第98話:【竜嵐】非常識の咆哮:ナノマシン・ドラゴン襲来
カルパティアの嵐を抜けた先、私たちの眼前に広がっていたのは、見渡す限りの銀色の平原だった。
「……信じられない。あそこを見て!」
アークの展望窓に張り付いた私は、遠く地平線に瞬く微かな「光」を指差した。それは魔法の極光ではない。規則正しく並んだ、都市の、人々の営みの明かりだ。
「……2000年。アリスが隔てた二つの世界。向こう側でも、人類は確かに生き続けていたのね」
私の震える声に、リュウガが静かに頷いた。カオスゾーンという死の領域に阻まれ、互いの存在を忘却していた歴史が、今まさに繋がろうとしている。
だが、世界は私たちの「侵入」を歓迎してはくれなかった。
「警告。後方空間のナノマシン密度が限界値を突破。再定義プロトコルが物理実体化を開始。……母様、後ろですわ!」
ピッコの鋭い警告と同時に、後方の霧が渦を巻き、天を衝くほどの巨躯が姿を現した。
全長300メートル。見上げるような鋼鉄の山が動いているかのようだ。マナの雷を纏った「ナノマシン・ドラゴン」。
それは魔法生物ですらない。リュウガというAdmin(管理者)と、私たちという「不純物」を排除するために、アリスが遺した世界の自浄システムそのものだった。
「……全システム、私たちを『バグ』として完全にロックオンしましたわ」
ピッコが、モニターに流れる赤いログを冷ややかに見つめて呟いた。
「母様、警告しますわ。今のドラゴンの攻撃には高密度のナノマシンによる『存在の上書き』が含まれています。……本来、シスターズの皆様はマナネットワーク経由で何度でも再構成が可能ですが、今の攻撃を直撃すれば魂のデータごと消去されます。……つまり、復活の余地なき『完全な死』ですわ。そんなものを使っている余裕など、一秒もありません!」
ピッコの声が、かつてないほどに切迫していた。
「復活できない……? あのアリスが、自分の作った子供たちに、そこまで無慈悲なシステムを仕込んでいたっていうの……?」
私は、目の前の圧倒的な質量の「山」を見上げ、全身が凍りつくような畏怖を覚えた。300メートルの質量。それが一振りすれば、アークも、シスターズも、私たちの歩んできた旅も、すべてが「なかったこと」に上書きされてしまう。
「オォォォォォン!!」
空気が爆ぜるような咆哮と共に、ドラゴンの巨大な前足が振り下ろされる。
「アーク、全速回避! 死にたくなければハンドルを回しなさい!」
私はステアリングの安全ピンを蹴り折り、キャタピラの片側だけを強引にロックさせて超信地旋回をキメた。
随伴する騎士たちの車両は、まるで落ちてくる高層ビルを避けるように泥を跳ね上げ、死に物狂いで蛇行する。踏みつけられた大地はクレーターのように抉れ、一歩遅れればキャラバンごと押し潰されていた。
ドラゴンの口から、あらゆる物質を分解するナノマシンの濁流――銀色のブレスが放たれた。
「させないわよぉ!」
「……一歩も、通さない」
チェロとテューバが重力障壁を幾重にも重ね、物理的な衝撃を正面から食い止める。
「あらあら、野蛮なトカゲさんですわね。わたくしの盾で、その無粋な爪を浄化して差し上げますわ!!」
オルガが周囲に展開したビットから電磁防衛シールドを多重展開するが、いつもは涼しい顔の彼女さえ、今は奥歯を噛み締め、余裕のない形相で魔力を絞り出していた。
マナネットワーク。いつもならシスターズたちの賑やかなお喋りや冗談が飛び交うその回線は、今、不気味なほどに静まり返っている。聞こえるのは、限界まで負荷のかかった各ユニットの駆動音と、切迫した座標データのみ。誰も口を開く余裕などなかった。
「危ないピ!」
ドラゴンの巨大な尾が地を這うように薙ぎ払われた。
「くっ……!」
陽動を買って出ていたハープとルーテが、その巨大な質量を紙一重でかわす。ハープの鉤爪がドラゴンの鱗を掠め、火花が散る。直後、彼女たちがいた場所は巨大な鞭のような一撃で文字通り粉砕された。
「ハープ、右15度! 反動で飛んで!」
ルーテの鋭い叫びがネットワークを走る。冗談一つない、生存のための冷徹な命令。二人はドラゴンの死角を縫うように走り回り、なんとかその意識を自分たちへ繋ぎ止めていた。
「長期戦は不利ですわ。……指揮権代行、フェーズ1へ」
オーボエの指示も、普段の優雅さはない。短く、突き刺すような言葉。
「ルーテ、ハープ、そのまま囮を継続。チェロ、テューバ、ガトリングとミサイルを絶やすな! カイル様、リディア様、全火力を一点に!」
カイル率いる騎士団が死に物狂いで重火器を連射し、リディアのドローンが自爆覚悟でドラゴンの懐に飛び込む。ドラゴンがその迎撃に気を取られた瞬間、オーボエが叫んだ。
「加速開始。コルネ、ユーフィ、ボーンを射出座標へ!」
「了解だだよぉ! 全力でぶん投げてくれだよぉ!」
加速の申し子であるコルネとユーフィが、ボーンの両脇を抱えてマナの爆風を背負う。
「放て!!」
ドォォォォォン!!
