第62話:【地下】帝都スラム、生活班長の「規律ある潜伏」
帝都ガレリアの最下層に広がる地下スラム「ジャンク・シティ」。
かつて「トウキョウ」の地下鉄網だった場所は、今や鉄屑と蒸気、そして光から見捨てられた人々が蠢く巨大な迷宮と化していた。
アークが廃駅のホームに滑り込んだ時、スラムの住人たちは、まるで未知の巨大生物を見るような目で遠巻きに私たちを監視していた。油汚れに塗れた大人たちは、錆びついたレンチを握りしめ、いつでも逃げ出せるように身を潜めている。
「……エリー、焦るな。まずはここに潜伏し、3日は情報収集が必要だ」
パッチによる激痛に耐えながら、リュウガが静かに、しかし断固とした口調で告げた。自分の命のカウントダウンが始まっているというのに、彼の瞳は恐ろしいほど冷静だ。
「王都の時は土地勘があった。だがここは敵の心臓部だ。メインフレームの正確な位置も、守備兵の交代時間も分からないまま突っ込めば、いくらシスターズの戦闘能力があったとしても、文字通り消去される」
「……分かったわ。あんたがそう言うなら、我慢する。その代わり、準備が整ったら一気にブチ抜くわよ」
潜入から数時間、四女ルーテによる「清掃プロトコル」が発動された。
八女テューバは一言も発さず、数十トンはある瓦礫を軽々と運び出し、十女ボーンが槍の熱量で壁の煤を焼き払う。九女ハープは超音波で不衛生な空間を物理的に消毒していく。
「不潔ですわね。2500年前なら肺を病むレベルですわ」
ピッコは文句を言いながらも、スラムの壊れたドローンを修理し、ルーテの掃除を手伝わせていた。そんな中、物陰から様子を伺っていた子供たちに、二女オルガ、三女コルネ、五女ユーフィ、十女ボーンの面々が接触を開始する。
「お腹、空いていませんか? 暖かいスープがありますよ」
オルガの微笑みとボーンの「ヒャッハー!」な明るさに、子供たちの警戒心はすぐに霧散した。ユーフィが長刀で器用に手品を見せると、スラムには久しぶりに笑い声が響いた。
駅の裏手では、ヴォルフがジャンク屋たちと車座になって座り込んでいた。そこへ、ボロ布を纏った武装集団が音もなく近づいてくる。
「……誰だ。見慣れねえツラだな。ここらにゃ、余所者に分ける空気(酸素)はねえんだよ」
リーダー格の男が錆びたナイフをちらつかせる。リディアが反射的に腰の銃に手を伸ばすが、ヴォルフがそれを手で制した。
「落ち着けよ、兄弟。……この『汚れた油の臭い』、覚えがねえか? 俺も昔はここの駅裏で、腐ったギアを回してた身だ」
ヴォルフが胸元の古びた認識票を見せると、男たちの殺気が僅かに和らぎ、驚愕へと変わった。彼らこそ、帝都の支配に抗うスラムの叛乱軍「ジャンク・エコー」の尖兵だった。
「ヴォルフ……あんた、本気でここの出身なのね。でも、なんで今まで黙って……」
リディアの呟きに、ヴォルフは自嘲気味な笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。だがもう20年も前の話だ。当時は治安維持部隊に追いつめられて、ゴミ運搬船の底に潜り込んで命からがらこの街を脱出したのさ。……正直、今の帝都の細かい内情や中央塔の警備ルートなんてのは、俺にもさっぱり分からねえ。だから、ここの『現役』の連中の協力が必要なんだ」
ヴォルフが油の染みた手でスラムの男と握手する。その様子を少し離れた場所から見ていたリディアが、一瞬だけ寂しげに瞳を伏せた。
身分の差、育った環境の違い。そして、彼が自分たちの知らない凄絶な過去を背負い、たった一人でこの地獄を生き延びてきたという事実。その彼女の心の震えを、白銀の特務機セフィラの真紅の瞳が捉えていた。
「……個体リディア。精神波形に『隔離性』を確認。座標上の距離は0ですが、内部領域の隔たりは埋まっていません」
