第103話:【書換】論理の城、ネジ一本の叛逆
要塞の制御室は、不気味なほどに静かだった。
巨大な球体状の演算コアが薄暗い空間の中央で微かに明滅を続けている。人間用の椅子も端末もない。数千年もの間、冷徹な計算だけがこの要塞を動かし続けてきた無人の空間だ。
突入班のオーボエたちが組み上げたデバイスがコアに接続され、ピッコの停止コードで一時的に沈黙させたものの、猶予は4時間。自己修復プロセスが停止命令を上書きすれば、砲座は再起動する。
かといって、コアを破壊すればカオスゾーン側の対魔獣防衛ラインまで消える。背後が無防備になるのは論外だ。
「要するに、鍵を壊すんじゃなくて合鍵を作るのね。防衛機能はそのままに、私たちだけを『味方』として登録する」
私はアーク側の通信機に向かって確認した。
『その通りですわ。ですが認証テーブルはアリスの暗号規格で保護されています。正面からのハッキングにはAdmin権限の全力行使が必要ですが――』
ピッコが通信越しに告げると、リュウガが割り込んだ。
「俺の権限は、もうほとんど残っていない。正面突破は不可能だ。……だが、別の方法がある」
「別の方法?」
「認証テーブルを『書き換える』のではなく、テーブルに大量の『ノイズ』を叩き込んで識別精度を一時的に下げる。警備員の目を眩ませている間に、ピッコが偽の登録データを滑り込ませる」
「ノイズ? 何を使うの?」
リュウガが一瞬、妙に気まずそうな顔をした。
「……お前の声だ、エリー」
「は?」
「だから、お前の声だよ」
「え? ど、どういうことよ!?」
「アリスの認証システムは、人間の感情を『ノイズ』として最も強く拒絶するように設計されている。逆に言えば、感情の純度が高いデータほどシステムの演算リソースを大量に消費させる。……俺のデータベースには、お前が半年間俺に浴びせた罵声、独り言、および……寝言のログが、すべて記録されている」
「寝言……?」
『はい。計847件ですわ』
ピッコが淡々と読み上げた瞬間、私の顔面が沸騰した。
「847件ッ!? いつから録ってたのよッ!」
「初日からだ。お前が俺を起動させた日の夜から、一晩も欠かさず。科学者として、貴重なデータだ」
「貴重じゃないわよぉぉぉ! 今すぐデリートしなさいよっ!」
「それは、できない。このデータこそが、AIを混乱させる最強の弾薬だ。……エリー、お前の恥ずかしい寝言が、世界を救う」
「救いたくないわよ。、そんな形でぇぇぇ!!」
私の抗議を完全に無視して、リュウガがデバイスを起動した。制御室のスピーカーから、私の寝言が大音量で鳴り響き始める。
『リュック、もっとこっち来てよぉ……冷たいよぉ……くっつきたい……zzz』
「これが第一夜のログですわ。就寝直後に記録された、極めて純度の高い甘えの発露ですわね」
ピッコが通信越しに淡々と解説を始めた。制御室にいるシスターズたちの押し殺した笑い声が漏れ聞こえる。
『えへへ……リュックのバカぁ……でも好き……ぜったい離さないんだからぁ……zzz』
「第七夜ですわ。独占欲と愛情が混濁した、情報密度の高いログ」
『私のリュックに触るな、このドローン女ぁ……ぶっ飛ばすわよぉ……zzz』
制御室のボーンが吹き出した。
「ぶふふふっ。ドローン女って、それリディア様のことだだよぉ! 母様、寝言で悪口言ってるだだよぉ!」
アーク側から、リディアの氷の声が割り込む。
『……エリアーナ。今の、聞こえたわよ。「ドローン女」ですって? 帰ったら覚えてなさい』
「寝てる間のことなんて知らないわよぉぉぉ!」
だが地獄はまだ序の口だった。
『リュックぅ……お姫様抱っこしてぇ……お嫁さんになるぅ……式はメイド喫茶で……zzz』
「これはね。第二十三夜。メイド喫茶での挙式という発想は、母様のシスターズへの偏執的な愛情の投影と解釈できますわ」
制御室のオーボエが呟いた。
「メイド喫茶での結婚式。……規律的には問題がありますが、母様らしいと言えばらしいですわね」
「ボク参加したい! 給仕係やるよ!」とコルネが目を輝かせ、ユーフィが「ウチがドレスのデコ担当じゃん」と乗っかる。
『やだ……リュックが他の女の子と話してる……殺すぅ……全員デリートぉ……zzz』
「あ、これは、第四十一夜。ヤンデレ・プロトコルが睡眠中にも稼働している危険なログですわ」
「うるさぁぁぁい! そもそもリュウガ! なんで私の寝言でAIが狂うのよ!!?」
「感情という『非論理的で予測不能な大容量データ(ノイズ)』を連続処理させ、AIのメモリを強制的にバッファオーバーフローさせているんだ。お前の愛情の重さが、システムを物理的に焼き切ろうとしている」
