第107話:【対峙】名前のない兄弟
それは、迂回ルートを取って三日目の夜に起きた。
旧フランス圏南部、崩れた古城が点在する丘陵地帯。帝国の管理区域から外れた「灰色の領域」を選んで進んでいたはずだった。
「母様、後方に熱源反応。数12。等間隔で接近中ですわ」
ヴィオラの報告に、車内が凍った。管理者個体の巡回パターンと同じ配置だ。
等間隔。ヴィオラが先日報告した管理者個体の巡回パターンと同じだ。4時間周期の定期巡回を避けたはずなのに、なぜ。
「巡回パターンが変わったんですわ。自販機事件以降、帝国全域で警戒レベルが引き上げられた可能性がありますわね」
オーボエが冷静に分析するが、その声には緊張が滲んでいる。
「逃げ切れる? カイル」
「距離2キロ、接近速度から見て追いつかれるまで約8分。……この地形ではキャラバンの速度が出ません。正直、厳しい」
カイルが地図を睨みながら苦い声を出した。
8分。
「……仕方ないわね。逃げ切れないなら、迎え撃つ。全員、迎撃態勢!」
私のタクトが宙を裂いた。
「シスターズ、迎撃態勢。チェロ、テューバ、オルガはアークの直衛。コルネ、ユーフィ、ボーンは前方で足止め。ヴィオラ、クララは高台から狙撃。ルーテ、ハープは遊撃。オーボエ、全体統制をお願い」
「了解ですわ。……ですが母様、あの個体はお父様と同じ顔をしています。シスターズの動揺は避けられませんわ」
オーボエの懸念は的確だった。
月明かりの下、丘の稜線に12の人影が現れた。
白銀の甲冑。同じ身長、同じ体格、同じ歩幅。そして、リュウガと寸分違わぬ顔。ただし、その瞳には一片の光もない。感情を完全に去勢された、冷徹な管理者の「量産品」だ。
「……っ」
先頭に立ったコルネの手が、大剣の柄を握ったまま僅かに震えた。
「父様……? ううん、違う。違うよね。でも、顔が……」
先頭の個体が口を開いた。
「未登録の不純物を検知。管理番号00、消去命令を実行する」
声まで同じだった。リュウガと全く同じ声帯から発せられる、しかし一切の抑揚を持たない合成音声。12体が一斉に抜剣する。乱れのない完璧な同期動作。
「リディア、ドローンで陣形を崩して!」
「分かってるわよ! 全40機、電磁攪乱モード! あの同期を物理的に引き剥がしなさい!」
移動中にリディアとヴォルフが帝国の廃棄ドローンを回収・改造して補充した40機の編隊が、夜空を切り裂いて展開した。電磁パルスの幕がレプリカたちの頭上に降り注ぎ、完璧な同期通信にノイズを叩き込む。
12体の動きが、一瞬だけ「ズレた」。
「今よ! 三馬鹿、突っ込みなさい!」
「了解だよぉお! でもあの顔を殴るのは複雑なんだよぉ!」
ボーンが重突撃ランスを構えて突進する。レプリカの先頭個体がボーンの槍を片手で受け止め、返す刀で肩装甲を両断した。火花が散り、ボーンが吹き飛ばされる。
「速い……! 父様と同じ速度だよ!」
コルネの炎を纏った大剣がレプリカの甲冑を焼くが、ダメージを受けた個体は一言も発さず前進してくる。痛みを感じない。恐怖もない。ただ「消去」という命令を実行するだけの機械だ。
「ヴィオラ、クララ! 関節部を狙い撃ちなさい!」
「了解。……ですが母様、あの顔を照準に入れるのは精神的にキツいですわよ」
クララの狙撃弾が一体の膝関節を撃ち抜いた。だが、倒れた個体は膝が砕けたまま立ち上がり、平然と歩き出す。痛覚が存在しない。
12体が互いの死角を完璧にカバーする陣形を取り、ルーテとハープの急襲すら跳ね返す。
「12体が完全に同期している。個を持たないから迷いがない。論理的には最強の陣形ですわ」
オーボエが歯を食いしばった。
その時、1号車のルーフから白銀の影が飛び降りた。
「……待たせました。ここから先は、わたしが!」
セフィラだった。パッチ・オフの反動で全身から微かに蒸気が漏れているが、真紅の瞳には揺るぎない意志が灯っている。
彼女が振動剣を抜いた瞬間、空気が物理的に震えた。レプリカたちの同期が、セフィラの放つ圧倒的な「質量」の前で僅かに乱れる。
「セフィラ、無理をするな! パッチ・オフの負荷が――」
ヴォルフの叫びを、セフィラは振り返らずに遮った。
「お父様。わたくしは、あの個体たちと同じ設計思想から生まれた存在です。だからこそ分かる。……あの子たちの『弱点』が」
セフィラが地を蹴った。音速に迫る加速で12体の陣形の中央に突っ込み、振動剣を旋回させる。
