第115話:【敗北】ソフィアの贖罪、感情の暴走
拠点を転々とする日々が続いていた。
レプリカの追撃を受けて第二、第三と退避点を移るたび、私たちは地下の別の区画を通過する。その度にソフィアは、黙ってアークの窓から外を見ていた。
今日、彼女はついに自分の足で地上に出た。
リディアの斥候型ドローンが張った安全圏の中、帝国の白い街路をソフィアが歩いている。ピッコが付き添い、セフィラが護衛に立つ。私とリュウガはアークのモニター越しにその様子を見守っていた。
街路を歩く市民たち。番号を胸に刻み、等間隔で、無表情に、決められたルートを往復している。道端に転がった壊れた照明器具を、誰一人として拾おうとしない。
ソフィアが足を止めた。
目の前に、5歳くらいの子供が座り込んでいる。膝に擦り傷があるのに、泣かない。痛みの信号がナノマシンに遮断されて、脳に届いていないのだ。
ソフィアが膝をつき、子供の傷を見つめた。長い、長い沈黙。
「……ワシが、こうしたのじゃ」
彼女の声は、初めて聞くほど小さかった。
「次元震から守るためだった。命を救うためだった。……じゃが、この子は痛みすら感じられん。転んだことにも気づいておらん。これが、ワシの設計した『完璧な平和』の果てじゃ」
ピッコが何か言おうとして、やめた。かける言葉がないのだ。
ソフィアが立ち上がった時、その赤銅色の瞳には、科学者としての冷徹さではなく、一人の「設計者」としての贖罪の覚悟が宿っていた。
◇◆◇◆◇
アークに戻ったソフィアは、全員を集めて言った。
「のじゃデバッグは量子演算のロジックを最適化するだけの措置じゃった。あれでは数の暴力には対抗できん。……じゃから、ワシの『身体』を貸してやる」
演算球体が彼女の周囲から一つ、また一つと離れ、シスターズたちの前に浮遊していく。
「ソフィア、それはあんたの演算ユニットでしょ。手放したら――」
「ワシの処理速度が落ちる。当然じゃ。12個のうち6個を貸す。ワシの知力は半減するが、シスターズの反応速度と並列処理能力は300%まで跳ね上がる」
「おばあちゃん、それじゃあなたが――」
ピッコの声が震えた。そして自分の口から出た言葉に気づき、みるみる顔が赤くなる。
「……い、今のは。その。演算の一時的な誤作動であって、わたくしは決してそのような非論理的な呼称を――」
「構わんよ、プリシラ。あとな、半分になってもお主らよりは賢いわい。……これは技術提供ではない。贖罪じゃ。ワシが壊したものは、ワシの身を削って直す」
ソフィアが鼻で笑い、だがその目元だけが僅かに緩んでいた。
「それにしても、2000年ぶりに孫娘みたいなプリシラに『おばあちゃん』と呼ばれたのじゃ。悪い気はせんのう」
「呼んでいませんッ! 撤回しますわ、今すぐ全記録からデリートを――」
『デリート不可だお。ファーファのストレージに永久保存済みだお(゜∀゜)』
「ファーファァァァ!」
騒ぎが一段落した隅で、ファーファが液晶を暗くして床すれすれに沈んでいた。
『……みんな強くなっていくのに、ファーファだけ何もないお。球体のままだお。のじゃデバッグもマナ代謝も、肺がないから対象外だったお。……ファーファ、ただの実況マシンだお……』
「あんたは実況マシンじゃないでしょ。へその緒よ、へその緒。家族全員の通信を繋ぐ最重要インフラなんだから」
『……でも、強化してほしいお。ちょっとでいいお。せめてスピーカーの音質とか……』
ソフィアが呆れたように溜息をつき、残った演算球体の一つをちょいと突いた。微量の量子演算パルスがファーファの筐体に流れ込む。
「ほれ。通信帯域を3倍にしてやったわい。おまけじゃ」
ファーファの液晶がパァッと虹色に輝いた。
『通信感度300%アップ! 全チャンネル同時接続が余裕になったお! ファーファ、へその緒としてフルパワーだおーッ! ソフィアおばあちゃん大好きだお!』
「いちいち、おばあちゃん言うな、この丸っこいの」
ソフィアが咳払いをして、改めて全員を見渡した。
「配分を提案しますわ」
オーボエがハルバードの石突を打った。
「6基のうち2基をチェロ姉様とわたくしで分担。長女の安定化能力とわたくしの統制で、残り4基のエネルギーを全戦闘ユニットへリアルタイム配分する『指揮核』を構成します」
