第99話:【群狼】ハンドレッド・スウォーム vs 古の巨獣
巨大な光の柱が消え、ナノマシン・ドラゴンの巨躯が崩壊した。
だが、勝利の余韻に浸る時間は一秒も与えられなかった。
「……待って。何かがおかしいわ」
私はアークの展望窓から、霧散したはずのナノマシンの塵が、不気味に蠢きながら再集結を始めているのを見た。
「警告ですわ。崩壊したドラゴンの残骸が、個別の戦闘ユニット『ハンドレッド・スウォーム(百の軍勢)』へと再定義されました!」
ピッコの悲鳴に近い実況が響く。空を埋め尽くしたのは、先ほどまでの「個」ではなく、意思を持った銀色の雲。数万、数十万の小さなナノマシンの兵士たちが、アークの装甲を食い破ろうと殺到してくる。
「もうっ、しつこいわね! シスターズ、迎撃!」
「母様、無理ですわ! 標的が小さすぎて、大火力では効率が悪すぎます!」
オーボエの冷静な分析通り、ボーンの突撃もヴィオラの狙撃も、雲を切り裂くだけでダメージにならない。
その時、アークのハッチが乱暴に蹴り開けられた。
「ふん……。アリスの遺産も、質より量に切り替えたってわけ? 安っぽい真似をしてくれるじゃない」
現れたのは、赤茶色の髪を荒野の風にたなびかせたリディア・スカーレットだ。彼女の手には、いつもの扇子ではなく、重厚な指揮官用の戦術端末が握られていた。
「ヴォルフ! あんたの作った可愛い子たち、全部解放しなさい! メンテナンスをサボってたなんて言わせないわよ!」
「ああ、分かってるよ! 全機、リディアのコントロール下に同期完了だ!」
アークの格納庫から、100機に及ぶ旧世界のドローンが、蜂の群れのように飛び出した。
「セフィラ、合図をしたら突っ込みなさい。……行くわよ、ハンドレッド・スウォーム(百の軍勢)対ハンドレッド・ドローン(百の翼)! 科学の暴力を見せてあげるわ!」
リディアが端末を軽やかに叩く。100機のドローンは、磁気干渉を逆手に取った「物理ワイヤー」で網の目のように連結された。それは巨大な、逃げ場のない「電磁檻」へと姿を変え、ナノマシンの群れを物理的に拘束していく。
「今よ、セフィラ! 掃除の時間ですわ!」
「了解。……私の翼で、塵一つ残しません」
リディアが作り出した電磁の檻の中へ、セフィラが「自由の翼」を最大出力で展開して突っ込んだ。白銀の粒子が摩擦熱を帯び、捕らえられたナノマシンの兵士たちを分子レベルで粉砕していく。
「もはや魔法なんていらないわね! 私たちの知恵と物理が、世界の理を上書きしてあげるわ!」
リディアの咆哮がネットワークに響き渡る。ドローン部隊が空を埋め尽くし、カイルの半トラックが物理弾道弾を次々と補給しながら平原を爆走する。
その光景は、もはや逃亡者のものではなかった。
アステリアの騎士たちと、旧世界のオーバーテクニックを操る魔女。一家は、アリスが用意した「検疫システム」という運命を、物理的な破壊力で粉砕して進む「侵略者」の勢いを持っていた。
「……Adminログ、確認。世界の『検疫OS』の一角が沈黙しました」
リュウガが、自身のシステムに刻まれる変化を静かに読み上げた。
「俺たちは今……アリスが用意したどのシナリオにもない、空白の領域へと踏み出したんだな。誰の道具でもない、俺たち自身の足で」
激戦の末、最後の一片のナノマシンが消滅した時、アークの目の前には鉄錆色のゲートが見えていた。
かつて旧ドイツ圏と呼ばれた地、その国境の壁だ。
「……終わったわね。リディア、あんたがいなきゃ、今頃ナノマシンの餌食になってたわ」
私がハッチから降りて声をかけると、リディアは戦術端末を放り出し、膝をついた。100機のドローンを同時並列で制御した反動で、彼女の体は限界に達していた。
「あったりまえじゃない……。私は、科学の女王なんだから……」
よろめいた彼女の肩を、ヴォルフが不器用に、けれど力強く抱き寄せた。
「……よくやったな、リディア。お前のドローン、最高に格好よかったぜ」
