第110話:【凍眠】旧研究区画、凍れる少女
「地下の、さらに下に『旧い場所』がある」
マルクがそう告げたのは、名付けが20人を超えた朝のことだった。
「帝国ができる前から残っている区画だ。俺たちは怖くて近づけなかった。自動で動く機械が、入る者を片っ端から排除するからな」
旧研究区画。クロノス帝国の創設期、あるいはそれ以前の記録が残されている可能性がある。
「ありがとう、マルク。そこに行ってみましょう。リュウガ、ピッコ、セフィラ。護衛はオーボエ班を」
「了解ですわ。コルネ、ユーフィ、ボーン、わたくしに続きなさい!」
オーボエのハルバードが石突を打ち、護衛班が編成される。カイルと残りのシスターズには地下拠点の防衛を任せた。
排水路の枝道を抜け、鉄の階段を何層も降りていく。降りるにつれ、壁の質感が変わっていった。苔むしたコンクリートが、磨かれた特殊合金へ。帝国の白いナノセラミックとも違う、青みがかった冷たい金属。2000年前の遺構が、そのまま残っている。
「空気の組成が変わりましたわ。ナノマシン濃度がほぼゼロ。帝国の管理網が完全に途切れています」
ピッコがバイザーを光らせて報告する。
「つまり、ここは帝国が作った場所じゃない。帝国ができるよりずっと前の、旧文明の施設ってことね」
「その通りですわ。そして――」
ピッコの声が固くなった。
「この空気の組成。わたくしが眠っていた北の塔と、同じですわ」
◇◆◇◆◇
最深部は、巨大なドーム型の空間だった。天井から降り注ぐ青白い燐光。壁面には2000年前の文字で膨大な研究ログが刻まれ、中央には――巨大な凍結カプセルが鎮座していた。
「あれは……」
カプセルの表面には分厚い霜がこびりつき、内部の視認は困難だ。だが、周囲を浮遊する十数個の球体が、微弱な光を放ちながら緩やかに旋回している。
「演算球体ですわ。旧文明の並列演算ユニット。……こんな数を従えている個体、わたくしの記録にも数えるほどしかいませんわ」
ピッコの声が、珍しく震えていた。
「よし、開けるわよ!」
私が巨大なスパナを振りかぶり、カプセルのガラスを物理的に叩き割ろうとした瞬間、、ピッコが飛びかかってきた。
「精密機器を叩くな、この原始人ッ!! 2000年前のクライオ・カプセルを鈍器で殴ったらどうなるか、その未開な脳でも想像できるでしょう!?」
「いいじゃない、叩けば大抵のものは動くのよ! 昔のテレビも斜め45度からチョップすれば直ったって、おじいちゃんの技術書に書いてあったわ!」
「い、いつの神話よ!! そんなんじゃ動かないッ! 中身が粉々になりますわ! 下がりなさい、わたくしがやりますわ!」
ピッコが小さな指先をカプセルの制御パネルに滑らせる。2000年前のアクセスコードが彼女の記憶から呼び出され、ロックが一つ、また一つと解除されていく。
その間、ドーム全体が低い振動音を発し始めた。壁面のスリットから多脚のドロイドが這い出してくる。旧研究区画の自動防衛システムだ。
「排除します!」
セフィラが、いつの間にか前に出ていた。大剣を抜き放つまでもなく、彼女が一歩踏み込んだだけで発生した衝撃波がドロイドの脚を折り曲げる。
「遅いです。これなら調理用オートマタの方がまだ脅威。……ピッコ、続けて」
「言われなくてもやっていますわ! ……最終ロック解除。3、2、1――」
プシュウウウウ……ッ!
