第72話:【蜂起】民衆の旗、軍人の盾
その日の未明、帝都全域の街頭モニターが一斉に真っ赤に染まった。
蜂起の6時間前。リディアの鹵獲ドローン35機が帝都の上空に展開し、元老院の裏帳簿、ロジウスの市民切り捨て計画、首輪の管理プロトコル――全てのデータが、白い街の全モニターに強制投影された。
『全市民に告ぐ。これが貴方たちの宰相の真実ですわ』
ヴィオラの高笑いが、帝都の朝を切り裂いた。
モニターには、市民を「消耗品」と定義した資源配分計画が映し出されている。スラムの住人を「人口調整弁」として意図的に飢えさせていた記録。首輪のナノマシンを通じて感情データを吸い上げ、反抗心の芽を摘んでいた監視ログ。
『補足いたしますわ。この映像は、帝国のドローンが帝国の嘘を暴いているのですわよ。皮肉の極致ですわね』
クララが鉄扇で口元を隠しながら、冷ややかな解説を添える。
最初に動いたのは、スラムの住人たちだった。
◇◆◇◆◇
「――立ちな、お前たち! あたしらを数字でしか見てなかった連中の本性が、今ようやく白日の下に晒された! 怒れ! 今こそ、あたしらの街を取り戻す時だ!」
オメガの咆哮が、スラムの廃工場に響き渡った。
彼女の背後には、数千の住人たちが錆びたパイプやレンチを手に立ち上がっている。首輪を外された者たちの瞳には、二千年ぶりの「怒り」が燃えていた。
「行くよ、みんな! ボクたちが先頭で道を開ける!」
三女コルネが大剣を担ぎ、民衆の最前列に躍り出た。だがその剣は、敵を斬るためではなく、行く手を阻む瓦礫を力任せに吹き飛ばして道を作るために振るわれた。
「ウチらの仕事は、みんなが走れる道を作ることじゃん! 後ろ、ついてきて!」
五女ユーフィが薙刀で頭上の崩落しかけた配管を支え、民衆が安全に通れる空間を確保する。
「実況開始だよ! 帝都の皆さん、スラムの民が立ち上がったよ! 恐れるな、あたしたちは一人じゃないんだよ!」
十女ボーンの拡声器から放たれた声は、地下スラムだけでなく、リディアのドローンを経由して地上の街頭スピーカーにまで届いていた。ピッコが中継ルートを即席で構築したのだ。
三馬鹿は戦わない。いや、戦ってはいるが、敵を倒すのではなく、民衆が「自分の足で進む」ための道を物理的にこじ開け続けていた。
「――出口が見えたよ! 地上だ!」
コルネの声に、スラムの住人たちが歓声を上げた。地下から地上へ。それは比喩ではなく、文字通り「日の光の下に出る」瞬間だった。
地上に溢れ出した民衆の前に、教団の聖機兵が立ち塞がった。
「不浄なる暴徒ども! 論理の神の名において、鎮圧を――」
だが、指揮官の号令は最後まで続かなかった。
自分たちの隊列の中から、兵士が一人、また一人と武器を降ろし始めたからだ。
ヴィオラのデータが暴いた真実。教団の兵士たちもまた、首輪で縛られ、感情を去勢された「被害者」だった。ボーンの実況がその事実を広場中に響かせ、コルネとユーフィが武器を降ろした兵士たちに手を差し伸べた。
「大丈夫だよ。もう首輪は要らないんだよ」
コルネの笑顔が、教団の兵士の凍りついた表情を溶かしていく。
一人が武器を置けば、隣の一人も置く。それは連鎖し、やがて小隊が、中隊が、教団の隊列そのものが内側から瓦解していった。暴力ではなく、真実と笑顔が、二千年の教義を溶かした。
◇◆◇◆◇
同時刻。帝都行政区。
バルガスが動いた。
「全軍、前進! 我らが守るのは議場でも玉座でもない――民だ!」
オーボエの統制の下、離反した十二の中隊が規律正しく行政区を制圧していく。ロジウスの親衛隊が応戦するが、バルガスの軍はかつての同僚たちだ。その剣筋も、陣形の癖も知り尽くしている。
「第三中隊、左翼を固めなさい。第七中隊は右翼から回り込んで退路を断ちなさいまし」
オーボエがハルバードを指揮棒のように振るい、戦場を俯瞰する。彼女の頭脳には、バルガスから叩き込まれた帝国軍の編成表と、チェロが整理した兵站データが完璧に統合されていた。
「オーボエ嬢、東の回廊から増援が来る。三個小隊だ」
「了解。……チェロ姉様、東回廊の封鎖を」
「既に手配済みですわ。予備の弾薬もそちらに転送しています。……将軍、次の補給ポイントは14分後です。弾を惜しまず使ってください」
