第113話:【反撃】地上への反撃、ハッピー・ウイルス作戦
「のじゃデバッグ」から三日。私たちは地下ドームで、最大の反撃作戦を練り上げていた。
「あの失敗を忘れるなよ、エリー」
ソフィアが演算球体で街区マップを展開する。
「風の音を直接聴かせて脳がパンクした。あの教訓を活かすのじゃ。感情パッチに穴を開けるには、微弱な物理ノイズを広範囲に、少しずつ撒く。感情の歯車を0.1度ずつ回していくのが最適解じゃ」
「極小のノイズ発生装置を量産して、街中の死角にバラ撒く。ゲリラ的な感染拡大作戦ね」
「名前をつけるなら――」
「はいはーい!」
ボーンが拡声器を振り回した。
「『母様ラブラブウイルス』! 母様の愛が帝国中に――」
「絶対却下ッ!」
「えー、エモいのにー!」
「エモくない、死ぬほど恥ずかしいわ!」
脱線しかけた空気を、オーボエのハルバードが床を打つ音が切り裂いた。
「作戦名の決定は後回しになさいまし。先に運用を詰めますわよ。……リュウガ様、ご意見は」
「ハッピーでいい」
リュウガが静かに言った。
「お前の笑顔が、一番の伝染源だ」
一拍の沈黙。そしてMNWが爆発した。
『記録。永久保存ですわ……』とクララが震え声で呟き、ボーンが『尊いんだよぉ!』と号泣し、コルネとユーフィが抱き合って跳ねている。
「決定! 『ハッピー・ウイルス』! 次ッ!」
私が真っ赤になって議題を飛ばすと、チェロが咳払いをした。
「では委員長として武器の確認を。何を使うのです?」
◇◆◇◆◇
武器は、音だった。
旅の中で集めた「旧世界の音」。コーラの炭酸のプシュッ。オルゴールの旋律。自販機のガコン。風、雨、鳥の声。
それらを収録した極小のノイズ発生装置を量産する。手のひらサイズ。出力は限界まで絞り、半径3メートルの「囁き」。
「これをリディアのドローンで街中に設置する」
「任せなさい!」
リディアが端末を叩いた。
「100機中、完全稼働55機。応急修理で何とか動くのが15機。計70機を今回に投入する」
「残り30機は俺が3日で直す」
ヴォルフが後方から声を飛ばした瞬間、意外な方向から手が挙がった。
「わたくしも手伝いますわ。ドローンの光学系はわたくしのバイザーと同系統。調整なら任せてくださいまし」
ヴィオラが名乗り出た。続いてハープが鉤爪を掲げる。
「精密部品の洗浄と除菌はわたくしの専門ですわ。不潔なまま稼働させるなど論外」
「……わたくしも。微細配線の接続は、暗殺用の指先の精度で」
ルーテまで手を挙げ、ヴォルフが目を丸くした。
「お、おう……助かるが、お前ら本当にドローン直せるのか?」
「失礼な。わたくしたちを何だと思っていますの」
ヴィオラが扇のような放熱板で口元を隠し、ハープとルーテが無言で頷く。
するとピッコが溜息をついて立ち上がった。
「……やれやれ。お主らの腕では、リディアのドローンの量子回路に触れた瞬間にショートさせますわ。わたくしが監督しなければ話になりませんわね」
「プリシラが手伝うなら、ワシも見てやらんとのう。あの子、精密機器にメスを入れる癖があるからの」
ソフィアまで巻き込まれ、ヴォルフのラボ車がにわかに大所帯になりかけた。
だがオーボエが冷徹に待ったをかけた。
「ハープ、ルーテ。あなた方には別任務を命じますわ。今夜のノイズ装置設置作戦で、巡回ドロイドの無力化と建物内部への潜入が必要。暗殺と外科的精度が求められる任務は、あなた方にしかできません」
ルーテとハープが顔を見合わせた。
「……了解。ドローンは、任せます」
「不本意ですが、不潔なドロイドの声帯を切る方が優先ですわね」
二人が潜入任務に回った結果、ドローン修理班からは主力が消えた。
沈黙の中、次女オルガが穏やかに手を挙げた。
