35.平民となった元婚約者の受難 2
ウィラードの領地生活の続きです。この話はこれで終わりです。
ウィラードが領地に来てから3日目となった。
「はぁ、はぁ…痛っ!?」
鍬を持つ両手に痛みが走り、ウィラードは軍手を外して手の平を確認した。指の付け根付近に豆が出来ていた。皮が剥けている箇所もある。
「っ…。」
「どうしました、ウィラード…あぁ、手の豆ですか。」
ウィラードの傍に来た領地の男、ダンはウィラードの手を確認すると、なんて事はないという反応を見せた。
「誰にでも豆は出来ます。痛みが気になるなら手袋を2重にしても良いですよ。」
「っ、こんなに痛いのにまだ続けなければならないのか!?」
ウィラードは手が元に戻るまでは働きたくなかった。
「痛みは数日で慣れますよ。」
「…!」
ダンは手袋を外し、自身の両手をウィラードに見せた。ゴツゴツとしっかりした手の平には、豆が幾つかあった。
「治ってから仕事をしてもどうせ豆は出来ます。仕事を続けて慣れる方が今後の自分の為ですよ。」
「っ…。」
今まで傷一つなかった綺麗なウィラードの手に豆が出来て皮がめくれた。野暮ったい作業着と帽子を身に纏い、鍬を振り下ろし続けた結果だ。
貴族であっても騎士を志して手が荒れたり怪我をした者をウィラードは見た事があった。けれど騎士は単純に格好良い印象を与え、所属先にもよるが煌びやかさも感じられた。剣を振り下ろし続けたせいで豆が出来たのなら、ウィラードのショックもまだ小さかったかもしれない…。
「…僕は休む。」
「…そうですか。」
ウィラードは痛む箇所に当たらないように鍬を指先で摘むように両手で持つと、畑から離れた。ダンはウィラードを引き留めずに作業を再開し始めた。ウィラードは鍬を置き、帽子を外し、作業着を脱ぎ、寝泊まりする小屋に移動し始めた。
「…。」
「…。」
小屋に向かって進むウィラードを、ダンではない別の領地の住人の男が後をつけてくる。ウィラードがアレン・ホワイト男爵の意に沿わぬ事をしないように見張る為なのだろう。この男だけでなく、この領地で暮らす人々は何時もウィラードの事を監視している様子を見せた。
――ガンッ!
「…くそっ!!」
小屋に入ると、ウィラードは壁に八つ当たりをするかのように蹴りを入れた。
ベタベタ気持ち悪い汗を毎日かかされ、美味しくない質素な料理ばかり食べさせられる。そして今日、手に豆を作り痛めてしまった。領地の生活は、貴族として生きてきたウィラードにとって最悪な環境だと感じる。こんな生活がずっと続くだなんて信じたくない…。
「ちっ、僕とラリーをずっと会わせないつもりなのか…?」
領地に到着してからウィラードはラリーと会えないどころか1度も姿を見ていない。ラリーは体調が悪化しているという事になっている為、部屋で大人しく過ごしているのだろう。
「巫山戯るなよ…!」
ベッドでずっと寝たきりになっているとは思えない。部屋で何か仕事をしているかもしれない。しかし、室内で過ごせるだけでもウィラードにとっては羨ましくて仕方が無かった。
不満しかない生活を強要されて、更にラリーに嫌味を言う事が出来ず、罪悪感を持たせて謝罪させる事も出来ない。何一つ思い通りにならないこの状況が、ウィラードを苦しめる。
「絶対に赦さないぞ…お前が俺より楽をするなんてあり得ない。」
領地での生活の不満をラリーへの憎しみに変え、両手の痛みを気にしながらラリーに接触する方法を考え続けたが何も浮かばなかった。
――ぐぎゅるる…。
ウィラードの腹が鳴り、空腹を訴える。1時間くらい経てば昼食の時間だ。しかしウィラードはダンの妻が用意する食事の味に満足出来ない。
シアン子爵家に居た頃は当たり前のように食べていた柔らかいパン、濃厚なコクと味わいを感じるスープ、分厚くても味が染み込んでいたステーキ。その他にも食してきた数々の品を思い返す。
「っ…。」
シアン子爵家に戻りたい。そう言いそうになった自分が情けなくて口を噤む。シアン子爵家を、父親のドラートと母親のルリーナを見限ったのは間違いなんかじゃない。シアン子爵家に縛られ、利用される人生から抜け出せたのだ。
