第87話:【百翼】ハンドレッド・スウォーム(百機編隊)の咆哮
タクラマカン砂漠の夜明け。
手術を終えてから三日。キャラバンの居住区で休んでいたリディアが、信じられないほどの回復力でラボへと戻ってきた。
「……おはよう、エリー。……というか、何その顔。幽霊でも見たような顔しないでよ」
リディアはまだ少し青白い顔をしながらも、不敵な笑みを浮かべて私の前に立った。その右腕は、ピッコの手術と私のハンダ付けによって、以前よりも遥かに精密な駆動音を立てている。
「リディア! もう動いて大丈夫なの!? シルバー・エッジの後遺症は?」
「後遺症、ね。……ええ、最高の『バグ』を貰ったわ」
「バグ?」
彼女が自分のこめかみを指差すと、その瞳の奥で銀色の回路が微かに明滅した。
「そうなの。脳内に『カオス・バッファ』ができちゃったみたい。このゾーン内の不規則なノイズを、そのまま計算資源として処理できる特殊領域よ。……おかげで、今の私の脳はスパコン並みの並列処理が可能になってるわ」
それは、アリスの想定すら超えた「環境適応」の産物だった。リディアは自らの危機を、さらなる進化へと転換させてみせたのだ。
「エリー、手を貸して。私の『フェアリ・オプション』を100機まで増設するわ。魔法波を一切介さない、物理的な指向性電波だけで制御する……完全な科学の編隊を作るのよ」
「……100機!? 本気なの? 制御が焼き切れるわよ!」
「ふふん、今の私ならできる。……不完全な過去を、私たちの『物理』で上書きするんでしょ?」
「……。そこまで言うならやってやろうじゃない!!」
売り言葉に買い言葉。結局、私とリディアは、丸二日間、寝る間も惜しんでラボに籠もった。あ、当然、キャラバンは移動しているわよ。で、100機のドローンをハンダ付けし、指向性アンテナを調整し、リディアの脳内バッファとリンクさせた。
そして、その「力」を試す時はすぐに訪れた。
『実況ぉおお! 前方、砂塵の向こうに黒い影! 推定3000、ナノマシン・スカラベの超巨大群がアークの進路を塞いでいるのですよぉお!』
十女ボーンが愛用の重突撃ランスを叩きつけながら絶叫する。
『母様! マナ環境が最悪だよ! ブラスターの出力が減衰して、この数相手じゃ押し切られちゃうお!』
三女コルネがコンソールを叩きながら悲鳴を上げた。
「……スカラベ? それは何?」
近接戦闘の準備をしていた四女ルーテが首を傾げる。
「データベース照合中……。あ、ありましたわ。ええっと、旧文明の言葉で『フンコロガシ』という昆虫の一種だそうです」
九女ハープが冷静に検索結果を読み上げた、その瞬間だった。
「…………フン? ふん? 糞?」
ルーテの動きがピタリと止まる。
「……フン。つまり……排泄物、ですわね? それを転がして、大きくして……」
「待って。ということは、あの巨大な球体の中身はすべて……(ピー)なの!?」
ルーテの言葉に、ハープが顔面を蒼白にさせ、持っていたデバイスを落としそうになる。
『全姉妹に告げます。現在のマナ環境は極めて不安定。遠距離兵装の減衰率は70パーセントを超えました。ブラスターによる中距離戦も困難です。……近接戦闘班であるルーテ、ハープ、コルネ、ユーフィ、ボーン。……各員、物理接触による直接破壊を敢行してください』
モニター越しに、十一女オーボエが非情なまでの論理的決断を下した。
「ちょっとオーボエ、正気!? 前線で戦う私たちの身にもなってよ!」
ルーテが通信機に向かって発狂気味に叫ぶ。
「(ピー)を転がしてるんですよ!? そんな不潔極まりない塊を、私の剣で斬れと言うのですか!? 乙女の論理回路に対する重大なバイオハザードですわ!」
「そうですわ! 物理接触による精神的デバフが計り知れません! 嫌です、絶対に嫌ですわ! せっかく母様に磨いてもらった装甲が(ピー)まみれになるなんて、ハープ、断固拒否しますわぁああ!」
「もー、二人ともわがままだよぉ! 好き嫌いしちゃダメってお母様に教わらなかったの?」
三女コルネが、自らもブラスター持ちの近接型でありながら、安全な車内から通信越しにニヤニヤしながら追い打ちをかける。
「そうなんよ! 二人がサボったら、アークが(ピー)まみれになって、うちのデコパーツが全部臭くなるんよ! わがまま言わずに早く突撃して、その(ピー)玉を木っ端微塵にするんよ!」
