第59話:【執刀】応急手術、脳内のマザー・サーバー
静寂に満ちた診療フロアが、一瞬にして電子の戦場へと変貌した。
カプセルから這い出した「外科医」ピッコは、私の動揺など気にも留めず、空中に無数のホログラフ・コンソールを叩き出していた。
「原始人メガネ、ボサッとしていないで手を動かしなさい! これよりリュウガ様の精神世界へダイブし、崩壊したセクタを物理的に固定しますわ。ポニテ、短髪、不浄なノイズを遮断なさい! お団子頭、貴女は私の冷却水になりなさい」
「は、はいっ!」
「……了解。……掃除します」
ピッコの容赦ない指示に、シスターズたちが翻弄されるように動き出す。
私もまた, 彼女が突き出した接続端子を震える手で受け取った。
「いいですわね、原始人メガネ。貴女の役割は一つ。リュウガ様の『個我』の境界線が消失しないよう、その未開な感情エネルギーで強引に繋ぎ止めることですわ。……精神接続、開始!」
視界がホワイトアウトし、私の意識はリュウガの深層意識へと叩き込まれた。
そこは、崩れ落ちる記憶のビル群が広がる、地獄のような廃墟だった。
空からは文字情報の雨が降り注ぎ、地面はポリゴン状に剥離して果てしない深淵へと消えていく。
「……酷い。これが、リュウガの頭の中……?」
「感傷に浸っている暇はありませんわ! 前方に損傷セクタを確認。システム保護のため、直ちにこれらを削除し、基板を洗浄します」
ピッコが冷徹にホログラフの鎌を振り上げ、ノイズの走るビルの断片を切り捨てようとした。その瞬間、私はそのビルに映し出された映像を見て、ピッコの腕に飛びついた。
「待って、ピッコ! そこを消しちゃダメッ!!」
「離しなさい、原始人メガネ! そこは既に論理破綻したゴミ(エラー)ですわ!」
「ゴミじゃないわ! そこは……雪の中で私が初めて彼を拾った時の思い出よ! 彼が初めて私に『ありがとう』って言った場所なの!」
ピッコが目を見開く。論理教の聖域で育った彼女にとって、エラーとは取り除くべき毒でしかない。だが、私にとっては、それこそがリュウガという人間を構成する大切な『部品』なのだ。
「消させない。……再定義……。これはエラーじゃない、リュウガの『生存必須データ』よ!」
私は愛という名の、計算不能な直感を走らせた。崩れゆくビルの表面に、私の感情エネルギーをハンダ付けするように流し込む。
消えるはずだったノイズが、私の想いを受けて黄金の光に変わり、強固な実体として定着していく。ピッコは呆然とそれを見つめていた。
だが、私たちの介入を拒むように、精神世界の中心から巨大な白銀の防壁がせり上がった。
そこから現れたのは、美しく、けれど血の通わない冷たさを湛えたアリス・アルテミシアのホログラムだった。
『……リュウガ。これ以上の不自由は許しません。これ以上の苦痛も、不合理も』
アリスの姿をした「守護プログラム」が、慈悲深い声で宣告する。
『貴方を完全な機械へと戻します。そうすれば、貴方は永遠の安らぎを得る。人の形を保つからこそ、貴方は壊れ、苦しむのです。……愛しています、リュウガ』
アリスの「愛」は、過保護なまでの「機能停止」だった。彼女はリュウガを救うために、リュウガの人間としての心を殺そうとしている。
「違う……違うわよ、アリス!!」
私は叫び、アリスの防壁の前に立ちふさがった。
「彼は……リュウガは、不自由でも、どんなに苦しくても、私と一緒に生きたいって言ってるの! 完璧な機械になんてなりたくない、不完全な私の旦那様でいたいって、彼の魂が叫んでるのが聞こえないの!?」
精神世界がアリスの防衛システムによって激しく震動する。それと同期するように、塔の外部では総力戦が繰り広げられていた。
「母様、危ないっ!」
ハインリッヒの飛行艇が放った、空間を抉る「次元貫通弾」が塔の外壁を無慈悲に削り取る。屋上のセフィラは、アンビリカルケーブルが焼き切れる寸前の負荷をかけ、全身から青白い放電を撒き散らしながらその砲火を相殺し続けていた。
「……マスター。……お守り、します」
