうか? 私は君と組むのは絶対に御免だ。金輪際、顔も見たくない。君達としてもお荷物を抱えるよりはいいんじゃあないか? そういうわけだからトリオの結成は無しだ。私の方から受付に言っておくから、君はエイリークと二人で小銭稼ぎでもするといいさ。私は別の人と組ませてもらう』
「それは困った。うーん、何がいけなかったんだ……?」
本気で分からないのか、首を傾げて残念がるアレクシスの神経を疑う。
コールマンとしては、命懸けでやらされているダンジョン探索を『小銭稼ぎ』などと称したアレクシスとエイリークには、最初から好意的な気持ちはない。更に初対面で、その上で同性に接吻されてどうやったら好意を持てるというのか。
憤懣遣る方なく肩を怒らせ受付に向かうコールマンを見送り、エイリークが若干の苛立ちを込めてアレクシスに文句を言った。
「おう、お嬢ちゃん。貴様の事情は知らんが、儂はやっとこさ抽選と実技試験を通った所でなぁ……ドワーフの命の洗濯、火酒も控えて節制に節制を重ねた、辛ぁい生活から抜け出すため待ちに待っていた機会だっちゅうのに……それにのっけからケチつけてくれるとはやらかしてくれるではないか。ええ? どう責任を取ってくれる。儂ら闘技場付きでないモンは、三人組でもなけりゃあダンジョンに潜れんってのに……足手まといでも最悪肉壁にはなったろ、あの小僧も」
エイリークの苦言に、アレクシスは肩を竦める。反省の色はない。迷惑を掛けた事に申し訳なく思う素振りもなく、人間離れして美しい少年は、コールマンを平然と捨て石にする事も視野に入れていた翁に言った。
「それはすまない。だが私としても金は不可欠だ。このままではホテルへのチェックインもできず、国へ帰るための路銀すらも融通できない。斡旋されたパーティーに欠員が出たら私がなんとかしよう。しかしまあ、私の考えが正しいならコールマンは私達と来る事になる。少しだけ待ってみようじゃないか」
「あぁ? あの小僧が儂らと共に来る……?」
有り得ん、とエイリークは吐き捨てた。それはどうかなと微笑みを湛えるアレクシスには、なんらかの確信があるようだった。
二人は受付の男に詰め寄るコールマンの背中を見遣る。本当に組むのかと半信半疑なエイリークを横に、アレクシスは自信満々に腕を組んで事の推移を見守る姿勢である。
コールマンが語気荒く言い募り、受付はなんとも形容し難い眼でアレクシスを見た。そして仕方ないとでも言うように頷きコールマンに通告する。
「え? あれ……? お、おーい……」
コールマンは受付に何を言われたのか、アレクシス達の方へ振り返ると鼻頭に皺を寄せて唾でも吐き捨てそうな顔をしたかと思うと、清々したと鼻を鳴らして歩き去っていく。彼の進行方向はどう見てもアレクシス達の方ではない。登録者居住区であった。
白亜の壁が左右上下に割れ、フロントから居住区の通路に姿を消したコールマンに、アレクシスは少し慌てた。予想に反した結末である。呆気に取られてしまうアレクシスに、エイリークは憎たらしげに喉を鳴らした。
「……おい、どう見てもあの小僧、こっちにゃ来とらんぞ」
「おかしい……こんなはずは……というよりなんであんなに怒っている? この私にキスをされたんだ、光栄に思うべきじゃないか?」
「……あのな。儂は敢えて貴様に合わせて知らんぷりしてやっとるし、じゃからこんな無礼な態度を取っとるが……貴様の事を知らんなら怒っても無理ないぞ。今のお嬢ちゃん相手じゃな」
「は? こんなバレバレな偽名と顔で、私に気づかないわけが……」
愕然とするアレクシスに、エイリークは深く深い溜息を吐くしかない。
アレクシス自身が有名人であるが故の驕りである。知らない奴は知らない、その自覚を持つべきだ。
尤もアレクシスの場合は自意識過剰とも言えないだろう。少なくとも王国と帝国間で知らない人間がいる事の方が驚くに値する。コールマンが気づかなかったのなら、それこそ――
「――あの小僧はよほどの田舎者だった、それだけのこったろう」
「……ああ、そういえば今の私は男だったな」
今更思い出したように「だからこの私にキスをされたのに怒ったのか」と納得する。
しかしエイリークは思うのだ。喩えどんな別嬪が相手でも、怒る奴は怒るだろうに、と。
しかし――アレクシスは解せないといった表情を崩さない。
(ユーヴァンリッヒ伯爵は何をしている? 異質特性持ちを野放しにしているんだ、マリアを付けていたという事は粗方のアプローチで彼の特性を再現可能か検証し、不可能だと判断したはずだろう。既存の技術でのアプローチが駄目だったなら、残された手段は一つ。異質特性の再現が不能なら、それが遺伝するかを試す。私の入国、入領に気づかない伯爵ではない。当然私の存在に気づいている。そして私は母体として申し分ない器だ。私ならその役割を負うのを厭わない、だから引き会わせたのではないのか?)