ヴォルフの言葉に、リディアは少しだけ顔を赤くして、彼の腕をぎゅっと掴み返した。
「……当たり前よ。あんた、あとで……膝枕しなさいよね。たっぷり労ってもらうんだから」
その瞬間、マナネットワークがかつてない異常なパルスを検知した。
「「「「てぇてぇですわーーー!!」」」」
シスターズ全員による大合唱が荒野に響き渡る。
「はい! ここで解説のヴィオラさん、今の状況をロジカルに説明お願いしますだだよぉ!」
ボーンがどこから取り出したのか、即席のマイク(空のコーラ瓶)を握りしめて実況を始めた。
「……はい。バイザーの数値によれば、リディア様とヴォルフ様の心拍同期率は98%。これは単なる疲労による共鳴ではなく、情動プロトコルによる『愛の強制パッチ』が適用された状態と推測されますわ」
ヴィオラが冷静に、しかし頬を微かに染めながらスキャンデータを空中に投影する。
『てぇてぇ反応、臨界点を突破したピ! 二人の周囲にピンク色のマナが渦巻いてるピ!』
ファーファが空中で激しく点滅し、リアルタイムの熱源データをボーンへ送信した。
「さらに証言もあるのだよぉ! 目線に黒い線を入れて、プライバシーに配慮した証言者の皆様、どうぞだだよぉ!」
ボーンが指し示した先には、目元に太い黒線を(ホログラムで)入れたシスターズたちが並んでいた。
「……証言者Sです。お父様がリディア様に触れる際、指先が0.3ミリ単位で震えていました。これは極度の緊張、および好意の隠蔽失敗を意味します」
「……証言者Oですわ。あらあら、あんなに強気だったリディア様が、今はただの恋する乙女……。毒舌を吐く隙もございませんわね」
「……証言者Obです。戦略上、この二人が結ばれることは一家の技術力の飛躍的向上に繋がります。極めて効率的な愛の形と言えますわ」
「……証言者Tです。……お幸せに。……爆発しろ」
(――あんたたち、やりたい放題ね……)
私は呆れ果てて、その茶番を眺めていた。
けれど、ふとヴォルフの腕の中で小さくなっているリディアを見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。
かつて、彼女はリュウガを付け狙い、私に執着し、あらゆる手段で私たちを追い詰めてきた最強のライバルだった。それが今や、ボロボロになりながらも家族のために戦い、そして不器用なエンジニアの腕の中で安らぎを見出している。
「……リディア。あんた、いつの間にヴォルフとあんなに仲良くなったのよ。……まあ、お似合いだけどね」
私はリュウガの隣で、微笑ましくその光景を眺めた。リュウガも「ああ、素晴らしいアップデートだな」と満足げに頷いている。
「さあさあ! 観念するだだよぉ! ここはもう、行くしかないだだよぉ!」
「チューしちゃえー!」「いっけー、ヴォルフお父様ー!」
コルネとユーフィが、二人の背中を物理的にド突きながら騒ぎ立てる。
「ちょ、ちょっとあんたたち!? 何を……んむっ!?」
リディアが抗議の声を上げようとした瞬間、ヴォルフが意を決したように、彼女の唇を自分のそれで塞いだ。
一瞬、世界から音が消えた。
ドローンの駆動音も、風の音も、シスターズの喧騒も。
「……っ。……ば、バカヴォルフ」
顔を真っ赤にしたリディアが、力なくヴォルフの胸を叩く。
「……ああ。バカで結構だ、リディア」
ヴォルフも耳まで赤くしながら、けれどその手は離さなかった。
「完全勝利だだよぉぉぉぉ!!」
ボーンの絶叫と共に、アークから盛大な祝福の火花(ヴィオラによる非殺傷弾)が打ち上げられた。
「てぇてぇ最大値ピ! 歴史に残る一ページだピ!」
灰色の雲が晴れ、旧ドイツ圏の地平線が朝焼けの色に染まっていく。
魔法文明との決別。そして、新しい「家族」の絆。
ボロボロになったアークは、最高に騒がしくて、最高に愛おしいノイズを響かせながら、ゆっくりと国境のゲートを越えていった。
アリスの用意したシナリオは、もうどこにもない。
ここから先は、私たちが描き出す、一ページなんだ。
――第4章 完