超高密度の液体窒素の霧が噴出し、ドーム全体が白く霞んだ。
霧が晴れると、カプセルの蓋がゆっくりと持ち上がっていた。中から溢れ出す冷気の中に、小さな影が浮かんでいる。
演算球体に囲まれた、身長135センチほどの少女。白金の長髪が冷気に揺れ、閉じた瞳の周りには、回路のような幾何学模様が浮かんでいる。
少女の睫毛が震え、やがて――古い赤銅色の瞳がゆっくりと開いた。
「……む」
少女は私たちを見回した。ピッコを。リュウガを。セフィラを。シスターズを。そして私を。
「ワシの安眠を妨げるのは、どこのどいつじゃ!?」
◇◆◇◆◇
「……ソフィア・クロノス」
リュウガの声が、微かに揺れた。
私は彼の横顔を見上げた。2000年の記憶を背負う彼が、カプセルの少女を見つめる目には、驚愕と、それから複雑な感情が渦巻いている。
「知ってるの、リュウガ?」
「ああ。量子物理学の権威にして……クロノス帝国の設計者。アリスのかつてのパートナーだ」
「パートナー……?」
少女――ソフィアは宙に浮いたまま、首をコキコキと鳴らして凝り固まった関節をほぐした。演算球体が彼女の周囲を護衛するように旋回速度を上げる。
「2000年ぶりの起床じゃ。……ふむ、重力が僅かに偏っておるな。地軸がずれたか?」
彼女の赤銅色の瞳がピッコに止まった。
「おお。……プリシラか。少しは大きくなったかのう?」
「110センチのままですわッ! 1ミリも成長しておりません!」
ピッコが真っ赤になって叫ぶ。ソフィアはカラカラと笑い、次にリュウガへ目を向けた。
「リュウガ・アスカ。……お主、随分と変わったのう。以前は空っぽの器だったというのに」
「空っぽではない。エリーが満たしてくれた」
「ほう。……なるほど、なるほど。お主、随分と『愛』というバグに汚染されておるな」
「汚染ではない。愛による最適化だ」
リュウガが即答した。その台詞に、背後でシスターズたちがMNW越しに一斉に反応する。
『てぇてぇ……! お父様がまた無自覚に殺し文句を……!』
『記録。保存。永久版ですわ……』
「な、何の話よッ! ていうか、この子は誰なのよ! なんでリュウガとピッコを知ってるの!」
私が叫ぶと、ソフィアの視線がようやく私に向けられた。赤銅色の瞳が、品定めするように私を上から下まで舐め回す。
「お主がアリスの末裔か。……ふむ」
長い沈黙。
「不器用そうな猿じゃな」
「サルっ!? 初対面でサル呼ばわり!?」
「事実を述べたまでじゃ。アリスは完璧な論理の結晶だったが、お主からはその欠片も感じん。……じゃが」
ソフィアが首を傾げ、意外そうに目を細めた。
「あの空っぽだったリュウガが、お主の隣で笑っておる。……それだけは、ワシの論理では説明がつかんのう」
「……質問がある、ソフィア。なぜここに眠っていた?」
リュウガの問いに、ソフィアの表情から悪戯っぽさが消えた。
「……ワシはアリスと袂を分かった後、『感情こそノイズ』という信念でクロノスを設計した。完璧な管理。完璧な平和。感情を去勢した、争いのない静止した世界」
演算球体が、ソフィアの言葉に同調するように微かに震える。
「……そして完成した。じゃが、完成した瞬間に分かってしまったのじゃ。ワシが作ったのは『平和』ではなく『墓場』だと。心が死んだ人形の国を見て、ワシは自分が何をしてしまったのか、ようやく理解した」
「だから、眠りについた?」
「逃げた、と言ってくれて構わんよ。自分の正解を信じ切れなくなった臆病者の末路じゃ」
ソフィアの声は淡々としていたが、その瞳の奥には2000年分の後悔が沈殿していた。
「……逃げたんじゃないわ」
私は、気づいたら口を開いていた。
「完成品に違和感を覚えるのは、技術者の本能よ。自分の作ったものが間違ってると気づいて、でもどう直せばいいか分からなかった。だから一度止まった。……それって、修理の前に手を止めて考えるのと同じじゃない」
ソフィアが、少しだけ目を見開いた。
「……ほう。猿のくせに、悪くないことを言うのう」
「猿って言うなッ!」
セフィラが無表情のまま、ソフィアの演算球体の一つをツンと指先で弾いた。
「……この個体。製造番号が不明。旧世界のデータベースに存在しない。……何者ですか」
「おお、見慣れん白銀の娘じゃな。……ヴォルフとかいう者の作品か? ふむ、荒削りじゃが、嫌いではないのう」
「質問に答えてください。あと、わたくしに許可なく触れないでください」
「つれないのう。まあよい」
ソフィアが宙でくるりと回り、全員を見渡した。
「さて。2000年も寝ておったら、さすがに腹が減ったのう。……お主ら、何か食い物はあるか? 話はそれからにしてやろう」
帝国の設計者。アリスの元パートナー。そして2000年の眠りから覚めた、のじゃロリの量子物理学者。
この小さな少女が味方なのか敵なのか、まだ分からない。だが、彼女の赤銅色の瞳が、ピッコとリュウガを見る時だけ僅かに柔らかくなるのを、私は見逃さなかった。
『ファーファ、緊急ログだお! 新キャラ、のじゃロリ科学者、登場だお! てぇてぇの相関図がさらに複雑化するお! (゜∀゜)』
「ファーファ、空気を読みなさいっ!」




