第112話:【種子】リュウガの真実(種子と筆記権)
ソフィアが合流して二日目の朝。彼女は地下ドームの中央に全員を集めた。
「昨日は世界の終わり方を教えた。今日は、なぜ終わるのかを教えてやろう」
演算球体がホログラムを展開する。映し出されたのは、細胞のような図式。中心に光る核と、そこから放射状に伸びる無数の線。
「これはGaiaのリセット・プロトコルの起動条件じゃ。リセットには『鍵』が要る」
ソフィアの瞳が、リュウガへ向けられた。
「リュウガ・アスカ。お主はGaiaがリセット後に新文明を書き込むための『種子』として設計された存在じゃ。旧文明の知識、物理法則の完全な記録、文明再構築の青写真。Admin権限とは、白紙の世界に新しいルールを書き込む『筆記権』。……そして、お主が目覚めたこと自体が、Gaiaにとっては『リセットの開始信号』なのじゃ」
地下ドームが凍った。
チェロが最初に口を開いた。眼鏡の奥の瞳が、かつてないほど鋭い。
「つまり、お父様が目覚めた瞬間から、世界の崩壊は始まっていたということですわね。……母様があのカプセルを開けた日から」
その言葉が、私の胸を刺した。チェロは責めているのではない。長女として「事実」を全員に共有しただけだ。だが、事実だからこそ痛い。
「じゃあ、帝都で見たレプリカたちは?」
リディアが鋭く問う。銀の義手を組み、冷静を保とうとしているが、声の奥に怒りが滲んでいた。
「種子データから感情を抜いた劣化コピーじゃ。オリジナルのリュウガだけが持つ『愛というバグ』。それこそが、世界のOSを再定義する唯一のコードなのじゃ」
「……ピッコ。あんた、知ってたの?」
私が振り向くと、ピッコは唇を一文字に結んでいた。
「……一部は。アリスがわたくしを北の塔に封じた時、断片的に聞かされていましたわ。種子が目覚めればリセットが始まると。……ですが、その種子がリュウガだとは、あの人は教えてくれなかった」
ピッコの小さな拳が震えていた。アリスの娘として、リュウガを守るために2000年眠らされた彼女。その守るべき相手が、世界を終わらせる引き金だったという残酷さ。
テューバがピッコの隣に音もなく寄り添い、何も言わずにその小さな肩に手を置いた。口下手な八女なりの、不器用な慰め。ピッコは振り払わなかった。
◇◆◇◆◇
その夜。リュウガがいなくなった。
夕食の席に姿を見せず、アーク車内にもいない。ファーファの位置追跡は、地上に最も近い換気口の付近を示していた。
「一人にしておいた方が……」
オルガが気遣わしげに言いかけた時、リディアが私の腕を掴んだ。
「行きなさい、エリー」
「リディア……」
「あの男は今、論理の人間に戻ろうとしてる。『自分が消えれば全部解決する』なんて、最適解の顔をした逃避に走ろうとしてるのよ。……それを止められるのは、あんただけ。私じゃ無理」
リディアの瞳には、かつてリュウガを追い求めたライバルだった頃の名残はない。ただ、友人としての真っ直ぐな信頼があった。
「……ありがと、リディア」
「礼なんかいらないわよ。さっさと行って、あの朴念仁の目を覚ましてきなさい」
◇◆◇◆◇
換気口の傍に、リュウガは座っていた。仮想の右手がノイズを散らしながら明滅している。
「リュウガ」
「……来たか」
「当たり前でしょ。旦那が食事もせずに家出したら、奥さんは追いかけるものなの」
私が隣に座ると、リュウガは長い沈黙の後、かすれた声で言った。
「俺が消えれば、お前たちは安全だ」
「……何ですって?」
「種子が消滅すれば、Gaiaはリセットの実行条件を失う。世界は崩壊せず、お前も、シスターズも、この国の人々も生き残れる。……俺一人が消えるだけで」
「馬鹿なこと言わないで」
「馬鹿ではない。論理的な最適解だ」
「最適解じゃない。それは、逃げよ」
私はリュウガの襟首を両手で掴み、強引に自分の方へ引き寄せた。
