第70話:【根回】軍人の矜持、スラムの誇り
夜明けと共に、一家は散った。
オーボエとチェロがバイクのエンジンを吹かし、帝都の行政区へと消えていくのを、私はアークの甲板から見送った。二人の背中には、昨夜の作戦会議で決めた「方針書」が入った密封筒が括りつけられている。
反対側のハッチからは三馬鹿がスラムの路地へと飛び出していった。
「行ってくるよ、母様! ボク、オメガのおばちゃんと仲良くなってくる!」
「おばちゃん言うなよ、殺されるっすよ、コルネ」
ユーフィの冷静なツッコミを背に、ボーンが「実況の準備はバッチリだよ!」と拡声器を振り回す。
ルーテとハープは、いつの間にか姿を消していた。二人の仕事は声を立てずに済ませるもの。見送りは必要ない。
アークに残ったのは、私とリュウガ、オルガ、テューバ、ピッコ、リディア、ヴォルフ、セフィラ、そしてカイルたちの従者隊。ヴィオラとクララは通信室に篭もり、既にピッコと共に帝国の情報網の解析に没頭している。
「さて、私たちも仕事よ。リュウガ、帝都のインフラ地図を出して」
「了解した。……留守番部隊も忙しくなるぞ」
修理屋の朝は、こうして始まった。
◇◆◇◆◇
出発から二時間足らず。帝都行政区、帝国軍の駐屯地に隣接する兵舎の地下室。
バルガスが信頼できる中隊長たちと密会を重ねている場所に、オーボエとチェロが到着した。帝都内とはいえ、敵の監視をかいくぐりながらのバイク走行だ。二時間は十分すぎるほど速い。
「……来たか。管理者の使いだな」
バルガスは巨大な体躯を狭い椅子に押し込み、腕を組んで二人を迎えた。その周囲には、首輪を外した十数名の将校たちが緊張した面持ちで控えている。
オーボエが密封筒を開き、エリーの方針を淡々と読み上げた。
「――以上が母様の決定です。シスターズは前面に出ません。ロジウスの打倒は、この国の人間の手で成される必要がある。わたくしたちの役割は、あなた方が最高の状態で戦えるようにすること。それだけです」
将校の一人が苛立たしげに口を開いた。
「正気か? あのシスターズの力を借りれば、中央塔など一日で落とせるだろう。なぜわざわざ――」
「それでは意味がないのです」
チェロが静かに、しかし一切の妥協を許さない声で遮った。
「あなた方が自らの手で宰相を倒さなければ、民衆はまた『誰かに救われた』だけで終わります。……わたくしたちは、そんな未来を直しに来たのではありません」
沈黙。チェロの眼鏡が、地下室の薄明かりを反射して光る。
バルガスが、低く笑った。
「……いい眼をしている。あの人形師の娘だけのことはある」
彼は椅子から立ち上がり、オーボエに向き直った。
「お嬢さん。お前の統率力は、あの市街戦で嫌というほど見せつけられた。俺の参謀として、クーデターの全体統制を手伝ってくれるか?」
「望むところですわ。ただし、わたくしの規律に従っていただきます。無駄な犠牲は一人も出しません」
「ハッ。軍人に規律を説くとは、大した度胸だ!」
固い握手。その横で、チェロが早速兵站資料を広げていた。
「失礼ながら将軍、弾薬の在庫管理がずさんです。この消費率では蜂起から48時間で弾切れを起こしますわ」
「おい、到着して5分で俺の軍を批判するのか!?」
「事実を述べただけですわ」
バルガスの部下たちが引きつった笑いを浮かべる中、チェロは容赦なく鉛筆を走らせ始めた。
◇◆◇◆◇
同じ頃。スラムの中心部。
「――だから言ってるだろう! 軍人と手を組むなんて、死んでもお断りだ!」
オメガの怒声が、廃工場の天井を震わせていた。
三馬鹿は壁際で小さくなっている。……いや、コルネとユーフィは小さくなっていたが、ボーンだけは拡声器を構えてオメガの怒声を録音していた。
「アタシの仲間が何人あいつらに殺されたと思ってる!」
オメガの拳は白くなるほど握り締められていた。
「……分かるよ、オメガさん」
コルネが、いつもの元気な声ではなく、静かに言った。
「ボクたちだって帝国軍に何度も壊された。……でもね、ボクが知ってるバルガスのおじさんは、ロジウスに消されそうになった部下を自分の体で庇った人だよ。スラムの浄化作戦の時も、こっそり子供たちを逃がしてた兵士がいたんだよね、ボーン」
「うん。あたし、嘘は言わないよ。あのおじさんの目は、スラムを壊したい奴の目じゃなかった」
ボーンが珍しく声を落として言った。拡声器を膝の上に置いている。
