29.元婚約者の歪み
ウィラードの独り言が多い回です
「初めまして、リンカ・ノアールと申します。」
政略結婚の為にノアール子爵家の令嬢と婚約者になれと言われた時、貴族では珍しく無いとはいえ、外見も性格も分からない相手との婚約を勝手に決められた事にウィラードは不満しか無かった。
だがリンカを一目見た時、整った顔立ちと無駄のない所作で挨拶をする姿に綺麗だ、とウィラードは見惚れてしまった。ウィラードが良く知る令嬢というのは幼馴染のラリー・ホワイト男爵令嬢しか居なかった。ラリーの容姿が可愛いなら、リンカは美人だと思った。
「僕はウィラード・シアンだ。よろしく、リンカ。」
そんなリンカがウィラードの婚約者となり妻となる。悪くないな、とウィラードは笑みを浮かべたのだった。
◆◇◆
「…っ!」
ふと気が付くと、ウィラードは自室のベッドで仰向けになっていた。窓の外は真っ暗で深夜のようだ。ウィラードの両親であるドラートとルリーナに文句を言い、部屋に籠ると言った後に眠ってしまっていたらしい。夕飯は食べていないが、お腹は全く空かない。
「夢か…。」
リンカと初めて会った、懐かしい夢を見た。婚約破棄が決まった直後にこんな夢を見るだなんてとても気分が悪いとウィラードは苦い顔をする。
リンカは綺麗で優しいとウィラードは最初は思っていた。けれどそうではなかった。リンカはウィラードの事を愛した事などないと言い、ウィラードがどれだけ傷付いているのかも考えずに言いたい事を遠慮なく言える冷めた性格の持ち主だった。
『そして私は、今まで貴方が私を蔑ろにして自分と幼馴染を優先してきたように、私も貴方を蔑ろにして他の人を優先していきます。』
「っ…。」
リンカに言われた言葉を、覚えていたくないのに鮮明に記憶してしまっている。ウィラードがラリーに騙されて、ラリーを優先し続けてしまった事は悪かったと思っている。けれどそれにしたって酷すぎるではないか、とも思うのだ。何もかもウィラードが悪いと言って、好き放題言ってきたリンカへの怒りが湧いてくる。
『何度も言いますが、ウィラードは婚約者の私を尊重した事なんて一度も無かったです。他の人に対してはどうだったのかは分かりませんが、私から見た貴方は自分さえ良ければそれで良いという振る舞いが目立ちました。』
『私と貴方の今後の予定は無しになりました。』
「…言いたい事を言えて満足か、それなら僕も言わせて貰うよ。」
またリンカに言われた言葉が頭に蘇る。リンカは目の前に居ないのに、ウィラードはリンカが目の前にいるかのように声を出す。
「リンカ、君は僕を愛していなかったと言ったけれど、それは僕も同じなんだって気が付いたよ。僕は君を愛した事なんてない!」
リンカに自分を愛しているか聞かれた時には愛していると答えたし、リンカからの愛を求めた。でもそれは、リンカがウィラードの婚約者だったからであってリンカという人間を愛し、望んだ訳ではない。帰りの馬車の中でその事に改めて気が付いたのだった。
愛し、愛されるのが理想の夫婦の関係だ。ウィラードはそれを求めて彼なりに努力した。しかしラリーに騙されたウィラードを見限り、リンカはウィラードを愛そうとしなかった。ウィラードの想いと努力をリンカは無碍にしたのだ。
「君と婚約破棄出来て清々するよ!」
優しさは欠片もなく、無愛想で冷たい女と結婚したところで幸せになんてなれる筈もない。リンカはまた、政略結婚の為に新たな婚約者を充てがわれるのだろうが政略結婚に愛など不要、だなんて考えるリンカが誰かを愛し、愛される訳がない。
「ははっ、愛する喜びも愛させる幸せも知らないまま、打算に満ちた貴族社会で死んでいけば良い。」
リンカの傍にまともな男が来る筈もない、愛が育まれる筈もない。ウィラードと婚約破棄するのではなかったと後悔してくれれば良い。そう願いながらウィラードは歪な笑みを浮かべながら吐き捨てた。
――コンコンッ
「っ!」
ウィラードの部屋の扉がノックされる音が聞こえる。ウィラードが扉に目を向けると、ウィラードの許可なく扉が勝手に開いた。
「…ウィラード。」
部屋に入ってきたのは母親のルリーナだった。ルリーナの姿を見た瞬間、リンカへの怒りは頭の片隅に追いやられて両親への怒りが充満していった。