「あんたは世界を終わらせる合図なんかじゃない。私が世界を直すための、一番大事な部品なのよ!」
「……部品扱いか」
「最高級の一点モノよ。替えなんて効かないの。あんたが消えたら、私の修理は永遠に完成しないじゃない!」
「エリー……」
「いい、リュウガ。アリスはあんたを守るために世界を分断した。ソフィアはあんたの存在に違和感を覚えて眠りについた。ピッコはあんたを直すために2000年待った。みんな、あんたのために動いてきたのよ。それを勝手に消えて台無しにする権利なんて、どこにもないわ」
沈黙が落ちた。
やがて、リュウガの唇が微かに動いた。
「消えるなんて許さない。あんたの仕事はね、私の隣で、私の淹れた不味いコーヒーを飲んで、私の設計にケチをつけて、それで一緒に世界を直すことなのよ。それ以外の選択肢は全部、私がデリートしてあげるわ!」
「……不合理だな」
「何よ!?」
「消える方が合理的だと分かっていて、それでもお前の言葉の方が正しいと感じる。……俺の論理回路は、完全にお前に汚染されているらしい」
「汚染じゃないわよ。愛って言いなさい、愛って!!」
リュウガが、かすかに笑った。
◇◆◇◆◇
格子の向こう側で、複数の気配が蠢いていたことに私は気づいていた。
「ボーン、鼻水を啜る音がうるさいのよ」
「だってぇ……母様が格好よすぎるんだよぉ……実況できないくらい尊いんだよぉ……」
「クララ、暗がりでスコープを光らせないで」
「……失礼しました。しかし、この構図は永久保存版ですわ……」
「お前ら。聞こえているぞ」
リュウガの一言で、格子の向こうからドタバタと逃げていく足音。だがチェロの声だけが、冷静に残った。
「母様。……お二人の会話、全て聞いておりました。不謹慎は承知していますが、委員長として確認させてください。お父様は、残ってくださるのですわね?」
リュウガが、格子越しに長女の声へ向き直った。
「ああ。残る。お前たちの父として、ここにいる」
「……それだけ聞ければ十分ですわ。おやすみなさいませ」
チェロの足音が静かに遠ざかった。その規律正しさの奥に、安堵が滲んでいたのを私は聞き逃さなかった。
◇◆◇◆◇
翌朝。地下ドームに全員が集まった。リュウガの瞳から、昨夜の虚無は消えていた。
ソフィアが彼を見上げ、赤銅色の瞳を細めた。
「……顔つきが変わったのう。猿の嫁に説教されたか」
「猿って言うなッ!」
「説教ではない。再定義された」
ソフィアは「ふん」と鼻を鳴らしたが、口元が緩んでいた。
「……アリスが夢見た不確実な未来が、ここにあるのかもしれんのう。では始めるぞ。ワシは正式にお主らの技術アドバイザーに就任する。まずはシスターズの兵装を量子演算で最適化してやろう」
「量子演算パッチを各個体に適用する。物理出力が理論値で200%向上するはずじゃ」
テューバが無言で拳を握り直した。200%。彼女の盾が、今の倍の質量を支えられるということだ。チェロと目を合わせ、小さく頷き合う。
「それ、名前つけていいですか!」
ボーンが手を挙げた。
「『のじゃデバッグ』! ソフィアちゃんの口癖から――」
「ワシの威厳が2000年分消し飛ぶわい」
ソフィアが渋い顔をしているが、シスターズから「のじゃデバッグ!」「語感いいじゃん!」と賛同が噴出し、ヴォルフまで「悪くねえ響きだ」と笑う。
リディアが私の隣に立ち、小声で言った。
「昨夜のこと、聞いたわよ。……あんた、やっぱり馬鹿ね。でも、一番強い馬鹿」
「褒めてるの? 貶してるの?」
「リュウガと同じ返しをするんじゃないわよ。……両方に決まってるでしょ」
リディアが僅かに笑い、ドローンの整備に戻っていった。
種子の真実。世界の時限爆弾。消えるべきか、生きるべきか。
答えは、最初から決まっていた。壊れてるなら直す。消えそうなら繋ぎ止める。
「さあ、のじゃデバッグ、始めるわよ!」
「だからその名前はやめんか猿嫁ッ!」
世界で最も不完全な正解を胸に、私たちの反撃が始まる。