ユーフィがギャルっぽい語尾を引っ込めて続けた。
「信用できないのは当たり前じゃん。だから母様が言ってたよ。『あの人の本気を、あんたの目で確かめて』って。……ねぇ、直接、会ってみない?」
オメガが長い間黙り込んだ。
「……一度だけだ。そいつが少しでも嘘をついたら、このレンチで頭を叩き割る」
三馬鹿が顔を見合わせ、通信機を掴んだ。
◇◆◇◆◇
翌日の早朝。
スラムの外縁部、廃ビルの谷間。
私はアークの通信室で、リディアのドローンが送ってくる中継映像を固唾を飲んで見守っていた。
カイルが前日のうちに従者隊を走らせ、面会場所の安全を確保していた。屋上にはルーテが光学迷彩で潜伏し、路地の影にはハープが超音波センサーを張っている。エグゼの追跡と並行しての警護任務。暗部の掃除屋は忙しい。
バルガスが来た。丸腰だった。大剣も甲冑も置いてきた。纏っているのは、泥を被った質素な平服だけ。
十メートルの距離を挟んで、二人は対峙した。
バルガスが、先に膝をついた。
帝国の名将が、スラムの泥の上に巨大な膝を押し当て、頭を垂れた。
「俺はバルガス。元帝国軍第一師団長。今はただの反逆者だ。……俺は軍人として民を守るために剣を取った。だが、守れなかった。この街を焼いたこともある。その罪は消えない。だからこそ、今度は民と共に戦いたい。……頼む」
沈黙が、永遠に感じられた。
廃ビルの影で、コルネが拳を握り締めている。ユーフィが唇を噛み、ボーンが録音を止めて目を瞑っていた。
「……立ちな」
オメガが手を差し出した。
「裏切ったら、このレンチでアンタの頭を叩き割る。それだけは覚えておきな」
バルガスが、その小さな手を巨大な掌で包み込んだ。
「……腹は減ってないかい、将軍サマ。うちのスープは世界一不味いが、量だけはあるよ」
「……ありがたい。実は、昨日から何も食っていない」
オメガの号令で、スラムの住人たちがおっかなびっくり動き始める。かつての敵に食事を差し出す。その手は震えていたが、誰一人として拒まなかった。
◇◆◇◆◇
その夜。アークの屋上。
私はいつものように、リュウガと並んで帝都の暗い空を見上げていた。この地下都市には星は見えない。代わりに、スラムの焚き火の明かりが、遠くまで点々と続いている。昨日よりも、その灯りが少しだけ多い気がした。
「ねえ、リュウガ。私、今日初めて『何もしなかった』一日を過ごしたわ」
「何もしていないわけがないだろう。インフラの修理だけで十二時間は働いていたぞ」
「そうじゃなくて。……戦わなかった、ってこと。シスターズを戦場に出さなかった。私のタクトで誰かを叩き潰さなかった。……それが、こんなに怖いことだとは思わなかった」
「怖い?」
「だって、自分が動かなきゃ何も変わらないって、ずっとそう思って生きてきたから。没落してから、全部自分の手で直さなきゃ、誰も助けてくれないって。……だから、他人に任せるのが、すっごく怖い」
リュウガは何も言わず、仮想アームで私の肩を抱いた。青いノイズが微かに散るが、その腕の重みは確かに温かい。
「お前が怖がっているのは、信じることだ。自分の腕ではなく、他人の力を信じること」
「……そうかもね」
「だが、お前はもう選んだ。バルガスを、オメガを、そしてこの国の人間を信じると。……それは、お前が王都にいた頃には絶対にできなかった選択だ」
リュウガの言葉が、冷たい夜風の中で不思議と温かく響いた。
「……明日はもっと忙しくなるわよ。ルーテたちのエグゼ掃討と、ヴィオラたちの情報戦が本格化する」
「ああ。……だが今夜は、少しだけ休め。明日の修理のために」
「……うん」
私はリュウガの肩に頭を預けた。
スラムの灯りが一つ、また一つと消えていく。人々が、明日への希望を抱いて眠りについている。
この灯りを、私は守りたい。私の手ではなく、この国の人たちの手で灯し続けてほしい。
修理屋は、直したら去る。
でも、去る前に、最高の仕事をしてやるんだから。
『……母様、起きてるお? ファーファからの夜間レポートだお。全チャンネル正常稼動、各班との通信品質100パーセントだお。へその緒、今日も完璧だお』
「……ありがと、ファーファ。おやすみ」
『おやすみだお、母様。……明日も、みんなの声、繋ぐお』
小さな球体の液晶が、子守唄のように優しく明滅して、暗くなった。
ぜひご感想をお寄せください。
また評価とブックマークもしていただけると嬉しいです!!




