第69話:【決断】直すけど、奪わない
教団の白銀の聖機兵が塵となって地に還った夜。
勝利に沸くスラムの焚き火を背に、私は一人、アークのルーフに座り込んでいた。眼下では、解放されたばかりの元帝国兵たちがオメガの炊き出しに並び、スラムの子供たちがシスターズに纏わりついて離れない。コルネが自慢の大剣を振り回して子供たちを笑わせ、ユーフィが「マジ可愛くない? ウチ、この子たちのデコ担当になるんよ」とリボンを配っている。
平和な光景。
だが、私の胸には鉛のように重い「宿題」がのしかかっていた。
「――考え事か、エリー?」
背後から、聞き慣れた低い声。振り返ると、リュウガが仮想アームの右腕を月明かりに翳しながら立っていた。ピッコのアダム・パッチで再構成された彼の身体は安定しているが、あの腕だけはいまだに青いノイズを微かに纏っている。使うたびに削れる命。
「セーラに頼まれたこと、ずっと考えてたの」
私は膝を抱え直した。
『帝国との戦争状態を終わらせなさい。でなければ、極東が持たないわ』
あの日の通信で、親友にして王国の事実上のリーダー、セラフィーナが託した使命。カオスゾーンの向こうに「世界の真実」があると分かった今でも、背後で二つの国が殺し合っていては旅になど出られない。
「帝国を直さなきゃ、先に進めない。……でも」
私は、焚き火を囲む元帝国兵たちの顔を見つめた。ついさっきまで殺し合いをしていた彼らが、オメガの差し出すスープを震える手で受け取っている。
「王都でやったこと、覚えてる?」
「ああ。忘れるはずがない」
「アステリアでは、私たちが全部やっちゃった。イグニスを倒して、技術院を潰して、腐敗した貴族どもを引きずり下ろして。……シスターズの力で、全部。結果、あの国はセーラの手腕で立ち直ったけれど、もし私たちがいなかったら何も変わらなかった。アステリアの民衆は、自分の力で何も変えていないのよ」
口に出してみると、ずっと胸の奥に引っかかっていた棘の正体がようやく分かった。
「でも、あの時はそうするしかなかった。セーラの領地が戦場になって、リュウガが消えかけてて、一刻も早く王都を取り戻さなきゃ全部終わりだった。……でもここは違う。バルガスがいる。オメガがいる。この国には、自分たちで立ち上がれる人間がいるのよ」
リュウガは黙って聞いていた。
月明かりの中で、彼の瞳が静かに輝いている。Admin権限による黄金の燐光ではない。ピッコの手術を経て、アリスの記憶と再び繋がった彼の瞳は、以前よりもずっと深い、人間らしい光を宿していた。
「……もし私たちが前に出てロジウスを倒したら、バルガスは『エリーに据えられた指導者』になる。オメガは『外国人に救われたスラムの女王』になる。セーラが望んでるのはそんなことじゃないわ。あの子は、対等な相手と手を結びたいのよ。自分の足で立ってる国と……」
「俺も同意見だ」
リュウガが私の隣に腰を下ろした。
「俺のAdmin権限でロジウスのシステムを一掃することも、理論上は可能だ。だが代償がある。この腕を使えば使うほど、パッチが剥がれ、俺の身体は崩壊に向かう」
仮想アームが、言葉を証明するように一瞬だけ青く明滅した。
「だがそれ以上に、システムの力でこの国の問題を解決すれば、またアリスと同じだ。彼女は完璧な正解を与えて世界を救おうとした。その結果が、ここだ。答えを外から与え続ける限り、人間はいつまでも自分の足で立てない」
「……そうね。修理屋は直すけど、家主にはならない。直ったら鍵を渡して、さっさと次の現場に行くのが筋よ」
私は立ち上がり、アークの甲板を見下ろした。居住区では、オルガが元帝国兵の怪我を手当てし、テューバが無言で瓦礫を片付けている。ラボではピッコがデータを解析し、リディアが鹵獲したドローンの整備をヴォルフと並んでやっている。カイルは従者隊の衛兵たちに物資の配分を指示し、ファーファがその周りをぷかぷか浮いて実況している。
この一家には、それぞれの「持ち場」がある。シスターズの一人ひとりに、他の誰にも代えられない個性と役割がある。
――なら、その力を全部、「サポート」に回せばいい。
「リュウガ、作戦会議を招集して。全員、アークのブリッジに!」
◇◆◇◆◇
30分後。アークの狭いブリッジに、一家全員がひしめき合っていた。
シスターズ11人、セフィラ、ピッコ、リディア、ヴォルフ、カイルと従者隊の幹部。さらにオメガも呼ばれ、人口密度は完全にキャパオーバーだ。バルガスは既に帝国軍の内部で同志を集めている最中で、この場にはいない。彼への作戦伝達は、明日合流するうちの娘たちに託すことにした。
テューバがチェロの背中に隠れ、ボーンがコルネの頭の上に顎を乗せ、ユーフィが「狭い狭い、ウチの髪が潰れるじゃん」と文句を垂れている。
「静粛に!」
オーボエの一言で、喧騒が凍る。さすが鬼軍曹。
私はホログラムの帝都地図を展開し、全員を見回した。
「いい、みんな聞いて。ロジウスを倒すのは私たちじゃない。オメガとバルガス、あんたたちの仕事よ」
オメガが片眉を上げた。
「私たちシスターズがやるのは『サポート』。あくまで裏方。この国を取り戻すのは、この国の人間じゃなきゃ意味がない」
沈黙が落ちた。
だが、それは困惑の沈黙ではなかった。チェロが眼鏡を押し上げて頷き、オーボエがハルバードの石突を床に打ち鳴らして賛意を示す。コルネが「かっこいいじゃん、母様!」と叫び、ユーフィが「マジそれな、分かってるぅ」と親指を立てた。
「各班の配置を伝えるわ」
私はタクトを振り上げた。修理屋の指揮棒。敵を砕くためではなく、この国の人々が自分の足で立つための、最後の「補助輪」を組み上げる設計図。
「オーボエ、チェロ。あんたたちは明朝バルガスの元へ向かって。私の方針を伝えた上で、クーデターの根回しと兵站管理を支援しなさい!」
「コルネ、ユーフィ、ボーン。オメガの民衆軍を鼓舞して!」
「続いて、ルーテ、ハープ。二人はなんかずっと監視してるうざいやつら、暗部の掃除を!