「あらあら。それでしたら、わたくしがお手伝いしましょうか? 細かい作業、嫌いではありませんのよ」
一瞬の間。そしてシスターズのMNWが騒めいた。
『オルガ姉様って……そういうの得意でしたっけ?』
『あの人、包帯巻くのは天才だけど、ネジ回したら逆に締めるタイプじゃない?』
『データ照合。オルガ姉様の精密作業スコア……あ、これは公開しない方が……』
「聞こえていますわよ? 皆さん?」
オルガの笑顔が3度ほど冷たくなり、MNWが即座に静まった。
「セフィラはどうだ? お前、精密作業は」
ヴォルフが振ると、セフィラが真紅の瞳を逸らした。
「……わたくしは。その。戦闘以外の微細作業は。……コネクタを3つ壊した前科がありますので。……お役に立てません」
「お前、俺の娘のくせに不器用だな……」
「申し訳ありません、お父様。壊す方が得意で」
結局、ドローン修理班はヴォルフを主任に、ヴィオラの光学調整、ピッコの量子回路監督、ソフィアの最終検査、そしてオルガの「気合と愛情による補助」という布陣に落ち着いた。
「3日で仕上げるわよ。70機が全力稼働すれば、次の散布範囲を倍にできる」
リディアが腕を組んで宣言し、作戦会議は設置作業のフェーズへ移った。
◇◆◇◆◇
作戦決行。その夜。
リディアの55機が闇に散った。スカウト型が死角を探り、ジャム型がドロイドの通信に微細な遅延を挿入する。バレット型がノイズ装置を投下し、レコ型が全てを記録してクララへ送る。
地上では、ルーテとハープが影のように動いていた。
巡回ドロイドが角を曲がる。ジャム型の通信遅延で報告が0.8秒遅れる隙に、ルーテが背後に回り込み、ハープが振動鉤爪を頚部に当てた。
キィン。音声回路だけが精密に切断される。視覚も運動機能も生きたまま、「異常を報告する声」だけが消える。
「……5体目。残り12体」
「……声帯の切除。外科手術みたいで、嫌いじゃないですわ」
明け方までに、3都市200個の設置が完了した。
翌日の昼。
地下のモニターに、地上の映像が映る。
白い街路。無表情の市民たち。いつもと同じ。
だが、路地裏から漏れる微かな炭酸の音。プシュッ、シュワワワ。
一人の男が0.5秒だけ足を止め、首を傾げた。別の通りでは、少女の歩調が僅かに乱れた。
「セクター7、歩行パターン変異率0.3%。セクター12、0.5%」
ヴィオラがバイザーの数値を読み上げる。……ドローン修理の合間に、観測もこなしている。さすがだわ。
「0.3%って、ほとんど――」
「2000年間ゼロだった値が動いたのですわ」
オーボエが静かに、けれど確信を込めて言い切った。
「目覚めの始まりですわ、母様」
まだ笑顔には遠い。でも、感情の歯車がカチ、カチと動き始めている。
「チェロ、次回散布のスケジュールを。オーボエ、潜入班のシフトを」
「弾薬在庫との兼ね合いで中二日が最適ですわ」
「潜入班は二交代制にしますわ。ルーテ班とコルネ班で負荷を分散なさいまし」
長女の兵站と末妹の統制が噛み合い、革命の歯車が回り始める。
「リディア、応急修理の15機は?」
「ヴォルフ班が奮闘中よ。ただし……」
リディアが苦い顔をした。
「オルガがコネクタを逆に挿して2機止めたわ。ピッコが叫んでソフィアが笑ってヴィオラが額を押さえてる。……まあ、3日あれば何とかなるでしょ」
「オルガぁ……」
「あらあら、愛を込めたら動くと思ったのですけれど」
通信越しのオルガの笑顔が、いつもより数度高い「てへぺろ」に見えたのは気のせいじゃないわよ絶対。
白い帝国の片隅で、目に見えない革命が進行していた。撒いた種が芽を出すまで、どれだけかかるか分からない。でも修理屋は待てる。
一人ずつ。一歩ずつ。世界で一番ゆっくりな革命を、私たちは始めたのだ。