「ボーン・メテオォォォ!!」
光の矢となったボーンがドラゴンの喉元に激突。装甲を物理的に粉砕し、小さな「穴」を抉じ開けた。しかし、ドラゴンは即座に周囲のナノマシンを穴へと集約し、修復を試みる。300メートルの質量が持つ自己再生力は、絶望的な速度だった。
「フェーズ2、修復を阻止します! クララ、ヴィオラ、ダブルミックス・シュート!」
「……計算完了。風の渦、固定します」
クララが巻き起こした超高速の旋風が、穴に集まろうとするナノマシンを力ずくで吹き飛ばし、ガイドラインを作る。
「……ロックオン。最大出力で貫く!」
ヴィオラのレールガンから放たれた電磁加速弾が、旋風に乗ってさらに加速。ドラゴンの喉の穴を深く抉り、その奥にある発光コアを剥き出しにした。
ドラゴンが断末魔のような咆哮を上げ、周囲の空間そのものを自壊させるほどのエネルギーを放出しようとする。
「フェーズ3、これが最後ですわ! オーボエ、わたくしも力を貸しますわ。……行きますわよ!」
「了解ですわ。……末妹の門出、聖なる光で後押しして差し上げますわ」
オーボエの精密な演算と、オルガがビットから放つ高密度の魔力放射。二人の全力の「押し」を受け、セフィラの背中から白銀の翼が最大出力で展開される。
次元を切り裂く流星となったセフィラが、狂ったように再生を試みるドラゴンの喉へと、一点の迷いもなく切り込んだ。
「……特務機、全出力解放。母様の道を、私が開きます」
「「「――アンリミテッド・パージ!!」」」
ドラゴンの内部で臨界点に達したマナが爆発。
巨大な光の柱が平原を貫き、全長300メートルの自浄システムは、数十万のナノマシンの塵となって霧散していった。
静寂が戻る。私はアークの床に座り込み、激しく波打つ胸を抑えた。マナネットワークに、ようやく安堵の吐息とノイズが戻ってくる。
「……勝った。アリスの想定した『運命』を、私たちが力ずくで書き換えたんだわ」
「エリー……大丈夫か」
リュウガが歩み寄ってくるが、先ほどの激闘の余波で彼の右腕の義手からは激しく火花が漏れ、指先が不自然に曲がっている。
「……リュウガ! バカ、もう、無茶しないでって言ったじゃない!」
私は泣きながら、工具箱を引っ張り出した。震える手で、彼の腕を修理する。
「ごめん……エリー。だが、お前の声がずっと聞こえていたからな。不思議と、怖くはなかったんだ」
リュウガが、残った左手で私の頭を優しく撫でる。
「……幸せなバグですわね」
ピッコが、そっと私たちの隣に腰を下ろした。
ドラゴンという名の「自浄システム」を、論理ではなく「家族の絆」という物理的な暴力で突破した私たち。それは、人類がもはや誰の管理下にもない、新しい種として歩み始めた証明でもあった。
地平線の先、旧ドイツ圏の空に夜明けの光が差し始める。
「……行きましょう、リュウガ。私たちの祖先の実家へ、ね」
キャラバンは泥まみれになりながらも、誇らしげに地平線へと進んでいく。
大陸横断の果てに待つ、最後の扉。その鍵は、もう私たちの手の中にあった。