それにウィラードにもう親ではないと言われた時の2人の表情は見ものだった。あの爽快感はシアン子爵令息のままだったなら味わえなかった筈だ
「僕は間違ってない…これから幸せになるんだ。」
いつかきっと、ウィラードが報われる日が来る。そう自分に言い聞かせた…。
◇◆◇
「……何でだよ。」
ウィラードはダンの言葉を無視して豆が治るまで働かない事にした。若さ故か、その3日後には綺麗に治った。これで仕事が出来ると思い再び鍬を手にすると、その日の夜に再び豆が出来ていた。まだ皮は剥けておらず、厚みも薄いがこのまま続ければ以前と同じようになるだろう。
ダンの言うように再び豆が出来てしまった。領地での仕事を続ける限り、ウィラードの手が綺麗になる事は無いのだろうかと不安に包まれる…。
「…手が痛い、仕事は暫く止めさせて貰う。」
「そうですか…。」
翌日の朝、ウィラードがダンにそう言うとダンは反対しなかった。
「ただ、前にも言いましたが豆はまた出来ます。この仕事をしている者達の中に手が綺麗な者はおりません。」
「っ、だ、だったら僕には種植えとか水やりとか、豆が出来るような作業以外をやらせてくれ!」
手に豆さえ出来なければまだ妥協出来る。そう思ったウィラードは提案した。
「…それはつまり、自分が嫌だと思った事はやらずに好きな事だけしてお金が欲しいと言う事ですか?」
ウィラードの提案にダンは冷たい視線を送った。
「そんな事が許させる筈が無いでしょう。この領地での我々の仕事は農地を耕し、種を植え、作物が駄目にならないように管理しながら水やりをし、収穫をした後売り捌く。それが仕事です。」
「…だ、だが手に負担が1番かかるのは耕す作業だろう? それだけを免除してくれるくらい良いじゃないかっ?!」
ウィラードが辞めたいのは鍬を使用した耕す作業だけだ。それくらいの願いを聞いてくれても良いだろうと不満に思った。
「耕す作業は1番力が必要になります。若い男こそ率先してやるべき仕事ですよ。それを手に豆が出来るから辞めたいだなんて…情けない。」
「っ…、おい、今なんて言った?」
情けないというダンの言葉に、ウィラードは眉を顰める。
「…種植えは屈まなければならないので腰を痛めやすいです。水やりは作物の種類によって水の量を調節しなければならないので知識が必要になります。大雨が降れば雨避けを被せる必要があります。害虫からも作物を守らなければなりません。収穫する際には作物を傷付けないように気をつけながらも、新鮮さを保つ為に迅速に回収しなければなりません。」
「っ…。」
睨みつけるウィラードから目を背けずに、ダンは真剣な表情で農地の作業について語る。話を聞いているだけでも、その大変さは何となくウィラードに伝わってしまう。
「手の豆が出来なければどんな仕事でも必ずやり遂げる、と言うのであれば検討の余地はあります。ですがウィラードのような考えを持つ者は、他の作業の大変さにも耐えきれずに他の作業も辞めたいと言い出す事が多いのです。それによるトラブルも何度かありました。ですので免除を望むくらいなら仕事を辞める事をお勧めします。」
「なっ…!」
ウィラードとダンは1週間ほどの付き合いしかない。それにウィラードはまだ全ての作業を経験していない。それなのに勝手な憶測でウィラードが他の作業も拒否すると予想された事に心底腹が立った。
「勿論、一時的に身体の調子が悪くなったり都合が悪くなった場合は一定の期間だけ免除する事はありますよ。ですが、その後は全員同じ作業をやります。それがこの領地の農地作業の仕事です。」
「…分かった、良いだろう。こんな仕事は辞める。だから農地以外の仕事を紹介しろ!」
ウィラードはダンの言動を腹立たしく思いながらも、農地作業はもうやりたくないという思いもあった。文句を言いたい気持ちを押し込めて、別の仕事がしたいと言った。
「男爵様からウィラードに紹介しろと言われていた仕事はこの農地作業だけです。他の仕事を希望されるなら、男爵様に確認を取らなくてはなりません。」
