第97話:【航海】五感のエネルギー・ストーム
ウクライナ平原を抜け、カルパティア山脈へと差し掛かった頃、空の色は不気味な鉛色へと変わっていた。
「……ピッコ、これ。ただの嵐じゃないわね」
アークの操縦席で、私は狂ったように踊る計器類を睨みつけた。
「警告ですわ、母様。……いえ、警告すら不可能です。世界の再定義に伴う超巨大磁気嵐――『エネルギー・ストーム』が発生しています。あらゆる魔法回路、電子機器が、この虚無に呑み込まれますわ!」
ピッコが叫ぶと同時に、アークのメインモニターが火花を散らしてブラックアウトした。
「Admin権限が……弾かれる!? くそ、システムが外部入力を一切拒絶している!」
リュウガがコンソールを叩くが、彼の持つ管理者の力さえ、このホワイトアウトの中では無力だった。
窓の外は、音も光も通じない純白の地獄。10台の随伴車両を率いる騎士団が、霧の中で散り散りになりかける。
「全車両、エンジンを何としても停止するな! 前方の熱源を見失うな!」
通信機が死ぬ直前、カイルの咆哮が響いた。だが、その熱源さえも磁気嵐にかき消されていく。
「リュウガ、カイル! 完璧な道なんて、システムに探してもらうもんじゃないわ!」
私はアークの床に散らばっていたジャンク品――磁鉄鉱の欠片と、細い針、および油を引いた皿を引っ張り出した。
「何をしている、エリー様!?」
カイルが私の腰を支えながら、鋭い声で問う。彼は女王セーラの家人として、彼女が「姉」のように慕う私のことを、常に敬意を持って護ろうとしてくれていた。
「アナログ方位磁石よ! 電子も魔法も通じないなら、この星が持ってる原始的な『磁気』に訊くしかないわ! どんなに高度なシステムも、ただの『鉄と磁石』の引力は騙せないわよ!」
私が即興で作ったガラクタの磁石。それは震えながらも、確かに一定の方向を指し示した。
「カイル、後方の車両に信号を! ……って、通信が死んでるわね。ヴォルフ! リディア! そっちはどうなってるの!?」
最後尾の車両では、ヴォルフが愛用の巨大スパナを叩きつけながら絶叫していた。声は何とか届くようだ。
「クソっ、電子制御が全部イカれてやがる! リディア、ドローンもい今飛ばしたら全機お釈迦だ! あと。これじゃ車両そのものがバラバラになっちまうぞ!」
「言われなくても分かってるわよ! ヴォルフ、あなたはエンジンの火を絶やさないことだけ考えて! 騎士の皆様、計器が死んでも腕はあるでしょう? 私の合図に合わせて、手動のアンカーワイヤーを射出して! 物理的な『鎖』で全車両を繋ぎ止めるわよ、離脱は一両たりとも許さないわ!」
リディアは、自慢のドローン部隊が沈黙したことを微塵も動じず、即座にアナログな力技を指示した。その苛烈な号令が、パニックになりかけた騎士団を再び繋ぎ止めていた。
だが、嵐の虚無から忍び寄る「影」は、私たちの命を直接狙っていた。
「……来ましたわ。視覚も聴覚も奪われたこの闇で、音もなく忍び寄る影の軍勢。および、その中心に嵐の核――『特異点』を検知しました」
セフィラが低く告げた。
「目が見えないなら、耳で殺すまでだお!」
ボーンが叫び、シスターズたちが楽器を取り出した。チェロが弦を弾き、テューバが地を揺らす低音を鳴らす。
「反響定位戦闘――開始ですわ」
クララが指揮を執り、音の反響だけで敵の位置を特定。
「ヴィオラ、クララ! 嵐の核が見える!? 物理法則が捻じ曲がってるあの中心よ!」
私の叫びに、二人の狙撃手が同時にバイザーを跳ね上げた。
「お任せになって! ……風の音、マナの波、および母様の指針。……計算完了」