「ヴィオラ、クララ、ピッコ。情報戦を支援して敵を引っ掻き回して!!」
「オルガ、テューバ。アークの直衛と医療を。リディアはドローンで偵察と鹵獲をお願い!」
「ヴォルフはセフィラのケーブル延長を急いで。カイル、あんたの従者隊は後方支援に徹して」
私は一気に、計画を巻くしたてた。
「……母様」
セフィラが、真紅の瞳を真っ直ぐに私に向けた。
「ヴォルフにはケーブル延長の指示がありました。ですが、わたくし自身への指示がありません。……わたくしは、何をすればよいのですか?」
その声は無機質なのに、どこか拗ねているようにも聞こえた。
「あんたは最後の砦よ、セフィラ。ロジウスが次元震を起こした時、この街を物理的に支えられるのはあんただけ。それまでは、アークの側で待機しなさい。……あんたの出番が来ないのが一番いいけど、来た時には全部任せる。いいわね?」
「……了解。……最後の砦。……悪くない響きです!」
セフィラが僅かに口角を上げた。その横で、ヴォルフが「お前の出番を作らないのが俺の仕事だ。だけどよ、ケーブルは、最高の状態にしてやるからな」とスパナを肩に担いだ。
私はふたたび大きく息を吸った。
「あと、リュウガのAdmin権限は、最後の最後まで使わない。あんたは切り札じゃなくて、私の助手よ。いいわね?」
「了解した、奥様」
リュウガが不敵に笑った。私の心臓が無駄にうるさくなるのを自覚しながら、私は最後に全員を見渡した。
「明日から、この一家はバラバラになる。……でも、それぞれの持ち場で、この国の人たちのために最高の仕事をしてきなさい。修理が終わったら、ここに帰ってくるのよ。全員で。一人も欠けずに!!」
「「「了解、母様!」」」
11人の声が、狭いブリッジを震わせた。
◇◆◇◆◇
散開の前夜。最後の晩餐を囲むアークの食堂は、いつも通り騒がしかった。
コルネがユーフィとボーンを巻き込んで「最後の三馬鹿漫才」を披露し、ヴィオラがクララと共に「明日の作戦における最適な悪役令嬢笑いの角度」を真剣に議論している。オルガが全員分のスープをよそい、ハープがルーテの装備を黙々と点検していた。
テーブルの端では、テューバがこっそりリュウガの仮想アームを磨いていた。青いノイズの上から、丁寧に、丁寧に。
「……テューバ?」
リュウガが気づくと、テューバは顔を真っ赤にして手を引っ込めた。
「き、汚れが……。母様が悲しむから……」
「……ああ。ありがとう、テューバ」
その言葉に、テューバは蒸気が出そうなほど赤面してハンマーの影に逃げ込んだ。
『てぇてぇ最大値だお! テューバのデレは世界遺産級だお! 永久保存だお!』
「ファーファ、あんたも寝なさいよ。明日から忙しいんだから」
『……ねえ、母様。みんなに役割があるのに、ファーファだけ名前が呼ばれなかったお』
いつもの能天気な語尾が、ほんの少しだけ萎んでいた。宙に浮かぶ小さな球体が、液晶をしょんぼりと暗くして私の前を漂っている。
「……あんたには、一番大事な仕事があるでしょ」
私はファーファの球体を両手で包み込んだ。
「全員がバラバラになっても、あんたが通信を繋いでくれるから、私たちは家族でいられるの。ファーファは、この一家の『へその緒』よ。あんたがいなきゃ、誰の声も届かない」
ファーファの液晶が、パッと明るくなった。
『……へその緒! ファーファ、へその緒なんだお! 最重要インフラだお! ……えへへ、母様に褒められちゃったお。明日から張り切っちゃうお! 全チャンネル同時接続で、てぇてぇを世界に届けまくるお!』
「……褒めたら、すぐ調子に乗るんだから」
月明かりの下、不完全な修理屋の、最も重い決断の夜が更けていった。
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