いずれにしろ不可解なのは確かだ。顔合わせだけで済ませる意図が掴めない。
アレクシス・ヴィッテンバッハ――帝国軍航空騎士大尉アレクシア・アナスタシア・アールナネスタは、【変身】の魔術で肉体を男のそれへと替え、変装の代わりとしていたのが裏目に出たことを認めつつも、切れ者である伯爵の意図を理解できずに困惑する。
帝国のアールナネスタ大公爵家。軍部を統括する皇族にして、その長女であるアレクシアは、国風にあるように一族の代表として前線に出る役割を負っている。嫡男である弟がいる以上、アレクシアは戦死しても構わず、そうでなくても貴族としての役割として優れた子を生む道具になる運命があった。
そしてそれは王国も同じ。ことユーヴァンリッヒ伯爵に限って言えば、王国と帝国も関係なく、人類の利となることなら実行を躊躇わず、故にコールマンの種を優れた母体に宿らせることを目論んだのだと思ったのだが。
(違うのか? なら私と面識を持たせて何がしたい)
分からない。筋が通らない。アレクシアは首を捻る。分からないなら様子を見るしかないだろう。そう思い――
(……ああ、そういうことか)
――ふと閃くものがあって納得する。
アレクシアは自身の脳に蓄積されていた情報の点と点を結び合わせ、一つの線ができたのを感じる。
魔族から取り戻した土地を除染するべく、入植していた人々を切り捨てたこと。己がこの発掘闘技都市を訪れた際に見たもの。わざわざこの時期に、原隊から休暇といって離れさせた帝国上層部と、発掘闘技都市へ向かうように匂わせてきた男を思い返して、アレクシアはなるほどと頷いた。彼らの思惑を理解したのだ。
であれば、帰国は今暫くは見送ろう。帝国と王国、伯爵が何を警戒しているのかを把握したから。自分だけでなくマリアまで帰郷している事実が裏付けとなっている。
(今後コールマンは暫く探索には出ないか。これは大仕事――というより、これは嵐の前の静けさだな。……なら私の財布を盗ったのはキュクレインか? 相変わらず芸達者な奴……いつの間にスったのやら……)
「おい。結局あの小僧は来んかったわけだ」
「ん?」
「貴様がなんとかするんじゃったろが。なんとかせぇ。儂ゃ梃子でも帰らんぞ」
「ああ……」
エイリークの不満げな様子にアレクシアは頷いた。コールマンを帰らせた以上、伯爵は最初から代わりを用意しているはずだ。なんの問題もない。
肩を竦めて単身受付に向かい、アレクシアは要請する。
「パーティーに欠員が出た。代わりを用意してくれるか?」
すると、スーツ姿の男はにこりと微笑み、打てば響く鐘のように応えた。
「はい。パーティーが欠けた場合、補充要員を用意しておくようにと命じられておりましたので、あらかじめピックアップしておりました」
「そうか。なら適当なのを頼む。誰でもいい」
「かしこまりました。ではこの少年を。――名前はディビット。コールマンと同郷の少年です」
受付の男はそう言って、アレクシアにその少年を紹介した。