自分達の勝手で愛していない女との婚約を決め、いきなりラリーの付き合い方に口を挟み、ウィラードの計画をバラして裏切り、シアン子爵家から追放する事を決めた、ウィラードを振り回す最低な人達。父であるドラートの判断が殆どであるが、ウィラードの中ではルリーナも同罪だ。
「何の用ですか?」
ウィラードがルリーナを睨み付けながらも要件を聞くと、ルリーナは悲しそうな顔をした。
「貴方がこんな事になってしまったのはドラートと、私のせいでもある。それは、本当にごめんなさい。」
「…。」
ウィラードに謝罪をせずに睨んでばかりのドラートよりはマシだが、そんな言葉で心動かされるほど単純ではない、とウィラードはルリーナを睨み続ける。
「私達に思う事はあるのでしょうけど、私は貴方の事がとても心配なの。平民となった貴方がちゃんと生活していけるのか心配なのよ。」
「…。」
ウィラードをシアン子爵家の領地に住まわせたい、という話をしたい事は分かった。ルリーナはウィラードの機嫌を損ねないように意識してか、笑みを浮かべている。
「だからウィラード、ラリーちゃんの傍を離れても良くなったら此方の領地に来なさい。そうすれば安全だから、ね?」
「母上、僕が領地に来たら働かなくても良いのですか?」
ウィラードの質問にルリーナの笑みは固まった。
「領地で用意された僕の家で、一生世話をして下さるのですか? 僕を追い詰めた償いとして…。」
「な、何を言っているの?」
戸惑うルリーナにウィラードは嘲笑いの笑みを浮かべた。
「シアン子爵家の領地に行けば、一生楽して過ごせる。それなら考えますよ。でも働かせるつもりなら、行きたくありません。」
「なっ…!」
ルリーナはウィラードの主張を身勝手なモノと思ったのかもしれない。けれどウィラードからしたら身勝手なのはルリーナの方だ。
「言った筈です。僕はもう、貴方達に振り回される義理はない、と。」
シアン子爵家の領地に行けばシアン子爵家及び、ドラートとルリーナの為にまたウィラードは振り回される。今のウィラードにはそうとしか思えない。
「どうせ親子としての縁は無くなるのですから、もうどうでも良いではありませんか。」
「ば、馬鹿な事を言わないで頂戴!」
必死にウィラードを説得しようとするルリーナに、ウィラードは態とらしく笑みを浮かべた。
「感情よりも利益を優先するのが貴族、ですよね?」
「っ…。」
「僕はそんな貴族から、シアン子爵家から解放されるんです。邪魔しないで下さい、シアン子爵夫人。」
母上と呼ばず、あえて夫人呼びをするとルリーナはショックを受けた様子で呆然とする。ウィラードはそんなルリーナの様子に思い知らせてやった、という達成感を味わう。
「…っ!」
ルリーナはそのまま背を向けてウィラードの部屋を出て行く。もうウィラードを自分の思い通りに説得しようとは思わないだろう。
「…ぷっ、ははっ!」
気分が良くて笑ってしまう。憎い相手に一泡吹かせてやるのは悪くない。
「…そうだ、ラリーにも思い知らせてやろう。」
ウィラードは思いつく。ウィラードはこれからラリーとホワイト男爵家の領地で過ごす事になる。つまりラリーを苦しませられる機会は沢山あるという事だ。
「あぁ、早くホワイト男爵家の領地に行きたいなぁ…。」
ルリーナのように、いやそれ以上にラリーをウィラードの言葉で苦しませてやりたい。ノアール子爵達を交えた話し合いでもウィラードはラリーに文句を言ったが、自分の事で精一杯でラリーがショックを受ける姿を楽しむ余裕が無かった。
「…僕は悪くない。全てはラリーの自業自得だ。」
自分が貴族では無くなる日を心の底から待ち遠しく思いながら、ウィラードは楽しそうに笑みを浮かべるのであった。
ウィラードが色々と歪みました。彼は何処に向かっていくのでしょうか…。読者様の中で予想された方も多いでしょうが、ウィラードはリンカを愛してはおりませんでした。けれど良いな、とは思っておりました。共に過ごすうちに愛が芽生えるパターンはあり得ましたがウィラードの態度では無理だった、という事です。
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