第83話:【遺構】アリスの遺産:科学の敗北の記録
地平線の彼方から、砂に半分埋もれた巨大な「爪」のような鉄塔が見えてきた。
それは天を突くように斜めに聳え立ち、周囲には巨大な円筒形の構造物が無造作に転がっている。
「……何よ、あの建物。塔にしては不格好だし、窓も何もないわ」
私はアークのハンドルを握りながら、その異様な光景に目を奪われていた。
「あれはバイコヌール。かつて人類が『星の世界』へと旅立つための港だった場所だ」
助手席でリュウガが、いつになく遠い目をして答えた。
「星の世界……? ちょっとリュウガ、冗談はやめてよ。あんな高いところ、神様か天使しか行けないでしょ?」
後ろでリディアが不敵に笑い、ヴォルフも「いくらなんでも非現実的すぎる。鉄の塊を空に飛ばすなんて、どんなマナ制御をすればいいんだ」と首を振る。カイルにいたっては、「昔の人は、星を『土地』だとでも思っていたのか?」と、真顔で尋ねてくる始末だ。
彼らにとって、空は「眺めるもの」であり、星は「神聖な光」でしかない。人類が物理的な機体に乗って、大気圏を突破し、月や惑星に降り立ったなどという話は、もはや神話ですらなく「狂人の妄想」に近い反応だった。
「神話ではない。……記録が証明している。リディア、偵察を頼む」
「了解。……私の可愛い子たち、お仕事の時間よ! 『フェアリ・オプション』、展開!」
リディアがコンソールを叩くと、アークの両サイドから深紅の影が次々と射出された。
鋭角的な多面体装甲で構成された「蜂型」のシルエットを持つ全20機のドローン部隊。鏡面仕上げのナノセラミック装甲に紫の電子ラインが走るその姿は、私のシスターズのような温かみとは無縁の、徹底した冷徹な工業美を纏っていた。
『斥候蜂』がステルス機能で先行し、『記録蜂』が巨大な多眼カメラで死角のない映像をアークに送り届ける。
『母様、地下シェルターへの入り口を発見しましたわ。スカウト隊が罠の解除を完了しています』
九女ハープが通信を繋ぐ。リュウガの先導で、アークは砂に埋もれた巨大な地下空間へと滑り込んだ。
シェルターの奥深く。埃を被ったコンソールを、私がハンダ付けの熱で「直結」させた瞬間、暗闇の中に青白いホログラムが浮かび上がった。
『……プロジェクト・エクソダス、第124日目。収容人数、4万2000人。資源配分、1人あたり1200キロカロリーを厳守。……これが唯一の正解です』
そこに映し出されたのは、若かりし頃のアリス・アルテミシアだった。
彼女は完璧な計算に基づき、限られた資源で数万人を救おうとしていた。配分、清掃、睡眠。すべてが論理的な正しさに貫かれた、完璧な救済計画。
「……アリス。それにしても、なんて、美しくて、冷徹な数字……」
私がその完璧さに息を呑んでいると、隣でホログラムを見つめていたピッコが、小さく震える声で呟いた。
「……そう。この頃の母様は、日に日に痩せていったのよ。リュウガ、貴方は覚えているかしら? 眠る暇もなく再計算を続け、不合理な人々の不満をすべて一人で受け止めて……あの人は、数字だけで人を救えると信じようとして、自分を削り続けていたわ」
ピッコの言葉に応えるように、ログの最後は凄惨な悲鳴と怒号で埋め尽くされていた。
『どうしてあっちのブロックの方が水が多いんだ!』
『私の子供がなぜ、この不味い合成食糧しか食べられない!?』
『論理なんてクソ食らえだ! アリス・アルテミシア、お前は血の通った人間じゃないのか!』
『扉を開けろ! 外の熱風で死ぬ方が、お前の冷たい数字に管理されて死ぬよりマシだぁああ!』
――アリスの「完璧な正解」は、人間の「不合理な感情」というノイズによって粉々に破壊され、シェルターは内側から崩壊したのだ。
「そんな。アリスが、負けたっていうの!?」
私が絶望に立ち尽したその時、施設の自動防衛システムが起動した。
旧世代の自律ドローン軍団が、私たちを「ノイズ」として排除しようと襲いかかってくる。
「――迎撃開始! 全員、2000年前の『正解』を物理で叩き潰しなさい!」
地下空間で激しい火花が散った。
セフィラが空中を音速で舞い、旧世代機を分子レベルで切断する。リディアの『妨害蜂』が特殊周波数を放って敵の連携を狂わせ、その隙を『弾丸蜂』がパルスガンの乱射で粉砕していく。
そこに、物理インターフェースで強化された11人のシスターズが突っ込む。
『爆奏!』八女テューバのミサイルが防衛ラインを抉り、十女ボーンの重突撃ランスが中枢サーバーの隔壁を物理的にブチ抜いた。装甲が削れるたびに『癒やし蜂』がナノマシンを噴霧し、リアルタイムで修復を完了させる。
アリスの失敗した過去を、今を生きる私たちの「意志」と「連携」が塗り替えていく。
防衛システムが沈黙した時、そこにはただ、冷たい鉄の残骸と、救えなかった歴史の重みだけが残っていた。
深夜。
私は一人、アークのルーフに登り、砂漠の満天の星空を見上げていた。
「正解を出しても救えないなら……何が正しいの?」
暗い夜空に向かって漏らした独り言に、隣で座ったリュウガが答えた。
「エリー。あそこに見える『北斗七星』の位置を見てみろ。……2000年くらいじゃ、星の位置はほとんど変わらないんだな」
「……え?」
「人類が滅びかけ、管理され、そして今お前たちがこうして砂漠を走っている。その2000年という月日も、恒星系が銀河を巡る速度に比べれば、瞬きに等しい。……アリスは正しかった。だが、正しすぎるがゆえに、星のように遠くからしか人々を見られなかったのかもしれない」
リュウガは私の横に無言で座り、その大きな手で私の冷えた指先を包み込んだ。
「アリスは『正解』を愛したが、お前は目の前の『故障』を愛している。……お前なら、シェルターの中で暴動を起こす人々と一緒に、泥にまみれて泣きながら、無理やりハンダ付けで繋ぎ止めたはずだ。……俺は、お前と一緒に失敗する道を選ぼう。その記録こそが、俺が最も保存したいデータだ」
「ちょっと! 人を聞き捨てならない特殊性癖みたいに言わないでよ! 私は修理屋なの! 直した後の完璧な動作を愛してるの! 故障そのものを愛でてるわけじゃないわよ、このバカ!」
「だが、壊れていないものに君は興味を示さないだろう? 俺が正常なシステムだったなら、君に拾われることもなかった」
「それは……そうかもしれないけど……! 言い方があるでしょ、言い方が!」
「……バカ。あんた、本当に恥ずかしいこと言うんだから」
私は赤面しながらも、その手の温もりに力を込めた。
『……観測。母様の激しいツッコミと、父様の無自覚なカウンター……。てぇてぇ……。このログは銀河の至宝ですわ……』
暗闇のどこからか、七女クララの尊みに震える声が聞こえてきた。
2000年前と変わらない星空の下。アリスが辿り着けなかった「不合理な愛」の答えを、私たちはこの重厚な轍と共に、西へと運び続けていく。
『ファーファ、全データ・永久ロック完了だお! 「天才人形師は、神話の敗北を愛のハンダ付けで上書きする」……これぞ新章の開幕だおー!』
夜風に吹かれながら、アークは再び動き出す。
神話の時代を「科学」で暴き、私たちは本当の希望を探す旅を続ける。