「残りの配分案ですわ」
チェロが引き継ぐ。
「1基はセフィラへ。単機出力が最も高い彼女に専用コアを与えれば、パッチ・オフなしで出力280%を維持できます。1基はリディア様のフェアリ・オプションの制御ハブに」
リディアが目を見開いた。
「私のドローンに量子コアを? ……修理中の30機も無理やり起動させれば100機全機の同時並列操作が可能になるわ」
「残り2基をシスターズ11人の共有コアに。MNWを介して全員がアクセスし、戦況に応じて必要な個体に演算力を集中させるのじゃ」
ソフィアが配分案を承認した。
「これでお主らは、リュウガの管理者権限による基礎設計、プリシラの外科的チューニング、カオスゾーンでのマナ代謝改造、ワシの量子演算パッチ、そして今回の並列コア貸与。五重の強化を受けたことになる。……2000年分の最高技術が、この12体に全て注ぎ込まれたのじゃ」
テューバが無言で拳を握り直し、チェロと頷き合う。コルネが「最強じゃん!」と跳ね、ユーフィが「マジ無敵っしょ」と応じた。
だが、事態はソフィアの準備を待ってはくれなかった。
◇◆◇◆◇
ハッピー・ウイルスの効果が、臨界に達した。
「全セクターで変異率が急上昇! 7%、12%、20%――止まりません!」
ヴィオラの報告。街中のノイズが市民同士の「共鳴」を引き起こし、感情パッチの揺らぎが雪崩のように拡大していた。
そしてそれは「目覚め」ではなく「爆発」だった。2000年分の抑圧が一気に噴出した。笑い方を知らないまま顔を歪める者。怒りの矛先が分からず壁を殴り続ける者。略奪と暴動が広がっていく。
「私のせいだ……。共鳴なんて計算に入れてなかった……」
リュウガの手が、私の震える拳を包んだ。
「お前のウイルスは病気じゃない。ワクチンだ。痛みを伴うのは治る過程だ」
「でも、あの人たちが……!」
「そうだ、彼等は苦しんでいる。でも、それは生きている証拠だ。……俺もお前と出会ってから、知らなかった痛みを山ほど味わった」
「……それ、私のせいじゃない?」
「何を言っているんだ、エリー。最高の副作用だった!!」
返す言葉を探す暇もなく、地上の映像が一変した。
◇◆◇◆◇
『感情汚染、制御不能。帝国全域のフォーマット・プロトコルを即時実行。対象:全市民。例外なし』
建物が粒子となって消え始めた。壁が、天井が、光の塵に分解されていく。個人の記憶消去だけでなく「空間そのもの」を物理消去するプロトコル。
「市民ごと街を消す気!?」
「止めるにはジャッジメントの中枢を叩くしかないのじゃ!」
「了解、チェロ、テューバ! その前に、消去波から市民を守って!」
ソフィアのコアを得た二人の出力は以前とは桁違いだった。チェロの重力場とテューバのハンマーが崩壊する建物を受け止め、物理障壁を形成する。オルガのビットが消去波の先端を逸らし、ボーンが市民を担いで走る。
「セフィラ! あのリレー塔を!」
専用コアを得たセフィラが跳躍した。以前なら蒸気を噴いていた全力機動が、余裕を残して実行される。振動剣が中継塔を断ち、消去波の範囲が縮小した。だが別の塔が即座に補完する。
「リレー塔は複数ある。根本を断つにはジャッジメント本体に到達するしかない」
「マジで!? リディア、本体へのルートは!?」
「量子コアのおかげで解析速度が10倍よ。中枢塔まで30キロ、地上経由が最短。でも、地下はレプリカに塞がれてる」
カイルが地図を叩いた。
「正面突破しかないでしょう! 10台のキャラバンと12人のシスターズ、フェアリ・オプション100機。それが全戦力です」
ソフィアが不敵に笑った。だがその顔色は、球体を手放した影響で僅かに蒼い。
「ワシの計算では勝率38%じゃ」
「38%もあるの!? 王都の脱出戦なんて、もっと低かったわよ。いけるでしょ、たぶん!!」
「……お主、そういうところだけは猿離れしておるのう」
「猿って言うなッ!」
私はタクトを握りしめた。
「全車、エンジン始動! ジャッジメントを叩く! この帝国ごと、アリスの影を目覚めさせてやるのよ!」
「「「了解、母様!」」」
消去の光が迫る中、10台のキャラバンが咆哮を上げて走り出す。
中枢塔へ。アリスの絶望を、アリスの希望で塗り替えるために。




