第79話:【黎明】極東の夜明け、親友との約束
地平線の向こう、東の空が白み始めていた。
ヴォルガの重厚な石造りの街並みがバックミラーの中で遠ざかり、私たちの家――移動式簡易要塞となったラボ『アーク』の巨大な轍が、まだ見ぬ西の荒野へと刻まれていく。
「全車両、連結完了! 1号車から10号車まで、動力伝達効率98パーセントを維持。母様、いつでもいけるよ!」
三女のコルネがバイクのエンジンを吹かしながら、拡声器で威勢よく叫ぶ。
「カオスゾーンだろうがなんだろうが、ボクたちのスピードに付いてこれるヤツなんていないんだから!」
アークの車内は、出発の興奮に包まれている。十女のボーンが愛用のバールを高く掲げて気勢を上げ、五女のユーフィは「西欧のデコパーツでアークを最強にするんよ!」と燥いでいた。
『――母様。九番、ハープです。アステリア王宮との超長距離秘匿回線の構築を完了しました。周囲の音声は私が物理的に遮断します。……あの方とお話しください』
通信担当の九女ハープの声に、私は居住まいを正した。
ダッシュボードに設置されたホログラム投影機が青い光を放つ。そこに浮かび上がったのは、プラチナブロンドの縦ロールと、アイスブルーの瞳を持つ高貴な女性。アステリア王室にゆかりのある由緒正しき名、アストレイドの名を冠する公爵令嬢――セラフィーナ・アストレイドだ。
「セラフィーナ、聞こえる? ……もういいわよ。今は通信室に誰もいないし、ハープが音を消してくれてる。……昔みたいに話してよ」
私の言葉に、ホログラムの中の彼女がふっと肩の力を抜いた。極東統一王国のフィクサーとしての冷徹な表情が消え、そこには私の知っている「教え子」の顔が現れる。
『……ふぅ。ようやくね。あんたこそ、いつまで他人行儀な喋り方してるのよ、エリー姉』
セラフィーナは優雅に椅子に深く腰掛け、不敵に微笑んだ。
私の父は、彼女の家庭教師を務めていた。公爵令嬢という重責に押し潰されそうになっていた幼い彼女にとって、父の背中に隠れて電子回路を弄り、「直せないものなんてないのよ」と笑っていた私は、誰よりも自由で、憧れのお姉さんだったのだ。
「ごめん。でも、あんたが今や一国の運命を握るような顔をしてるから、つい緊張しちゃって」
『バカね。私がどれだけ背伸びしても、エリー姉のハンダ付けの腕には一生勝てないわよ。……ねえ、覚えてる? あなたの家が没落して、おじ様が全てを失ったあの日のこと』
「忘れるわけないわ。何もかも差し押さえられて、私の世界は真っ暗になった」
『あの時、あなたが愛用してた初期型の旋盤とハンダごて……あれを「ガラクタの山だ」って言い張って、私の私費で強引に買い取らせたの、私なんだからね。当時10歳だった私が、お父様をどれだけ必死に説得したか、あなたなら分かってるでしょ?』
セラフィーナは少しだけ誇らしげに胸を張った。
当時、わずか10歳の少女が、将来のために積み立てていた個人資産を全て投げ打つのに、どれほどの覚悟が必要だったか。彼女は自分の未来を担保にして、没落した私の「情熱の種」を守り抜いたのだ。
「……ええ。わかってる。セラフィーナ、いえセーラ。あんたがあの時、10歳であのお金を動かしてくれなかったら……私は今頃、アークのハンドルを握ることも、リュウガを直すこともできなかった」
『ふん、当たり前でしょ。私の選んだお姉さんなんだから。……でも、少しは成長したのかしらね? 昔みたいに、自作のモーターに「初恋の人の名前」を付けて、添い寝したりしてないでしょうね?』
「ちょっ、ちょっと! 何よその話! 今は関係ないでしょ!」
『ふふふ、関係あるわよ。あの時、あなたが「この振動、心音に似てる……好き……」ってモーターを抱きしめて寝落ちしてたの、私の生涯のベスト・コメディなんだから。……ああいう危なっかしいところが、エリー姉の魅力だったわね』
「やめてよーーーーー! 12歳の時の若気の至りでしょ! ……セーラ、あんただけは絶対に許さないんだから! 帰ってきたら覚えてなさい!!」
顔が沸騰しそうなほど熱くなる。感動の再会のはずが、彼女は容赦なく私の黒歴史を抉ってきた。
『ふふ、冗談よ。私、待ってるから。国を復興してエリー姉たちを待ってるから。そして、エリー姉に怒ってもらうんだ。……さあ、行きなさい、エリー姉。世界をその不器用な愛でハンダ付けして、直してきなさい。……セラフィーナ・アストレイドの名において、あなたの旅路の安全を、心から祈っているわ』
「わかってるならよろしい! ええ。約束するわ、セーラ。絶対みんなで帰ってくるから、ね!」
通信が切れた。
私は恥ずかしさと愛おしさが混ざった涙を拭い、たまらずハンドルに突っ伏した。
「母様、大丈夫ですわ。モーターとの初恋も、今の母様を形作る大切な1パーツですもの」
次女のオルガがいつになく生温かい微笑みでハンカチを差し出してくれる。
「そうですよ! 母様の情熱は、12歳の頃からマニアックに完成されていたんですね!」
シスターズたちが車内で一斉に「ニヤニヤ」とした視線を送ってくる。
「……はは、全く。君の周りには、君以上に頑固で、そして君の弱みを握るのが上手い人間が集まるようだな」
助手席に座っていたリュウガが、私の震える手をそっと取り、その手のひらに自分の手を重ねた。
「リュ、リュウガ……。あんた、いつからそこに……」
「最初からだ。ハープが『母様の羞恥心保護モード』を適用し忘れたおかげで、1号車の全スピーカーに今の会話が流れていた。……12歳でモーターに初恋、か。興味深い。後で詳細な仕様を聞かせてもらおう。俺の振動数も、君の好みに合わせて調整可能だぞ?」
「絶対に嫌! 全員、今の記憶をデリートしなさいよー!」
極東の地平線から、眩いばかりの朝日が昇る。
ヴォルガの住民たちの祝砲代わりの空砲が鳴り響く中、私の絶叫を乗せたアークの10連キャラバンは、マナの霧が渦巻く境界領域を切り裂き、未知なる西の荒野へと、その重厚な轍を刻み始めた。
『ファーファ、全データ・永久ロック完了だお! エリー姉の初恋相手(モーター・型番不明)の特定作業に入るお! 第4部、カオスゾーン・エクソダス、開幕から大爆笑だおー!』
賑やかな、あまりにも賑やかすぎる家族を乗せて、アークは加速する。
親友にバラされた黒歴史という名の「燃料」を抱えて、私は壊れた世界の「向こう側」へと、勢いよく突っ込んでいった。




