第84話:【嫉妬】不純物だらけの正妻
バイコヌール宇宙港の遺構で可能な限りの補給を終えた私たちは、再び灰色の荒野へと躍り出た。
キャラバンの中心となっているラボ『アーク』の車内では、昨夜の「星空の語らい」の余韻……なんてものは微塵もなく、私は朝から猛烈に機嫌が悪かった。
「――やはりアリスの計算は完璧だ。このバイコヌールから西へ続く管理用通路のログを解析したが、勾配、地盤強度、マナの安定性、すべてが最適化されている。アリスの導き通りに進めば、予定より3日は早く目的地に到達できるだろう」
助手席で、リュウガがうっとりとした(ように私には見える)横顔でホログラムを見つめている。
アリス、アリス、アリス……。
起きてから何度その名前を聞いただろうか。伝説の人形師に対して呼び捨てなのも、元パートナーの彼ならではなのだろうけれど、それが余計に私の神経を逆なでする。
「ふん。どうせ私はアリスみたいに、2000年先を読んだ計算なんてできないわよ」
私はハンドルを力任せに回しながら、わざとらしく溜息をついた。
「どうした、エリー。昨日からバイタルに微細なノイズが混じっている。……嫉妬という情動か? だが、アリスはすでに故人であり、歴史そのものだ。比較対象にするのは非論理的だぞ」
「非論理的で結構! 私は修理屋なの! 目の前の男が、2000年前の女の書いたコードにばっかり感心してたら、ハンダごてだって曲がるわよ! 私じゃ不満なの!? 私の作ったルートじゃ危なっかしいって言いたいわけ!?」
「……俺はそんなことは一言も――」
『実況ぉおお! 母様、朝から嫉妬のフルスロットルなのですよぉお! 父様の無自覚な「元カノ(※創造主)」自慢に、正妻のプライドが火花を散らしているのですよ!』
十女ボーンが通信回線で燥ぎ、九女ハープが『母様、血圧が上昇していますわ。落ち着いてください』と冷静に嗜める。
その時だった。アークの心臓部、ラボの奥に鎮座する「メイン循環リアクター」から、これまでにない不吉な金属音が響いた。
ピーーーン!
警告音が車内に鳴り響く。
『緊急報告ですわ! 6番、ヴィオラです! 砂嵐の影響で吸気フィルタを突破した微細な金属砂が、リアクター内部に侵入! 冷却系の循環が停滞し、熱暴走を開始しました!』
「何ですって!? ラボのリアクターが!?」
あのリアクターは、私がジャンクパーツを継ぎ接ぎして徹夜で組み上げた、アークの全動力を司る文字通りの心臓だ。
「……停止できるのか、エリー?」
リュウガが立ち上がる。
「アリスの理論に基づくならば、このレベルの熱暴走はシャットダウン以外に回避策はない。爆発すればキャラバンの半分が消し飛ぶぞ」
「冗談じゃないわよ! 今止まったら、外の砂嵐に飲み込まれて全滅でしょ!」
私はシートベルトを外すと、工具袋をひっ掴んだ。
「エリー、待て! 防護服も着ずにエンジンルームに入るのは自殺行為だ!」
「うるさいわね! 正解なんて知らないわよ! 壊れたなら、私が叩いて直して、無理やり動かしてやるわよ!」
私はリュウガの制止を振り切り、熱風が吹き荒れるラボのエンジンルームへ飛び込んだ。
温度はすでに80度を超えている。
「母様、無茶です! 退避を……いえ、了解しました。これ以上の接近は私が物理的に遮断します!」
長女チェロが即座に私の前方に立ち、シールドを展開して吹き出す高熱の蒸気を防ぐ。
「あらあら、母様の情熱でお部屋がサウナ状態ですわ。オルガ、防衛プロトコル開始。母様の肌を煤ひとつ寄せ付けませんわよ?」
次女オルガが笑顔の裏に決死の覚悟を秘め、展開した物理障壁で周囲から飛散する部品の破片を弾き飛ばしていく。
「ちょっと、私の本来の仕事は『観測』なんですけど……。あーもう、わかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