「…。」
すぐに紹介されなくても構わない。次の仕事が与えられるまでウィラードは好きに過ごすだけだ。ウィラードは無言で了承すると、ダンも察した様子で頷いた。
「…分かりました。ですが男爵様が他の仕事を紹介する事に同意されたとしても、何の経験も資格もないウィラードにはこの農地作業以上に報酬が貰える仕事はありません。それだけは知っておいて下さいね。」
「っ…。」
ウィラードは忌々しげにダンを睨みつけると、荒っぽい動作で鍬を放り出して背を向けた。
「くそっ…ちくしょう…!」
小屋に戻ったウィラードは悔しそうに声を漏らす。ダンの事が腹立たしくて気に食わない。けれど今のウィラードには何も出来ない。ウィラードが貴族のままだったならあんな口の聞き方をしなかっただろうに。
「…はぁ、疲れたな。」
ウィラードの中の苛立ちは収まらないのに疲労感が勝る。ウィラードはそのまま眠気に抗う事なく眠りにつく事にした。
――コンッ、コンッ
「ウィラード、聞こえてますか?」
「っ…?」
扉のノックオンとドア越しで籠って聞こえてくるダンの声に、ウィラードは目を覚ました。ウィラードは気怠そうに起き上がるとドアを開けた。ダンは無表情で立っていた。
「…なんだ。」
「もう夕飯の時間ですよ。」
ダンの背後に広がる景色は日がとっくに沈み、薄暗くなっていた。夕飯の時間になっても来ないウィラードを呼びに来たのだろう。
「…要らない、結構だ。」
ウィラードはダンの顔を見た途端、寝る前の苛立ちが蘇り睨見つけた。眠っていたからか、それとも苛立ちの影響か空腹を感じなかった。夕食を抜かしても平気そうだったので断ってやった。無表情だったダンの顔が僅かだが驚いた様子を見せる。
「どうしたんですか? 今まで食事を抜いた事なんて無いじゃないですか。」
「食欲がないだけだ。」
最初の頃に比べると舌が慣れてきたようで、美味しいと感じる事も増えてきた。美味しいと感じられる事はウィラードにとって良い事だと思いつつも、ダンの妻の食事を美味しいと感じる事に屈辱を感じ、美味しいと言った事は1度もない。
「…意地を張らずに食事は食べた方が良いですよ。」
ダンはウィラードが当てつけで嘘をついていると思ったらしく、食事を摂るように催促してきた。
「五月蝿いな、食べる事は義務じゃないだろう…あぁ、そうだ! 僕が農地作業以外の仕事が出来るようになったら、貴方じゃない人に僕の監視をするように男爵にお願いして貰えませんか? 食事係も奥さんじゃない人にして下さいよ。」
「っ、何ですって?」
ウィラードの提案を聞いて、ダンはウィラードを不機嫌そうに睨みつけてきた。ダンを拒否された事よりも、ダンの妻の料理を嫌がった事に関して気に触った様子だ。
「貴方も奥さんもホワイト男爵の命令で動いているだけであって僕がお願いした訳ではない。僕に文句を言われたからって拗ねないで下さいよ?」
「っ…。」
ダンの表情を歪ませられた事に満足したウィラードが嘲笑うと、ダンは何も言わずに背を向けて、乱暴な足取りで帰って行った。
「…ははっ、やっと言い返してやったぞ。」
ウィラードはダンへの苛立ちが少し解消されて笑みが浮かんだ。
「さて、もう一眠りするか。」
今日は良い夢が見られるかもしれない。気分が良いままウィラードは再び眠りについたのであった。
前回の【桑】の間違え、大変失礼致しました。【鍬】ですね、気を付けます。
【平民となった元婚約者の受難】はこれで終わりです。リンカの出番が全然ない…もうこの小説の主人公はウィラードなのかもしれません、正直マズいです。ヒロインが幸せになる事も大切ですが、クズが落ちぶれる姿の方が見たいと思う作者なのでこんな事になっているのかもしれません。何処かでリンカを出したいのですが、暫くはウィラードかラリーの話が続きそうです。ごめんなさい。
ここまで読んで頂き有難うございました! 誤字脱字が多くてすみません。報告して下さる皆様に感謝しかありません。 もし宜しければ下の【☆☆☆☆☆】を押して評価して頂けると嬉しいです、励みになります!