五女ユーフィまでが調子に乗ってはやし立てる。
「あんたたちだって同じ近接戦闘型でしょ! ブラスターが出ないなら、コルネがバイクで(ピー)のど真ん中に突っ込みなさいよ!」
「ユーフィもよ! 高出力が出ないなら、ゼロ距離でその(ピー)玉にブラスター叩きつけてきなさい! 自分たちは後ろにいるヴィオラやクララみたいなスナイパー気取りなの!? ふざけないでよ!」
ルーテとハープが顔を真っ赤にして、姉妹喧嘩のボルテージは最高潮に達した。
「(ピー)を斬るか、アークが(ピー)に埋まるか……究極の選択ですわねぇ、お姉様方?」
十女ボーンまでがニヤついて参戦し、戦線が崩壊というよりは精神的な汚物パニックで空中分解しかけたその時だった。
「――どきなさい、子供たち。接触が嫌なら、触れさせずに消せばいいだけよ。ここからは『大人』の……いえ、科学のステージよ」
アークのハッチが開き、リディアがルーフに躍り出た。
「展開せよ! 『ハンドレッド・スウォーム(百機編隊)』!」
シュバババババッ! という凄まじい射出音と共に、100機の深紅のドローンが空を埋め尽くした。それらはリディアの意思に直結し、空中で幾何学的な万華鏡のような陣形を組む。
「もはや魔法じゃ遅いわ! これが、不完全でも私が見つけた答えよ!」
リディアが指を弾いた瞬間、100機のドローンから秒間数万発という物理弾道弾が放たれた。魔法の詠唱も、マナの集束も必要ない。ただひたすらに物理法則に従った質量攻撃。
――ズガガガガガガガガッ!!
数千のスカラベの群れが、悲鳴を上げる間もなく(ピー)の塊ごと「消滅」していく。ドローン同士がナノワイヤーで連結され、巨大な電磁網を形成して空中のモンスターを文字通り一網打尽にしていった。
「す、すごぉおおおい!!」
「リディアお姉ちゃん、最強なんよ! うちのブラスターよりずっと派手なんよ!」
「実況! 圧倒的、あまりにも圧倒的なのです! これが科学の暴力なのですよぉお!」
三馬鹿……もとい、コルネ、ユーフィ、ボーンの三人が、跳ねるように拍手喝采を送る。
「……驚異的な並列処理能力ですわ。チェロ姉さま、テューバ姉さま。このドローン編隊をアークの防衛システムと完全に同期させれば、我々の生存率は400パーセント向上できる!!」
「ええ。戦略的価値は計り知れません。私の演算リソースを一部割いてでも維持すべきですね」
十一女オーボエが、防衛担当の二人を巻き込んで真剣な表情で議論を始めている。チェロも冷静に、しかし期待に満ちた瞳で戦場を分析していた。テューバはただただ首を縦に振って頷いている。
「やったわね、リディア!」
私はルーフへ駆け上がり、煤だらけのリディアと力いっぱいのハイタッチを交わした。
「……ふふ。あんたに追い越されないように、必死なのよ、こっちは」
リディアは額の汗を拭い、最高の笑顔を見せた。
「……あ、危なかったです。一時はどうなることかと」
ハープが胸をなでおろし、ルーテも「接触を回避できたのは幸いです。……物理学万歳ですわ」と、心底ホッとしたように呟いた。
その様子を、少し離れた場所で武器を収めていたヴォルフが眺めていた。
「……やっぱり、あんな女、他にいないよな」
彼がポツリと、誰に聞かせるでもなく呟いた。
『――緊急報告ですぅ! ヴォルフ様の独り言、バッチリ拾いましたわ! てぇてぇ最大値を更新! ログが「尊み」で埋め尽くされていますわよ!』
『おおおおお!!!』
七女クララが通信回線にその音声を全出力で流す。騒がしいまでのマナネットワーク(MN)上での狂喜乱舞が駄々洩れになる。
「な、ななっ!? おい、お前ら、消せ! 今すぐデリートしろ!」
ヴォルフが真っ赤になってスパナを振り回し、ボーンたちから逃げ回る。その賑やかすぎる光景を、リュウガが静かに見守っていた。
「アリスの想定した『適応』は、システムへの同化だった。……だが、お前たちはシステムそのものを自分たちの力で書き換え始めているな。……非常に興味深い」
魔法という奇跡を超え、人間自身の力による「環境への勝利」。
アークのキャラバンは、100機の護衛を従え、もはや誰にも止められない速度で西へと突き進む。
『ファーファ、全データのバックアップ完了だお! 「死を越えた緋色の蜂は、100の翼を羽ばたかせて神話の空を蹂躙する!」 ……最高に盛り上がってきたおー!』




