第77話:【協定】救済の架け橋
帝都中央塔のバルコニー。かつて皇帝が民を見下ろしていたその場所で、今、歴史的な瞬間が刻まれようとしていた。
帝国の新指導者バルガス、スラムの代表オメガ、そしてアステリア王国の公爵令嬢セーラ。三者が並んで署名した書面は、後に『極東救済協定』と呼ばれることになる。飢えと戦いの時代が終わり、人々は「アーク」という名のキャラバンがもたらした奇跡を、希望の物語として語り継ぎ始めていた。
「――よし、これで形式的な手続きは終わりね。次はこれよ! 帝国も王国も、丸ごと直してハッピーにしちゃうわよ!」
私は意気揚々と、徹夜で書き上げた『極東全域再生・スーパーハッピーリフォームプラン』と銘打った分厚い資料をテーブルに叩きつけた。
「……何かしら、この……子供の落書きのような図解は。それに、帝国の再建にばかりページが割かれていて、我がアステリアの扱いは『美味しいものをたくさん作る』だけですの?」
セーラが指先で資料をめくり、眉間に深い皺を刻んだ。
「エリー、あなたの情熱は認めますけれど、この計画は控えめに言って穴だらけ(スイスチーズ)ですわ。二国間の関税撤廃も、魔導エネルギーの相互供給ラインの構築も、何も具体的な数字がありません。ただ『みんなでお隣さんになればハッピー!』としか書いてありませんわよ」
「えぇっ!? ハンダ付けみたいに、気合で繋げばなんとかなるって!」
私が反論した瞬間、隣で資料を覗き込んでいたリュウガが、こらえきれないといった様子で吹き出した。
「くくっ……ははは! 悪いエリー、だがセーラ令嬢の言う通りだ。これは計画書というより、ただの『願望リスト』だな」
「もう! リュウガまで笑わないでよ! ……うぅ、こんなことなら、事前にリュウガに添削してもらえばよかったよぉぉぉおおおおおお!」
私が机に突っ伏して嘆くと、リュウガは苦笑しながら私の頭をぽんぽんと叩いた。
「いや、もし俺が添削していたら、お前の案はほぼ原型を留めない全書き直し(ファクトリーリセット)になっていたぞ? それでもよかったのか?」
「……全書き直し。私の努力が、ゼロ・リセット……」
「結局ダメ出しされる運命だったわけね。不憫な嫁だこと。……さて、両国の真の融合を始めましょうか」
セーラがペンを走らせ、私の「穴」を埋め始めた。
「アステリアは食料供給の要となりますわ。北部の広大な農地を解放し、極東全域の飢えをなくします。その代わり、帝国の魔導インフラの維持技術を我が国へ提供していただきますわよ。古い城下町の暖房システム、ガタが来ていて困っていたのです」
「承知した。ならば我が軍の工兵大隊を、国境を跨ぐ幹線道路の整備と、王国の灌漑施設再建に回そう。兵器を作るための魔導炉は、すべて民生用のエネルギー発生装置へと転用する」
バルガスが地図を広げ、かつての進軍経路を物流の「血管」へと書き換えていく。
「アタシらスラムの連中は、国境沿いの闇ルートを正規の自由交易ゾーンへ変えてやろうじゃないか。物流の隙間を埋めるのはアタシらの得意分野だ。エリー、あんたの言う『ハッピー』ってのは、二つの国が文字通り一つの『家』として機能し始めて、ようやく完成するのさ」
三人のプロフェッショナルが、私のめちゃくちゃなプランを元に、瞬く間に現実的な極東再建の設計図を描き直していく。その鮮やかな手際に圧倒されていると、セーラが傍らに控えていたカイルに向き直った。
「あ、それから、カイル、あなたにお願いがありますわ」
「はい、セーラ様。何なりと」
「……あちらで項垂れている整備バカを、これからもしっかり支えてやってちょうだい。あの子の『ハンダ付け』が外れないように、実務の面で手綱を引けるのは、あなたしかいませんもの。……私の親友エリーの面倒、見てやってくれるかしら?」
カイルが、珍しく真っ直ぐにセーラを見つめ、力強く頷いた。
「御意。彼女の情熱が空回りせぬよう、物流と管理の面から全力でバックアップいたします。……それが、私の新たな使命ですから」
その時だった。私の腰に下げた魔導端末が、激しく明滅し始めた。
『――緊急通信。データベースのサルベージを完了。警告、世界の心臓に致命的なシャットダウン・シークエンスを検知』
アリスの声が響き、ホログラムの地図が欧州――旧ドイツ圏の地を指し示す。
『真の救済には、西のメインサーバーにある「最終解除キー」の取得が不可欠です。……急いで、私の愛した子供たち』
「……西の果て、世界の心臓部か」
リュウガが静かに呟く。私たちが手にした平和は、まだ砂上の楼閣に過ぎない。根本的なバグを直さない限り、いつかこの景色も消えてしまう。
「行きな、エリー。あんたたちが戻ってくる場所は、あたしたちが意地でも守ってやるよ。スラムの女王の看板にかけてね」
オメガが私の肩を強く叩き、力強く笑った。
「案ずるな。極東の守りは我らに任せ、心置きなく行ってこい」
バルガスがその太い腕を組み、背中を預けられる確かな重みを湛えて言った。
「貴殿らが繋いでくれたこの希望の灯を、我々が絶やすことは断じてない」
そしてセーラが、かつての幼馴染としての厳しさと、一国の代表としての気高さを湛えて私を見つめた。
「……エリー。あなたたちの役割は、もうこの極東を直すだけには留まりませんわ。もっともっと大きなところ――世界そのものを救うという使命が、あなたたちを待っているのでしょう? さっさと行って、その不器用なハンダ付けで、世界を丸ごと直してきなさいな」
「……みんな……ありがとう!」
出発を明日に控えた夜。
私たちは家族全員で、かつてリュウガと私が偽りの結婚式を挙げた式場跡地を訪れた。
そこには、リュウガと私、そして十一人のシスターズ、セフィラ、ピッコ、ファーファ、リディア、ヴォルフ、そしてカイル――。
血の繋がりよりも濃い「絆」で結ばれた家族がいた。
「……リュウガ、今度は『再定義』された本当の誓いね」
私が言うと、リュウガは優しく私の手を取った。
「ああ。管理者でも被験体でもない、ただの家族として……最後まで共に歩こう」
シスターズたちが「てぇてぇ……」と涙ぐみ、ピッコが「これが、家族の最高出力ですわね」とメモを取る。
翌朝。最強の状態で、私たちは旅立ちを待つ。
「アーク、準備はいい? 世界を丸ごとハンダ付けしに行くわよ!」
エンジンの咆哮が朝焼けの帝都に響き渡った。
西への旅路――真の救済を求めて、私たちのキャラバンは再び動き出した。
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