レプリカたちが一斉に反応するが、セフィラはその反応速度をコンマ数秒だけ上回っていた。ヴォルフが「自由の姫」のために施した設計は、感情を去勢された量産品にはない「一点突破」の出力を持っている。
セフィラの剣が、先頭個体の胸を貫いた。火花が散る。だが、セフィラの真の狙いは破壊ではなかった。
「……同期回線、切断」
セフィラが振動剣を通じてレプリカの通信モジュールに物理的な干渉を加えた。12体を一つの脳として繋いでいた同期回線が、1体ずつ「孤立」していく。
「リディア、今よ! 孤立した個体を各個撃破!」
「了解! 全ドローン、攻撃モードに移行! 一体ずつ仕留めなさい!」
リディアの40機が急降下し、孤立したレプリカに集中攻撃を仕掛ける。同時にシスターズが一斉に展開した。チェロの重力斧が一体を地に縫い付け、テューバのハンマーが別の一体を吹き飛ばす。コルネの炎とユーフィの薙刀が交差し、ルーテとハープが死角から一体ずつ確実にコアを抜いていく。
孤立した個体は、同期時の完璧さが嘘のように脆かった。一人では判断に迷い、連携が取れず、シスターズの不揃いな攻撃パターンに翻弄される。
だが、最後の一体――管理番号00だけは違った。
他の11体が倒れた後も、00は一人で立ち続けていた。
リュウガがアークから降り立ち、00の前に歩み出た。
「管理番号00。……お前に問う。お前は何者だ」
「不要な問い。私は管理番号00。命令を実行する機能」
「名前は?」
「不要」
「守りたいものは?」
00が0.3秒だけ沈黙した。だがその沈黙は即座に上書きされた。
「不要。消去命令を実行する」
00がリュウガに斬りかかった。同じ顔の二人の剣が交差する。同じ剣技、同じ速度。だがリュウガの剣筋には「揺らぎ」があった。エリーのメンテナンスが生んだ関節の癖。半年の旅で身についた不規則な動き。完璧なコピーが持ち得ない「ノイズ」。
「俺は管理者じゃない」
リュウガが00の剣を弾き返し、叫んだ。
「エリーに選ばれた、リュウガという名前の人間だ!」
「あんたとこいつは全然違う!」
私はアークから飛び出して叫んでいた。
「私の旦那様は、不器用で、優しくて、寝言を847件も録音する変態で――でも名前を持ってるのよ! 番号なんかじゃない! リュウガ・アスカっていう、世界で一人だけの、私の大切な人なのよ!」
リュウガの瞳が一層強く輝いた。
予測不能の一太刀。感情が乗った不規則な加速が、00の演算を0.02秒だけ遅延させた。その隙に、セフィラが横合いから音速の突きを叩き込み、00のコアを貫いた。
最後のレプリカが、膝をつき、崩れ落ちる。
「……12人の兄弟。番号しか持たない、俺の影」
リュウガが膝をつきながら呟いた。
「いつか必ず、お前たちにも名前をやる。俺が、俺の奥さんと一緒に」
◇◆◇◆◇
だが、勝利の余韻は一瞬で消し飛んだ。
「全帝国の監視網が、キャラバンの座標をロックしましたわ」
ヴィオラの声が鋭く響く。帝国全土の大型モニターに、私の顔が映し出されている。
「指名手配犯:エリアーナ・アルテミシア。危険度:最大。発見次第、即座にフォーマットせよ」
「母様、地上はもう走れません。……地下に潜るしかありませんわ」
カイルが地図を広げた。
「この近くに、旧パリの地下排水路網への入り口があります。帝国の管理網からは外れている。あそこなら身を隠せるはずです」
キャラバンが地下へ滑り込む。10台の車両が暗い排水路にギリギリの幅で吸い込まれていく。
ようやく追っ手の気配が途絶え、誰もが安堵の息を漏らしかけた、その時だった。
「……全員、止まりなさいまし」
オーボエの声が、鋭く張り詰めた。
「正面。……気配が、ある」
暗闇の奥から、微かな灯りが揺れている。それも一つや二つではない。十、二十……数十の松明が、地下通路の両脇にゆらゆらと浮かんでいる。
その一つ一つの明かりの下に、人影がいた。
ボロ布を纏い、胸に「×」で消した番号の傷を刻んだ、痩せこけた男女たち。彼らは音もなく私たちのキャラバンを取り囲み、武器とも呼べないような錆びたパイプやレンチを構えて、暗闇からこちらを睨みつけていた。
警戒と敵意。そして、その奥に微かに揺らめく「期待」のような光。
先頭に立つ男が、松明を掲げて一歩前に出た。
「……止まれ。何者だ」
沈黙が、地下水路を支配した。
10台のキャラバンと、闇の中の数十人。
帝国に追われた「修理屋」と、帝国に捨てられた「声なき人々」。
二つの影が、地下の暗闇で対峙していた。