「う、嬉しくないわよ!! あんたたち、後で全員のメモリを強制フォーマットして、OSを『そろばん』レベルまでダウングレードしてやるから覚悟しなさいよぉぉぉ!!」
「まぁまぁ、母様、落ち着いて。あたし、このログだけで映画が作れると思うんだよぉ。タイトルは『眠れる暴君の恋』だよぉ。ぷぷぷ……」
ボーンが涙目になりながら、コーラの空き瓶をマイク代わりに握りしめる。
『リュックの寝顔……近い……すぅすぅ……もう少しだけ見てていい?……えへへ……zzz』
「えーと、第百二十七夜。ストーカー的行動が夢の中でも継続されている学術的に貴重なサンプルですわ」
「ストーカーじゃないわよ! 夫の寝顔を見て何が悪いの!」
制御室のルーテが、普段の無口を破って補足した。
「……母様。結婚したのは第百二十七夜より後。つまりこの時点では、まだ夫ではない男の寝顔を無断で観察していたことになる」
「ルーテぇぇぇ! あんた普段無口なくせに、こういう時だけ饒舌じゃないのよぉぉ!」
コアの明滅が激しくなっていた。847件の「純粋な感情ノイズ」を一気に注入されたAIは、認証プロセスに膨大なリソースを奪われ、演算速度が急速に低下している。
『隙が生まれましたわ。認証テーブルへの書き込み権限、一時的に解放……偽の登録データ、注入開始!』
ピッコの指先が通信回線越しにデバイスを操る。2000年前のアリスの暗号規格を熟知する彼女が、私たちのデータを「登録済みの帝国市民」としてテーブルに滑り込ませていく。カオスゾーン側の防衛プロトコルには一切手を触れず、帝国側の認証レイヤーだけを書き換える繊細な作業だ。
コアが低い唸り声を上げた。自己修復プロセスがノイズの排除を開始する。天井のハッチから防衛ドロイドが再び這い出そうとした。
「セフィラ、あと10秒!」
「了解。……10秒、守ります」
セフィラの振動剣がドロイドを叩き落とし、オーボエが指揮を執って突入班が制御室を死守する。
『95%……98%……100%。書き込み完了ですわ!』
コアの明滅が穏やかな青い光に変わった。防衛ドロイドたちが武器を下ろし、赤かったセンサーアイが友好を示す緑色に切り替わる。
「識別プロトコル更新。対象:エリアーナ・アルテミシアおよび随伴ユニット。ステータス:登録済み帝国市民。脅威レベル:ゼロ」
無機質な合成音声が響いた。
「やったわ! 私たち、この要塞にとって『味方』に――」
「母様、それより深刻な問題がありますわよ」
ピッコの声が、妙に楽しそうだった。
「コアに注入した音声ログは、認証テーブルの書き換え時に副産物としてクロノス帝国の中央データベースへ自動アーカイブされますわ。つまり――」
嫌な予感が、背筋を駆け上がった。
「母様の寝言847件は、帝国全土のデータベースに永久保存されましたわ。消去は物理的に不可能です。おめでとうございます。あなたの愛は文字通り、世界の記録に刻まれましたわ」
時間が止まった。
「……帝国の、全サーバーに?」
「ええ、そうね。接続されている全ての端末からアクセス可能ですわ。将来この帝国が開放された暁には、一般市民も自由に閲覧できますわね」
「あ、あああああ! 嫌よッ! 私の「リュック好き好き大好き」が、世界中のサーバーにッ!?」
私はアークの床に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
制御室では、クララが鉄扇で口元を隠しながら、潤んだ瞳でスコープを構えていた。
「……記録。母様の寝言847件、クロノス帝国のデータベースに永久保存。……人類史上最大規模の『てぇてぇ』アーカイブの誕生ですわ。……これはもう、世界遺産ですわ」
「クララァァァ! 世界遺産にしないでよぉぉぉ!!」
『ファーファも全件バックアップ済みだお! 帝国のサーバーとファーファのストレージ、二重の永久保存で完璧だお! 母様の愛、もう誰にも消せないお!』
「全然嬉しくないわよぉぉぉ!!」
私の絶叫が白亜の要塞にいつまでも響く中、リュウガだけが穏やかに微笑んでいた。
「……847件。全部、俺の宝物だ」
「リュウガ……あんたは嬉しそうだけど、私は恥ずかし死にしそうなのよぉぉぉ!」
こうして、世界で最も不完全で、最も恥ずかしい「合鍵」が完成した。
クロノス帝国の扉は開かれた。だが、扉を開けた鍵が「正妻の寝言847件」だったという事実は、おそらく今後一生、この一家の食卓で蒸し返され続けるに違いない。