チェロの声には一片の動揺もない。彼女が管理する兵站は、バルガスの部下たちが一発の弾にも困らないように、分単位で組み上げられていた。
「……大したものだ。俺の軍の補給がこれほど完璧だったことは、かつてなかったぞ」
バルガスが大剣で親衛隊の盾を叩き割りながら感嘆する。
「当然ですわ。委員長の管理に不備はありません」
だが、戦場は甘くなかった。ロジウスの親衛隊は精鋭中の精鋭。首輪こそ着けていないが、宰相への絶対的な忠誠を「自らの意志」で選んだ狂信者たちだ。彼らの抵抗は頑強で、バルガスの進軍を要所要所で食い止めていた。
「将軍! 正面の装甲車両、魔導障壁が厚すぎます!」
「チッ……あの障壁を破れれば、中央塔への直通路が開くんだがな」
バルガスが歯噛みしたその時、行政区の上空に5機のドローンが飛来した。リディアの編隊だ。
『バルガス将軍、お困りのようね。あの装甲車両の障壁、魔導式の暗号で維持されているわ。暗号の周波数を解析したから、ジャミングで3秒だけ障壁を落とせる。……3秒あれば十分でしょう?』
「3秒か。……十分すぎる!!」
バルガスが大剣を構え直した。
リディアのドローンが電磁パルスを放ち、装甲車両の障壁が一瞬だけ消滅する。その隙をバルガスが見逃さなかった。大剣が装甲を両断し、車両が火を噴いて沈黙する。
「道は開けた! 全軍、中央塔へ!」
バルガスの咆哮が、行政区に響き渡った。
◇◆◇◆◇
アークの車内。
私はモニターの前で拳を握り締めていた。
二つの戦場が、同時に動いている。スラムからは民衆の波が地上を埋め尽くし、行政区ではバルガスの軍が中央塔へ肉薄する。
だが私は、一切タクトを振っていない。
シスターズに突撃命令を出していない。私の手は、インフラの修理用コンソールの上にある。リュウガと二人で、戦闘で破壊された配電系統を応急修理し、停電した区域の電力を復旧させ続けていた。
地味な仕事。派手さの欠片もない。だが、電気が止まれば病院の患者が死ぬ。水が止まれば避難所の子供たちが脱水を起こす。
「第7区画の浄水ポンプ、復旧しました。エリー様」
カイルが淡々と報告する。彼の従者隊は、戦場の裏側で避難誘導と負傷者搬送を黙々とこなしていた。表舞台には一度も立たないが、彼らがいなければ民間人の犠牲は何倍にも膨れ上がっていただろう。
「オルガ、第3避難所の負傷者の状態は?」
「重傷者12名。いずれも命に別状はありませんわ。テューバが避難所の入り口を盾で塞いでくれているおかげで、流れ弾も一発も届いていません」
オルガの穏やかな声。そしてテューバは、通信越しに無言で親指を立てていた。
「セフィラ、アークの周辺は?」
「異常なし。……ですが、中央塔方面のマナ濃度が急速に上昇しています。ロジウスが何かを起動しようとしている可能性があります」
セフィラの警告に、私の背筋が凍った。
「リュウガ、聞いた?」
「ああ。……おそらくまた次元震だ。ロジウスの最後の切り札が動き出したらしい」
リュウガの仮想アームが青く明滅する。
明日、あるいは数時間後。ロジウスが追い詰められた時、この帝都そのものを道連れにする「最悪のシナリオ」が現実になる。
「ヴォルフ、セフィラのケーブルの状態は?」
「万全だ。いつでも出られるぜ、エリー」
「……よし。セフィラ、あんたの出番が来るかもしれない。準備しておいて」
「了解。……最後の砦、待機を継続します」
私は深く息を吐いた。
モニターには、中央塔を目指すバルガスの進軍と、地上に溢れ出した民衆の波が映し出されている。二つの流れが、一つの目標へと収束していく。
修理屋はハンドルもタクトも握らない。ただ、この街のライフラインを繋ぎ止め、戦う人々の足元を支え続ける。
それが、今の私にできる最高の仕事だった。
『母様、各班の通信状態、全チャンネル良好だお。オーボエ姉からの戦況アップデート、30秒ごとにリレーしてるお。へその緒、フル稼働だお』
「ありがと、ファーファ。……明日が、山場よ。全員の声を、絶対に途切れさせないで」
『任せるお。ファーファは世界一のへその緒だお』
帝都の空に、煙が上がり始めていた。
民衆の旗と、軍人の盾。二つの力が、一人の宰相を追い詰めていく。
そして明日、この街の運命を賭けた最後の戦いが始まる。
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