第80話:【長城】万里の長城、次元の崩落
黄金色の砂塵が舞う視界の先、それは突如として姿を現した。
地平線を左右に断ち切るように続く、巨大な石の背骨。数千年の風雪に耐え、砂に半分埋もれながらも、その圧倒的な存在感で外界を拒絶する巨大遺構。
「……あれが、2000年前の防壁?」
私はハンドルの上で息を呑んだ。
「ああ。かつてこの大陸を外敵から守るために築かれた『万里の長城』の成れの果てだ」
助手席のリュウガが、窓の外を見つめながら淡々と解説を始める。
「当時は石と煉瓦で組まれただけの構造物だったが、アリスがこの場所を『最終検疫の門』として再定義した。ここから先は、マナの波形が反転するカオスゾーンだ」
『ひえぇ、あんなデカい壁、物理で壊すしかないお! 母様、アークの出力を最大にするお!』
三女コルネの肩に乗ったファーファが、尻尾をアンテナのようにピンと立てて騒いでいる。
「ふん、相変わらず騒がしい端末ですね」
後部座席で、小さな足(といっても110センチのミニマムサイズだけど)を組んで座っているのは、2000年前の外科医ピッコだ。
「それより、リュウガ様。以前から気になっていたのですが……」
ピッコがアイスブルーの瞳をシスターズたちに向け、不機嫌そうに口を尖らせた。
「この『シスターズ』とやら、同じ基本フレームと論理素体から製造されているはずなのに、なぜここまで個性がバラバラなのですか? 効率を考えれば、長女チェロのような管理特化型で統一すべきでしょうに。この十女のバール狂いや、三女のブレーキ音痴はシステム上のバグとしか思えません」
その言葉に、私はバックミラー越しにピッコを睨み返した。
「バグじゃないわよ! 個性がとんがっていたほうが、女の子は魅力的なんだから! 全員同じ顔で同じ喋り方なんて、それこそ不気味なオートマタじゃない。不揃いのパーツを組み合わせて、最高に輝く1つの家族にする……それが私の、ハンダ付けの美学よ!」
「……理解不能です。猿真似の創造主様は、非効率を愛しているのですね」
ピッコは鼻で笑ったけれど、その手はちゃっかり九女ハープから差し出されたお茶を受け取っていた。
「――さあ、全車、アーク・ドライブ待機。次元の壁を物理的にブチ抜くわよ!」
私がコンソールのリミッターカバーをスパナで叩き割り、剥き出しの配線を直接ショートさせた! 10台の連結車両から青白い放電が走り、空間そのものが悲鳴を上げ始めた。
「突入!」
アークが加速し、長城の中央に歪んだ空間の裂け目が生じる。
光と影が反転し、強烈な重力が私たちを押し潰した。次の瞬間、背後で「ガリッ」という、世界が物理的に砕けるような嫌な音が響き渡った。
『――事象境界の崩落を確認。後方の空間座標が物理的に剥離していますわ!』
バイクで並走する六女ヴィオラの鋭い分析が響く。
『七番、クララです。崩壊速度、秒速30メートルで加速中。……母様、このままでは最後尾から順次、虚無にデリートされます』
七女クララが観測機からの精緻なデータを間髪入れずに叩き出す。
『全車両へ伝達! 10秒以内に加速域へ到達してください! カイル殿、第4車両以降の安定化は私が引き受けます!』
バイクで後方に下がりながら、十一女オーボエの凛とした声が全車両に飛んだ。一家の若き指揮官として、彼女はカイルと共に、巨大な10連キャラバンの統制を執る。
「全速力で離脱するわよ! 振り落とされないで!」
私はコンソールの安全装置のカバーをスパナで叩き割り、剥き出しになったレッドゾーンの配線を直接ショートさせた。 私がアクセルを底まで踏み抜くと、アークの全車両が限界を超えたオーバークロックで咆哮を上げた。時速100km、110km……道なき荒地を、巨大な鉄の塊が文字通り「跳ねながら」爆走する。
「ちょっとぉ! 揺れすぎよお! 私の精密サンプルが、私の脳みそがシェイクされるわぁああ!」
後続車のリディアの絶叫が無線から漏れる。
「ひぎゃあぁあ! サスペンションが悲鳴を上げてる! 音楽としては最高だけど、死ぬのは嫌だぁぁああ!」
技術屋のヴォルフも車内でひっくり返りながら叫んでいる。
『現在速度、時速120km。空間崩壊の波及速度と均衡。……マスター、あと15パーセントの出力向上を推奨します。……冷静に、右側の岩礁を回避してください』
1号車のルーフに張り付いたセフィラだけが、荒れ狂う振動の中で機械的な冷徹さを保ち、ルートを指示してくる。
背後で激しい「次元崩壊ノイズ」が走り、さっきまで私たちがいた世界へと続くパスが、光の塵となって弾け飛んだ。
凄まじい衝撃波がアークの最後尾を突き上げ、私たちは真っ暗な霧の海へと放り出されるように加速し続けた。
「……はぁ、はぁ……」
どれくらい走っただろうか。
ようやく振動が収まり、アークが不気味なほど静かな灰色の平原で速度を落とした。
九女ハープの報告が、これまでにないほど沈んでいた。
『……報告します。極東へ続くパスが物理的に消滅。次元の錨が強制パージされました。……戻る道は、もうありません』
モニターの再接続ゲージは「0パーセント」から動かない。リュウガのAdmin権限をもってしても、閉ざされた扉を開くことはできなかった。
「アリスめ……。西の災厄を東へ逆流させないための、非情な検疫(切り離し)か」
リュウガが苦々しく呟く。
戻るための道が永遠に閉ざされた。キャラバンのスタッフたちの間に、絶望に近い沈黙が広がる。
「……戻れない。セーラや、みんなのいるアステリアに、もう……」
私は震える手で、ハンドルを握りしめた。これまでの旅とは違う。私たちは今、真の意味で「片道切符」の長征に放り出されたんだ。
その時、私の冷たくなった手に、温かい、そして力強い手のひらが重なった。
「……怖がるな、エリー」
リュウガが、私の目をまっすぐに見つめていた。
「戻る道が消えたなら、君が新しく作ればいい。……俺がいる。お前がどこへ行こうと、その歩みの全てを俺が記録し、肯定する。俺というデータベースがある限り、君の居場所は消えない」
「な、ななな……! それって、一生一緒にいろってこと!? 公衆の面前で何を言ってるのよ、この無自覚タラシ!」
私は一気に沸騰したように赤面し、パニックでハンドルを左右に振った。
「落ち着いてください母様! 蛇行運転はやめてですわ!」
次女オルガが慌てて私を抑えにくる。
「いいじゃん母様! 戻れないなら、西の果てまでブッ飛ばして、そこを新しい故郷にしちゃえばいいんだよ!」
三女コルネがバイクで並走しながら、屈託のない笑顔を見せる。
「……ふん。ここからが本番、というわけですね」
前衛車を運転するカイルが、十一女オーボエと頷き合い、厳しい表情で地図を広げた。
目の前に広がるのは、2200年後の温暖化とマナ汚染で変質した『灰色のシルクロード』。緑は消え去り、ねじれた岩と金属質の砂が舞う、かつての文明の残像。
「そうね、私たちが新しい道を作る……そうよ、やってやろうじゃない!」
私は涙を袖で拭い、コンソールを力一杯叩いた。
故郷を背にし、未踏の荒野へと突き進む10連キャラバン。
それは、不完全な私たちが、真の意味で自立するための、長くて騒がしいエクソダスの始まりだった。