六女ヴィオラが、観測デバイスを片手に、ブツブツと不満を漏らしながらリアクターの熱波を掻き分け、私の真横に陣取った。
「母様、第3排気弁の解放タイミング、コンマ2秒遅らせて! 10秒後に第2ギアの回転軸が15度右にブレる! 私の計算通りに叩かないと、本当にアークごと消滅するわよ!」
「アリスがなんだってのよ! 今この『壊れ方』を知っているのは、世界で私一人だけなのよ!」
「「「――動け! 動け動け動けぇぇぇ!!」」」
私はヴィオラの精密なナビゲートに合わせ、手に持った大型のインチレンチを、暴走して軸のズレたメインギアに思い切り叩き込んだ。ガキンッ! という凄まじい衝撃が腕に走る。チェロとオルガが背後から私を支え、熱量から必死に私をガードしているのを感じる。
「私のハンダ付けが、あいつの理論に負けるわけないでしょ! 言うことを聞きなさいよ、私がお前の創造主なのよ!」
狂ったようにスパナで歯車を叩き、強引にリアクターの回転同調を物理的に合わせる。金属が噛み合う「音」と「振動」だけで、目に見えないミリ単位の軸のズレを力ずくでねじ伏せていく。
理論上、そんな方法で直るはずがない。けれど、私の「意志」が、機械と直接対話していた。
――グォォォォォン!!
一瞬の断末魔の後、リアクターの音が「澄んだ重低音」へと変わった。
過給圧のゲージが限界を突破し、レッドゾーンを越えてさらに先へと跳ね上がる。
「……再起動、成功。出力……以前の120パーセントに固定。……そんな、馬鹿な」
リュウガは絶句していた。私は、アリスの設計図にはない、エリー独自の無理やりな「パッチ」が、2000年前のロジックを塗り替えたのだ。
「……はぁ、はぁ……見たか、このバカ……」
煤だらけで、髪を振り乱した私は、レンチを杖代わりに立ち上がった。
「……エリー」
リュウガが歩み寄り、煤だらけの私を、不意に、しかし力強く抱きしめた。
「ひゃ、ひゃあ!? な、なによ、汚れちゃうじゃない……! チェロ、オルガ、ヴィオラ! あんたたちも見てないで、何か言いなさいよ!」
「……不合理ですが、この出力向上は賞賛に値します。お見事でした、マスター」
チェロが満足げに頷く。
「母様の勝利ですわ。父様、しっかり母様の『熱量』を受け止めて差し上げて?」
オルガが聖母のような笑みでリュウガを促す。
「はぁ、観測データが『愛のオーバーヒート』で真っ赤なんだけど。お幸せに、バカ母様」
ヴィオラが呆れたように観測機を閉じた。
「認めるよ、エリー。たしかにアリスは歴史を作った。だが、俺の『今』を作っているのは、アリスのコードではなく、君の不合理な情熱だ。……君が故障を愛してくれているから、俺はここにいられる」
「ちょっと! 人を聞き捨てならない特殊性癖みたいに言わないでよ! 私は修理屋なの! 直した後の完璧な動作を愛してるの! 故障そのものを愛でてるわけじゃないわよ、このバカ!」
「だが、壊れていないものに君は興味を示さないだろう? 俺が正常なシステムだったなら、君に拾われることもなかった」
「それは……そうかもしれないけど……! 言い方があるでしょ、言い方が!」
「……バカ。あんた、本当に恥ずかしいこと言うんだから」
私はリュウガの胸の中で、顔を真っ赤にして卒倒した。
『……観測。煤だらけの抱擁、そして母様の幸せそうな昇天……。てぇてぇ……。これぞ砂漠の不純物による純正愛ですわ……』
暗闇から、七女クララの至福に満ちた呟きが聞こえる。
完璧な過去なんて、もう怖くない。不完全な私たちが、2000年前の「正解」を今日も塗り替えていく。
『ファーファ、全データ・永久ロック完了だお! 「伝説の創造主(元カノ)に嫉妬する天才人形師は、暴走する愛をスパナ一本でねじ伏せる!」……これにて一件落着だおー!』