ヴィオラが電磁加速砲を構える。
「……誤差0.001。姉様、合わせますわ!」
クララがライフルを固定する。
音も光も通じない絶望のホワイトアウトの中。
二人が放った弾丸は、マナのネットワークを介した「絆」という名の不可視の線に乗り、嵐の核へと吸い込まれていった。
「「二重スナイプ(デュアル・パージ)!!」」
凄まじい衝撃波と共に、嵐の核が物理的に粉砕された。
エネルギーの奔流が急速に霧散し、荒れ狂っていた風は一気に凪いだ。舞い上がっていた土砂がゆっくりと地面に落ちていく。
静寂が戻る。
その瞬間、キャラバン全体がまるで精密機械のように動き出した。
「総員、現状報告! 損耗状況を即座に確認せよ!」
カイルがアークのステップから飛び降り、まだ砂塵の舞う中、部下たちへ鋭い指示を飛ばす。
「第一、第二小隊は車両の外装チェック! 第三小隊は負傷者の有無を確認! 急げ!」
「了解!」
騎士たちがテキパキと各車両へ散っていく。
アークの内部では、シスターズたちが動いていた。
「オーボエ、内部回路の汚染チェックをお願い。私はみんなのマナバイタルを確認するわ」
「了解。……物理干渉によるショート、なし。メインOS、復旧します」
チェロとオーボエが瞬時に情報の整理を行い、不測の事態に備える。
外ではヴォルフがアークの足回りに潜り込み、巨大なスパナを振るっていた。
「おいリュウガ、こっちのサスペンションが歪んでやがる。物理的な衝撃は磁気防壁じゃ防げねぇからな。すぐに叩き直す!」
「助かる、ヴォルフ。……リディア、周囲は?」
「ドローンを数機、手動制御で再起動させたわ。索敵範囲を半径3キロに拡張中よ。残党の気配はないわ、安心して頂戴」
リディアが端末を軽やかに操作し、再び空を舞うドローンたちが私たちの周囲に不可視の警戒網を張り巡らせていく。
プロフェッショナルな連携。それが一段落したところで、私はアークのハッチから外の空気を吸った。
「……ふぅ。一時はどうなることかと思ったぜ、エリー様。あんたのあの磁石、家宝にするわ」
一人の若い騎士――以前スーパーで、カイルの目を盗んで私にコーラを一本分けてくれた気のいい彼が、煤だらけの顔で笑いかけた。
「……ニコル。よかった、無事だったのね」
「えっと。あのコーラの刺激が残ってたおかげで、眠くならずにハンドルを握り続けられましたよ。……でも、さっきの狙撃には参ったな。空気が震えるのを感じた。セーラ様が『あの人たちを信じなさい』って言った意味が、ようやく分かった気がする」
彼は腰のホルダーに差した、あの日私がメンテしてやった古い剣の柄をポンと叩いた。
「失礼ね、ニコル。ガラクタじゃなくて『科学』と『絆』の結晶よ。……でも、あんたの運転も相当なもんだったわ。一瞬も列を乱さなかったもの」
私が答えると、周囲の騎士たちからもどっと笑いが起きた。
「おーーい。エリー様、あそこを見てください!」
カイルが再び、威厳を持って地平線を指差した。
嵐の向こう側――。そこには、どこまでも平坦で豊かな、旧ドイツ圏平原の影が青白く輝いていた。
「……着いたな。アリスが目を目指した場所、および俺たちが定義する『新しい世界』の入り口だ」
リュウガが私の肩を抱き寄せる。
アリスが完璧さを求めて切り捨てた「不純な愛」と、不器用な「アナログの知恵」。
私たちはそれらを誇らしげに掲げ、大陸横断の真の強さを得た。
地平線の向こうに待つ最後の真実へ向けて、私たちのキャラバンは再びエンジンを吹かした。
西の果てまで、あと少し。
私たちの旅は、最高の「バグ」を抱えたまま、クライマックスへと突っ込んでいく。




