第58話:【祈祷】北の塔、アリスの「祈り」
ゲートが閉じた瞬間、背後でシュナイダーの要塞が崩壊する轟音が遠のいた。
だが、北の塔の内部は決して安息の地ではなかった。
「……侵入者、排除。……防衛プロトコル、フェーズ1」
無機質なアナウンスと共に、天井のハッチから蜘蛛のような形状をした多脚防衛ドロイドが次々と這い出してきた。
「お父様と母様を狙わせるわけにはいきませんわ! ルーテ、ハープ、オルガ! 私に続きなさい」
十一女オーボエがハルバードを一閃し、先陣を切る。私は右腕を失い、青いノイズを撒き散らしながら崩れゆくリュウガを必死に抱え、彼女たちの背中を追って螺旋階段を駆け上がった。
四女ルーテが影から飛び出し、ドロイドの関節に振動ナイフを突き立て、九女ハープが超音波で敵の電子頭脳を焼き切る。
「大丈夫ですよ、母様。父様は私たちが守りますから」
二女オルガが慈愛に満ちた笑みを浮かべ、バリアを展開して降り注ぐレーザーを弾き飛ばす。私たちは防衛ドロイドの死骸を乗り越え、最上階の診療フロアを目指して走り続けた。
一方、塔の外では空を覆う絶望が渦巻いていた。
おそらく工業都市ヴォルガや検問所での私たちの行動から、行き先を完全に予測されていたのだろう。ハインリッヒ率いる帝国の装甲飛行艇艦隊、十隻が塔を包囲するように旋回を開始していた。
「ちょっと、冗談でしょ!? 飛行艇が十隻!? 戦艦一隻でも出てきたら詰みなのに、この物量は反則よ!」
一号車の屋根でモニターを監視するリディアが、悲鳴のような声を上げる。要塞が援軍を呼んだにしては、あまりに到着が早すぎる。まるであらかじめ網を張っていたかのような手際だ。
けれど、彼女の不安を余所に、外に残った娘たちは不敵に笑っていた。
「おーっほっほっほ! そんな無粋な空飛ぶ鉄屑、わたくしの瞳で塵にして差し上げますわ」
六女ヴィオラが高らかに笑い、七女クララと共に一号車のレールガンを起動させる。屋上では特務機セフィラが巨剣を抜き放ち、アンビリカルケーブルから供給される膨大な電力を帯びていた。
ドォォォォォンッ!
空を裂く閃光。ヴィオラの狙撃が飛行艇の主機を貫き、続いて三女コルネが放った極大の火炎と五女ユーフィの斬撃が、低空で旋回する敵機を次々と火だるまに変えていく。長女チェロは複数の砲身を高速回転させ、敵の侵入路を火の海にして弾幕を絶やさない。
「(うんうん)」
八女テューバは無言で満足げにうなずきながら、手にしたロケットランチャーを無秩序に乱射し始めた。吹雪の中、帝国の飛行艇は文字通り「物理の暴力」によって粉砕されていった。
診療フロアに辿り着いた瞬間、空気の質が変わった。
外界の煤煙もノイズも届かない完全なクリーンルーム。そこには、4000年という時の流れを拒絶するような、不自然なほどの静寂が満ちていた。
ホールの中心。一台の古い蓄音機のような装置から、バッハの旋律――『G線上のアリア』が流れ始める。
今から二千五百年も前、人類が文明を謳歌していた時代の、失われたはずの『祈り』。アリス・アルテミシアがこの塔の核として遺した、世界への遺言。その澄んだ音色は、死の淵に立つリュウガの意識を、かろうじて現世に繋ぎ止めているように見えた。
その奥に鎮座していた青い医療カプセルが、重厚な圧力を逃がしながら開いた。
溢れ出す冷却液の中から、一人の少女がゆっくりと身を起こす。プラチナホワイトの髪を濡らし、金色の瞳を不安げに揺らす、110cmほどの幼い少女。
「……ここ、は……。私は……だれ……?」
少女は震える手で自分の身体を抱き、言葉を失っていた。覚醒直後の意識混濁。私はリュウガを床に寝かせ、藁にもすがる思いで彼女に縋り付いた。
「お願い、あんた……あんたなら、リュウガを……彼を助けられるんでしょ! 何とかしてよッ!」
「リュウガ……? その個体、データが……崩壊して……。私は、何も……」
少女が戸惑う中、背後から追いついたオルガが優しく彼女の肩を抱き寄せた。オルガはカプセルの傍らに置かれた、2000年前の「ピッコロ」という楽器の刻印に目を留め、微笑んだ。
「大丈夫ですよ。名前を思い出せないなら、とりあえず私たちが呼んであげます。ね、この楽器から取って『ピッコ』でいいかしら? ちっさくてとっても可愛いですし」
オルガの包容力に圧倒されたのか、少女は数回まばたきをした。
だが、その瞬間。彼女の金色の瞳が鋭い燐光を放ち、周囲の空気が凍り付いた。瞳の奥で膨大なログファイルが超高速で読み込まれ、停止していた「人格」の歯車が噛み合う。
「……ピッコ。……記録照合完了。第一メンテナンス・ユニット……コードネーム『ピッコロ』。個体名、受領しましたわ」
少女の声から、先ほどまでの幼い震えが消え失せた。
彼女はゆらりと立ち上がると、濡れた髪をひと振りし、私の服の裾を汚物でも見るような目で見下ろした。
「……それにしても、喧しいですわね。二千五百年も経てば、人類はこれほどまでに退化するものかしら? そこの汚らしい格好をした自称・技術者の原始人」
「げ、原始人……!? 何よあんた、いきなり――」
「黙りなさい。耳障りな周波数ですわ。……それからそこの女。不躾に触れないでくださる? 貴女のナノマシン構成、あまりに前時代的で鳥肌が立ちますわ。旧世代の失敗作に愛でられる筋合いはありません」
ピッコはオルガの手を冷酷に振り払うと、床に倒れるリュウガを冷ややかに見下ろした。その指先が空中に触れると、物理的なボタンなど存在しないはずの空間に、緻密な外科用ホログラムが展開される。
「リュウガ様……。よくぞ1年近くも、このような原始的なパッチだけで稼働し続けてこられましたわね。ある種の奇跡かしら。ですが、それももはや限界。今のボロボロな貴方は、私なしでは1時間も保たない欠陥患者なのですから……」
彼女の指がリュウガの胸元をなぞる。それだけで、私の施した応急処置パーツがパリンと音を立てて砕け散った。
「原始人。貴女の施したこの『ゴミ』のせいで、彼の基板が余計に傷つきましたわ。……未亡人になりたくないのであれば、そこでメスでも磨いていなさい。私が『本物の外科工学』を教育してあげますわ」
ピッコの不遜な笑みが、診療フロアの白銀の光に冷たく反射する。
突如として現れた13人目のイレギュラーは、現代の技術体系を根底から否定する圧倒的な「格」を見せつけるように、リュウガの深層意識へとその指先を沈めていった。
階下からはシスターズの咆哮が、屋上からはセフィラの剣鳴が響く。
アリスの「祈り」が込められたこの塔で、リュウガを巡る、そして二人の技術者の意地をかけた、最後の再定義が始まった。
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