そのセフィラを支えるべく、地上のアーク全車両が咆哮を上げる。カイル隊長の号令一下、固定砲座が一斉に火を噴き、ヴォルフはエンジンの回転数を限界まで引き上げて全電力をシスターズへとバイパスしていた。空を覆うリディアのドローン部隊が自爆特攻を繰り返して敵のセンサーを幻惑する。
「あーっはっほっほ! 邪魔だ邪魔だぁ! ボーン、撃ち込んでやるから覚悟しろおッ!」
「うんうん!」
塔のテラスで三女コルネが極大の火焔を練り上げ、五女ユーフィが長刀を鋭く振り抜き真空の渦を巻き起こす。その中心に、十女ボーンが高熱の突撃槍を構えて飛び込んだ。
ユーフィの風が爆炎を加速させ、火薬反応を超えた爆縮現象が発生する。
「家族連携技――プロミネンス・シュート!」
コルネとユーフィの全力の「射出」を受け、ボーン自身が紅蓮の彗星と化して天空へ直進。防空圏を展開する飛行艇の重装甲を、まるで熱したナイフでバターを切るように次々と貫通し、内部から爆発させていく。
その火柱をガイドラインにするように、六女ヴィオラが高笑いと共にレールガンのトリガーを引き、七女クララが精密射撃で墜落する敵機のエンジンをダメ押しで射抜く。長女チェロと八女テューバは塔の入口に重厚な弾幕を張り、物理的な侵入を1ミリも許さない。
精神世界では、外部からの衝撃波を一身に浴びながら、ピッコが自らの回路が焼き切れるのも厭わず、私の盾となった。
「……原始人メガネの癖に、熱いことを言ってくれますわね。……ええ、認めますわ。私は、2000年前の記録ではなく、今この瞬間に生きている、欠陥品で愛おしいリュウガ様を直したい!」
「ピッコ……!」
「原始人メガネ! 最後の演算、合わせなさい! 私たちが彼の未来をこじ開けるのですわッ!!」
「言われなくても!!」
私の「愛の演算」と、ピッコの「超外科工学」が、一点で交差した。
ドォォォォォンッ!!
アリスの防衛線が砕け散る。その光の渦の中で、私は見た。リュウガの精神の核、そこに私の姿が、唯一の「存在の拠点」として刻まれているのを。私こそが、彼の崩壊を繋ぎ止める最後の一行のコードだった。
……手術を終え、意識を現実に戻したピッコは、ひどく疲弊した様子で深く息をついた。
「……原始人メガネ。喜びなさい。……彼は助かりましたわ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、私の我慢は限界を迎えた。
「リュウガぁぁぁッ! よかった、本当によかったよぉぉぉおおおおお!!」
鼻水混じりの涙をボロボロと流し、私はなりふり構わずリュウガの胸に飛び込んだ。ドレスはボロボロ、顔はグシャグシャ。自分でもひどい顔だとわかっているけれど、もうどうでもいい。
「……エリー……」
リュウガが、ゆっくりと目を開けた。彼は消えかかっていた左手を震わせながら、私の頬に触れ、力なく、けれど優しく微笑んだ。
「……泣きすぎだ。……鼻水、出てるぞ」
「うるさぁぁぁい! あんたが消えそうだったからでしょぉぉぉ!!」
そんな私たちの様子を、ピッコは半ば呆れ、半ば「引き気味」の表情で眺めていた。
「……何ですの、その無様な姿。衛生概念の欠片もありませんわね。……けれど」
ピッコはふっと視線を逸らし、その幼い唇の端をわずかに綻ばせた。
「……貴女のその『不合理な情熱』だけは、本物だと認めてあげますわ」
彼女は震える指先で、眠るリュウガの胸元――実体を取り戻した彼の身体を指した。
「ですが、これはあくまで一時的な『延命』ですわ。……マザー・サーバーとの同期不全は、もはやこの塔の設備だけでは修復不能。……彼を完全に救うには、帝都にある『メイン・フレーム』を物理的に叩き壊すしかありませんわ」
「延命……。でも、まだ終わりじゃない。……そうよね?」
私はリュウガの手を強く、離さないように握りしめた。アリスの「過保護な愛」という名の呪縛は、まだ解けていない。けれど、彼が私を求めている限り、私は地の果てまで、この救済の轍を走らせ続ける。
「い、行きましょう。……帝都へ。……あんたの全部を、私が取り戻してあげるんだから!」
北の塔を背に、救済キャラバンは次なる決戦の地、帝都へとその機首を向けた。
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