セフィラが無機質な声で分析を口にすると、その傍らに六女ヴィオラが蛇腹剣を弄びながら優雅に歩み寄った。
「お可哀想に。あの方、自分だけが『あちら側(泥の中)』に行けないことを、少しだけ悔やんでおられるようですわね」
「……理解不能。母様のハンダ付け、あるいはマスターの管理者権限で、その『心の距離』を補正することは可能ですか?」
「いいえ。それはリュウガ様でもお母様でも直せない不条理。……自分たちで橋を架けるしかない、最も原始的で、最も厄介なバグですわ」
ヴィオラの言葉に、セフィラは無言でリディアの後ろ姿を見つめ続けた。
その日の夜、隠れ家で「家族の宴」が開催された。
ジャンク・エコーのメンバーも加わり、焚き火を囲む夕食会。私はピッコに詰め寄っていた。
「見た、ピッコ!? これが私のシスターズよ! あんたの知識じゃ一生かかっても作れない『愛のハンダ付け』の結晶なんだから! どーお、参った!?」
鼻を高くしてドヤ顔を決める私に、後ろから二女オルガの手が伸びる。「みちっ」と私の頬を挟み込んだ。
「……母様。図に乗って、原始人みたいに吠えてはいけません。……ね?」
「ふ、ふがっ……! オ、オルガ、手が痛いわよぉ!」
シュンとする私に、今度は十一女オーボエの冷徹な指摘が飛ぶ。
「指揮系統の乱れですわ、お母様! その無意味に高い鼻の角度は、戦術的な死角を生み出しますわよ!」
「お母様の鼻の下、これ以上伸ばすと三号車の収納スペースが足りませんですぅ!」
長女チェロまでがテキパキと在庫を整理しながら呆れた声を上げる。
『お母様、今日一番のドヤ顔ゲットだお(゜∀゜)! 「娘自慢が止まらない原始人の図」として永遠にアーカイブだお!』
ファーファが騒々しく私の顔をスキャンし、空中にホログラムの静止画を投影する。
「これは、久々にてぇてぇですわ。……母様、もっとドヤってもいいのですよ……」
七女クララが鉄扇で口元を隠しながら、瞳を輝かせてその様子を小型カメラで連写していた。
「ちょっと! みんなして寄ってたかって! リディア、あんたからも何か言ってやってよ!」
助けを求めた通信の先、リディアは猛烈に不機嫌そうな声で吐き捨てた。
「……うるさいわね。ピッコ、その原始人の自慢話なんてただのバイアスのかかった不正確なログよ。……大体、こっちは油臭いスラム育ちの男のせいでイライラしてるんだから、あんたも黙りなさい!」
「リ、リディアぁ! それ完全にヴォルフへの八つ当たりじゃないのぉぉ!」
「八つ当たりじゃなくて正当なストレス発散よ、この原始人!」
ラボのピッコは、通信機越しの罵り合いに心底呆れたように肩をすくめ、隣で笑うリュウガに呟いた。
「……よくこんな支離滅裂な集団を率いておられますわね。……ふん、まあ、論理的には説明のつかない『退屈しないデータ』ではありますけれど」
ピッコは一瞬、私の方を向き、小さな声で言った。
「……エリアーナ。貴女を、この時代における私の『お母様(みたいな存在)』と定義してあげますわ。……暫定、ですけれど」
「……ピ、ピッコぉぉぉ! 今、お母様って言った!? 言ったわよねぇぇぇ!」
私が号泣してピッコに抱きつくと、彼女は真っ赤になって暴れた。リュウガが優しく私の頭を撫でる。
――だが、その幸福な時間は、地響きと共に断ち切られた。
『警告。スラム浄化プロトコル、執行』
地下の闇を、治安部隊の巨大な重戦車のサーチライトが白く焼き切る。導師ゼロの号令のもと、鉄の波が雪崩れ込んできた。
「全機、迎撃態勢! お父様とお母様の宴を邪魔する客は、わたくしがデリートいたしますわ!」
十一女オーボエがハルバードを抜き放つ。スラムの住民やジャンク・エコーの男たちも武器を手に立ち上がる。スラムの鉄屑が中央塔を穿つ反撃の時は、もう目前に迫っていた。
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