第71話:【暴露】影の決着、光の告発
根回しが進む帝都の裏側で、もう一つの戦いが佳境を迎えていた。
アークのモニターには、暗視モードに切り替わったドローンの映像が映し出されている。
『……こっち。三つ目の角を右』
スピーカー越しに届くルーテの囁きが、暗闇に溶ける。帝都の最深部、行政区の地下に張り巡らされた情報管制施設の通気ダクト。人間一人がようやく這える狭さの中を、四女ルーテと九女ハープが音もなく進んでいた。
二人の標的は、特務解析官エグゼ。国境検問所から私たちを追い続け、帝都潜入時にも0.0001パーセントの誤差を見逃さなかった「影の目」。あの単眼のドローン群を操る不気味な知性を、ここで断つ。
「ハープ。前方12メートルに圧力センサー。超音波で周波数を拾える?」
「……3秒。……取れた。旧式の魔導圧力弁ね。パルスを逆位相で流せば、踏んでも反応しない」
ハープが鉤爪の先端から極細の振動波を放ち、センサーを無力化する。二人はそのまま、蜘蛛のように音のない四肢の動きで暗闇を這い進んだ。
『ルーテ、ハープ。こちらヴィオラ。エグゼの本体が管制室にいることを確認しましたわ。……ただし、部屋の周囲に単眼ドローンが40機以上。通常の接近では発見されますわね』
通信越しに、ヴィオラの声が入る。アークの通信室で、彼女とクララ、そしてピッコが三人がかりでエグゼの監視網の解析を続けていた。
『エグゼのドローンは魔導式の暗号通信で同期しています。わたくしたちでは直接ハッキングできませんが、通信の「癖」は読めました。3.2秒周期で死角が生まれる。その瞬間だけ、管制室のダクト入口が無防備になりますわ』
「3.2秒。……十分」
ルーテが双剣の柄を握り直した。
「ハープ。合図はヴィオラの『今』。私が先行して本体を叩く。あんたはドローンのセンサーを潰して」
「……了解。不潔な監視の目は、全部摘出する」
ハープが鉤爪を鳴らした。
◇◆◇◆◇
管制室は、青白いモニターの光だけが支配する冷たい空間だった。
中央の椅子に座る男――エグゼは、痩せこけた体躯に不釣り合いな巨大なバイザーを被り、微動だにしない。その周囲を、40機以上の単眼ドローンが衛星のように旋回している。一機一機がエグゼの視覚の延長であり、帝都全域を覆う監視網の要だった。
「……演算継続。セクター14の不審な熱源反応。セクター27の通信パターンに0.003パーセントの逸脱。……バルガスの離反部隊の位置は、74パーセントの確率で――」
エグゼが呟くように演算を続けている。彼は眠らない。食べない。ロジウスが作り出した「劣化版Admin」――リュウガのデータを断片的にコピーした情報特化型の存在。人間の体を持ちながら、その精神はほぼ機械と化していた。
『――今ですわ』
ヴィオラの声が、針のように鋭く響いた。
ダクトの蓋が音もなく外れ、二つの影が管制室に滑り込んだ。
ハープが先に動いた。鉤爪から放たれた超音波のパルスが、旋回するドローン群のセンサーアレイを一斉に叩く。40機のドローンが同時に「目」を失い、ぐるぐると制御を失って壁に激突し始めた。
「……何? 視覚入力の途絶。原因の解析を――」
エグゼがバイザーを跳ね上げた瞬間、その目の前に、銀色の刃が突きつけられていた。
ルーテ。加速空間を最大限に圧縮し、ドローンが墜落する音すら届かない速度で椅子の背後に回り込んでいた。
「……お前は、シスターズの四番。なぜここに。演算では、お前たちはスラムの防衛に――」
「演算が間違ってた。……それだけ」
ルーテの双剣がエグゼの首筋に触れている。だが、殺さない。エリーの方針は「この国の問題をこの国の人間に返す」こと。ここで殺せば、エグゼの持つ帝都の情報が永久に失われる。
「ハープ。端末を」
「了解」
ハープがエグゼの椅子に備え付けられた端末にケーブルを刺し、データの吸い出しを開始した。エグゼの管制室には、ロジウスが隠してきた全ての汚点が詰まっている。市民の切り捨て計画、元老院の裏帳簿、首輪の管理プロトコル。
「……データ抽出を許可した覚えはない。私の演算領域に不正アクセスを――」
「うるさい、黙って」
ルーテの刃が、髪一本分だけ深く食い込んだ。
「あんたの『演算』は、人を番号で管理して、笑顔をバグ扱いして、子供の感情を消すためのものだった。……不潔よ。世界で一番、不潔」
ルーテにしては、驚くほど長い台詞だった。普段の彼女なら「汚い。消す」の二語で済ませるところを、エグゼという存在への嫌悪が、言葉を引きずり出していた。
エグゼが僅かに目を細めた。
