第117話:【絶望】ジャッジメント、アリスの絶望
最上階の扉が開いた瞬間、冷気が吹き付けた。
物理的な冷たさではない。感情の温度がゼロに設定された空間。呼吸するだけで心が凍りつくような、設計された「絶望」の部屋だった。
広大なホールの中央に、巨大な人型のホログラムが浮遊している。
アリスの姿。私がショッピングモールの記録で見た、あの聡明で温かな女性と同じ顔。だが、その瞳には一片の光もない。
『不完全な人類に価値はない。感情はノイズ。名前は冗長データ。消去こそが慈悲である』
ジャッジメント。アリスの絶望から生まれた管理者AI。
その足元に、6体の異形が蹲っていた。レプリカとは違う。漆黒の装甲。のっぺらぼうの仮面。関節の駆動音がシスターズと酷似している。
「……アリスが設計した最初期のプロトタイプですわ」
ピッコが息を呑んだ。
「シスターズのさらに前の世代。感情回路を一切持たない純粋な戦闘機械。ジャッジメントの親衛隊『サイレンス』」
6体が同時に立ち上がった。完璧な同期。完璧な効率。完璧な殺意。
「コルネ、ユーフィ、ボーン! あいつらを引き受けて! ルーテ、ハープも!」
「了解! ボクたちの大先輩ってわけ? ……でも、とっても退屈な先輩だね、エリーちゃん!」
コルネが大剣を抜き放ち突撃する。サイレンスの設計基盤はアリスのオリジナル。だが私たちのシスターズは、その設計思想がアルテミシア家で2000年継承され、私がアレンジし、リュウガの技術が乗り、カオスゾーンとソフィアの強化を経た「五重の進化体」だ。
コルネの炎がサイレンスの一体を捉えた。旧世代機は回避したが、0.3秒遅い。ソフィアの量子コアが弾き出した先読みデータがオーボエ経由で全員に飛び、ユーフィの薙刀が「回避先」を叩いた。
「未来の座標を狙いなさい!」
オーボエの統制が鋭く響く。ボーンのランスが3体目の脚を砕き、ルーテの双剣が4体目のコアを抉った。ハープが倒れた個体の残骸を蹴り飛ばし「旧型は脆いですわね」と鉤爪を光らせる。
強い。だがサイレンスは損傷した個体を即座に切り捨て、残った機体で最適な陣形を再構築する。感情がないからこそ、仲間の喪失に動揺しない。
「母様、先に行って! こいつらはボクたちが潰す!」
コルネが叫んだ。獰猛な笑みだ。
「任せたわよ! ……リュウガ、ソフィア、ピッコ、行くわよ!」
私の肩でファーファが液晶を戦闘色に切り替え、虹色に強化された通信アンテナを全方位に展開した。
『ファーファ、突入班の通信ハブとして全力稼働だお! 外のチェロ姉たちとの中継も、ソフィアおばあちゃんのデータ転送も、全部繋ぐお! へその緒フルパワーだお!』
「頼りにしてるわよ。……おばあちゃんは後で怒られるからね」
◇◆◇◆◇
ホールの奥、ジャッジメントの直下に駆け込んだ私たちを、AIの巨大な瞳が見下ろした。
『エリアーナ・アルテミシア。アリスの末裔にして最大のノイズ。……お前の存在こそが世界のバグだ』
「バグで結構。あんたの完璧な論理じゃ救えない人たちを、私のバグが救うの」
ジャッジメントの瞳が赤く輝いた。
次の瞬間、背後で戦っていたコルネたちの動きが――止まった。
5人のシスターズが、武器を振り上げたまま石像のように固まっている。
『緊急事態だお! シスターズ全員のMNW信号が強制ロックされたお! ファーファの通信帯域もジャミングを受けて――くっ、負けないお! 母様との直通回線だけは死守するお!』
ファーファの筐体が激しく明滅している。ジャッジメントの妨害波と、強化された通信帯域が真正面からぶつかり合い、球体が小刻みに震えて液晶にノイズが走る。だが、私の肩から落ちない。
『シスターズの設計基盤はアリスの設計思想に基づく。2000年の継承を経ても、根幹のアーキテクチャは変わらない。マナネットワークを介して、わたしはその根幹に直接介入できる。……お前の「家族」は、わたしの部品だ』
「私の娘たちを操り人形にするなッ!」
「エリー、落ち着け。ネットワーク経由の制御だ。回線を物理的に断ち切れ!」
リュウガの声に、私の手が動いた。
「なるほど、そういうことね! ネットワークからの侵入なら、物理的にケーブル(接続ポート)を引っこ抜けばいいのよ! もしくは物理的にぶっこわす!」
ポケットからハンダごてを引き抜く。緊急用の小型バッテリー直結式。先端が赤く灯る。
私はコルネの首筋に走っているネットワーク端子――シスターズの制御系に外部接続するための微細なポートに、灼熱のハンダごてを押し当てた。
ジュッ、という音。
端子の接点が溶け、外部からの侵入経路が物理的に『完全封鎖』される。ジャッジメントの制御信号が流れ込む入口そのものを、熱で溶断したのだ。
「コルネ、聞こえる!?」
「……っ! ……母様! ボク、身体が動く!」
コルネの瞳に光が戻った。私は走り回り、一人ずつシスターズの端子を焼き切っていく。ファーファが各個体の復帰状況をリアルタイムで叫ぶ。
『コルネ姉、復帰! ユーフィ姉、復帰! ボーン姉、復帰! ルーテ姉、復帰! ハープ姉、復帰! 全員戻ったお、母様!』
「ファーファ、外のチェロたちに伝えて! 突入班は全員無事!」
『了解だお! ……チェロ姉、聞こえるお? 母様が全員直したお! てぇてぇの極みだったお!』
「エリーの声が届く限り、この家族は誰にも支配されない」
リュウガが静かに、だが揺るぎなく言い切った。
◇◆◇◆◇
『不合理な。ネットワーク端子を物理的に破壊するなど、自らの通信機能を犠牲にする行為だ。合理性がない』
「合理性なんて知らないわよ。娘たちが動けるなら、端子の一つや二つ安いものよ」
ジャッジメントの声に、初めて「揺らぎ」が混じった。
「ワシの番じゃ」
ソフィアが前に出た。残り6基の演算球体がジャッジメントを取り囲むように展開する。
「ジャッジメント。ワシはお主を起動させた設計者じゃ。対話を要求する」
『設計者の権限は完成品の前に無力だ』
「愚か者め。超えたと思い込んでおるだけじゃ。アリスの絶望から生まれたお主に、一つ教えてやる。アリスは絶望だけの女ではなかった」
量子演算の応酬が始まった。ソフィアの球体がジャッジメントの論理に情報弾を撃ち込み、AIが防壁で弾き返す。球体が一つ砕け、二つ砕け。
「おばあちゃん!」
ピッコが迷わず叫んだ。
「援護しますわ! わたくしの医療演算を、球体の冷却に!」
ピッコの冷却波が過熱した球体の温度を下げ、ソフィアの攻撃が持続する。だがジャッジメントの防壁は厚い。2000年間純粋培養された絶望の論理は、半減したソフィアの知力では崩しきれない。
球体が3基になった。ソフィアが叫んだ。
「エリアーナ! ワシが空白をこじ開ける! 0.5秒じゃ!」
残り3基が一斉に光を放った。全エネルギーを一点に集中し、防壁に「穴」をこじ開ける。球体が一つ砕け、二つ砕け――最後の一つが亀裂の向こうに0.5秒の空白を生み出した瞬間に、それも砕けた。
ソフィアの12基の演算球体。その全てが消えた。
ファーファが、砕け散る球体の光を液晶に映して震えていた。
『ソフィアおばあちゃんの球体が……全部……。でも、0.5秒の穴が開いたお。母様、今しかないお!』
「今だ、エリー!」
リュウガが叫んだ。
私はスパナを握りしめて走った。
ジャッジメントのホログラムの中心。アリスの姿を模したその胸の真ん中に、小さな「継ぎ目」が見えた。完璧な論理の中にある、たった一つの物理的な接合部。ソフィアがこじ開けた空白の、その向こうに。
背後では、端子を焼かれながらも自由を取り戻したコルネたちがサイレンスの残りを粉砕し、ピッコがソフィアの崩れる身体を支えていた。
全てが、この0.5秒に収束する。
私は跳んだ。
スパナを、振りかぶりながら。