「……感情か。やはり不合理な入力だ。私の演算には、そのようなノイズは存在しない」
「だから負けたのよ」
ハープが鉤爪を引き抜きながら、静かに告げた。
「あんたの演算は完璧だったかもしれない。でも、『予測できないもの』を計算に入れなかった。……人間の怒りも、愛も、あんたにとっては不要なデータだったんでしょう。それが致命的な穴だったわ」
データの吸い出しが完了する。ハープがケーブルを抜いた瞬間、エグゼが最後の抵抗を試みた。椅子の下に仕込まれた自爆装置に手を伸ばす。
ルーテの双剣が閃いた。
自爆装置のコードが、エグゼの指先に届く0.1秒前に、分子レベルで切断された。
「……不合理だ。私の演算速度を、なぜ生体ユニットが凌駕――」
「理由なんてない。姉さんたちが待ってるから、早く帰りたかっただけ」
ルーテがエグゼの意識の急所を双剣の柄で打ち、男が崩れ落ちた。
「……清掃完了。……帰ろう、ハープ」
「ええ。……あと、あの自爆装置、不衛生だから解体してから帰りましょう」
二人は音もなく管制室を離脱した。エグゼは気を失ったまま、帝国の治安部隊に引き渡されることになる。バルガスの蜂起後、彼の処遇はこの国の人間が決めればいい。
◇◆◇◆◇
同時刻。アークの通信室。
「データ受領しましたわ。……まあ、予想通りの醜悪さですわね」
ヴィオラがモニターに広げられた元老院の裏帳簿を一瞥し、扇子のような放熱板で口元を隠しながら嘲笑った。
市民を「消耗品」と定義した資源配分計画。スラムの住人を「人口調整弁」として意図的に飢えさせていた記録。首輪のナノマシンを通じて市民の感情データを吸い上げ、反抗心の芽を摘んでいた監視ログ。
「これを公開すれば、ロジウスの支持基盤は完全に崩壊しますわ」
クララが鉄扇で頬を仰ぎながら、冷静に分析する。
「問題はタイミングですわね。早すぎればロジウスが先手を打つ。遅すぎればバルガスの蜂起に間に合わない」
ピッコが端末を叩きながら補足した。
「蜂起の直前が理想ですわ。民衆の怒りが臨界に達した瞬間に、バルガスとオメガが動く。それが最も効果的なタイミングです」
「計算上は蜂起の6時間前が最適値ですわ。データの公開から民衆の怒りが臨界に達するまでの伝播速度を考慮すると」
ヴィオラの分析にピッコが頷く。
「公開手段はどうしますの? 帝国の放送網はロジウスが押さえていますわ」
クララの問いに、リディアが不敵に笑った。
彼女はラボの隅で、鹵獲した帝国ドローンの通信モジュールを分解していた。
「放送網なんて使わなくていいわ。こいつらを中継局に仕立てて、帝都中の街頭モニターに直接データを叩き込む。帝国のドローンが帝国の嘘を暴く。……皮肉が効いてていいでしょ?」
リディアが掲げたドローンの単眼が、不気味に光った。20機の手持ちに加え、鹵獲した帝国製が15機。合計35機。帝都全域をカバーするには十分な数だ。
「あとは、蜂起の日取りが決まるのを待つだけですわね」
ヴィオラが扇子を閉じた。
◇◆◇◆◇
その夜、アークに戻ったルーテとハープを、オルガが温かいスープで迎えた。
「お帰りなさい。大変でしたでしょう? さあ、召し上がれ」
ルーテが無言でスプーンを口に運び、ほんの僅かに目を細めた。
「……美味しい」
たったそれだけ。
だが、オルガにはそれで十分だった。
隣ではハープが、自分の鉤爪を丁寧に消毒しながら呟いた。
「……あの男。リュウガ様のデータから作られた劣化コピーだったのね。管理者個体とは別系統の、情報に特化した影」
ハープの言葉に、テーブルの向かいでスープを啜っていたリュウガが箸を……いや、スプーンを止めた。
「……俺のデータが、ああいう使い方をされていたとはな」
「リュウガ。あんたのせいじゃないわよ」
私は彼の仮想アームを軽く叩いた。
「あんたのデータを盗んで悪用した連中が悪いの。あんた自身は、ここにいる。私の助手として、ちゃんと」
「……ああ。そうだな」
リュウガが僅かに口角を上げた。
『母様、速報だお。オーボエ姉からの定時連絡。バルガスの離反部隊、予定通り拡大中。蜂起可能日は二日後と報告が来てるお』
ファーファの報告に、私はスープのカップを置いた。
「二日後。……ヴィオラ、クララ、ピッコ。データ公開の準備を最終段階に。リディア、ドローンの配置を確定して。……いよいよね」
テーブルを囲む全員の目に、静かな決意が宿った。
蜂起まで、あと二日。
影は払われた。次は、光を灯す番だ。
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