第95話:【不純】アリスの限界とエリーの「不純物」
ドニエプル川を越え、さらに西へと進む私たちの前に、奇妙な森が現れた。
それは樹木と鉄が共生した、銀色の森だった。2,000年という長い年月。かつての高度文明が残したスクラップの山に苔がむし、その隙間から太い幹が突き出し、錆びた鉄骨を包み込むように成長している。
「……ここ、何なの?」
アークを降りた私は、足元の柔らかな苔を踏みしめながら、その巨大な「ゴミの山」を見上げた。
いや、これはただのゴミじゃない。
ほとんどの物は錆びて土に還り、原型を留めていない。けれど、崩れた地層の隙間や、樹木が抱え込んだ空間の中に、まるで太古の遺跡から発掘される土器のように、奇跡的に形を保った「生活の残骸」がいくつか残されていた。
壊れた時計の真鍮製の歯車、不自然なほど鮮やかに色が残った陶器の置物、泥に埋もれていたことで風化を免れた金属製の額縁。2,000年前の誰かが確かに愛用し、そしてアリスによって「不要」と断じられた、名もなき人々の生活の欠片だ。
「……ここは、アリスが極東へ向かう際に切り捨てた『不適格物』の集積場だ」
リュウガが、一本の巨木に食い込んだ錆びた鉄の塊を見つめながら言った。
「限られた積載量、限られた時間。数万人を連れて行くために、彼女は徹底した選別を行った。生存に寄与しない『思い出』や『感情の依代』は、ここで全て捨てられたんだ。これらが今も形を残しているのは、単なる偶然……あるいは、この地の特殊なマナが時間を止めていたのかもしれないな」
ピッコが私の肩越しにデータを投影する。
「合理的な判断ですわ。アリスの論理において、これらはシステムの容量を圧迫するだけの『ノイズ』。完璧な救済計画を完遂するために、彼女は冷徹にこれらを切り捨てたのです」
アリスが切り捨てた、救えなかったノイズ。
私の胸の奥で、言いようのない熱い塊が込み上げてきた。
「……ふざけないでよ」
私は、泥にまみれた一個の小さな陶器のマグカップを取り上げた。縁は欠け、かつての子供向けらしい絵柄はほとんど剥げ落ちているが、それでも2,000年前の温もりを微かに伝えている。お気に入りだったはずのこれを捨てさせられた時、その子はどんな顔をしただろう。
「正しいかどうかなんて、関係ないわ。……私は、アリスみたいに完璧じゃないもの。私は、全部連れて行くのが正義よ!」
私はアークから溶接機とハンダ付けの道具一式を引っ張り出した。
「ヴォルフ、手伝って! シスターズも、そこに転がってる『ノイズ』を全部拾い集めて! 2,000年も残ってた奇跡を、ここで終わらせるわけにはいかないわ!」
「お、おいエリー、本気か? 骨董品の発掘作業じゃないんだぞ」
ヴォルフが呆れ顔で訊ねるけれど、私の手はもう止まらない。
私は、アリスが「ゴミ」と定義した遺留品を、一つ一つハンダで繋ぎ合わせていった。時計の歯車を心臓に、折れたアンテナを背骨に、生活の断片を一つの巨大な像へと組み上げていく。
それは論理からすれば無意味な、ただの巨大なガラクタの塊かもしれない。
けれど、私にとっては、アリスが切り捨てた「生きた証」を繋ぎ止めるための、魂の儀式だった。
「完成よ。……名付けて、『生きた証の碑』」
数時間後、森の中に立ち上がったのは、不格好で、不純物だらけで、けれど不思議と温かい光を放つ巨大な像だった。
「リュウガ。これ、あんたの予備メモリに保存して」
私は像の土台を叩いた。
「ここに眠る人たちの、捨てられた想いのデータを全部スキャンして、あんたの中に刻むのよ。あんたが覚えていれば、彼らは死なない。アリスが諦めた救済を、私が完成させてあげるわ」
リュウガが、ゆっくりと像に手を触れた。
彼の瞳の中で、Adminの管理ログが激しく点滅している。
「……エリー。アリスの計算には、このデータの重要性は記録されていなかった。……だが、今、俺の回路がこれを『最優先事項』として認識している」
リュウガが私を振り返った。その瞳には、以前のような「管理者」としての冷たさは微塵もなかった。
「お前は、アリスが見つけられなかった正解だ。……君の不合理な優しさこそが、俺を、およびこの世界を救うための『真の治療薬』なのかもしれない」
その言葉に、私は鼻の奥がツンとした。
「……当たり前でしょ。私はアリスを追い越す女なんだから」
だが、その感動に水を差すように、森の奥から不気味な咆哮が響いた。
「やはり来ましたわね。過去の遺念がマナと結びつき実体化した『シャドウ(忘却の獣)』。……それも、軍勢ですわ」
クララがライフルを構え、冷徹に告げる。木々の影から、かつて捨てられた機械や人々の怨念が形を成したような、どろどろとした黒い魔獣の群れが溢れ出してきた。
「シスターズ! 全員、私の傑作を守りなさい! 一つのネジも欠けさせちゃダメよ!」
私の号令に、11人のシスターズが即座に応えた。
「了解だだよぉ! 全員、物理シールド展開! 像の周囲15メートルを絶対防衛圏にするだよぉ!」
ボーンが叫び、盾持ちのテューバとチェロが像の前に立ちふさがる。
「テューバ、合わせるわよ。……重力障壁、最大展開!」
「了解、姉様……。一歩も、通さない」
二人が展開した重力の盾が、シャドウの突撃を次々と弾き飛ばす。
空中ではセフィラがその白銀の翼を広げ、次元干渉波で敵の霧を切り裂いていた。
「特務機、全機能解放。……私の自由な翼で、母様の想いを守り抜きます」
彼女の振動剣が閃くたび、黒い軍勢が粒子となって消えていく。さらにその後ろから、リディアのドローン部隊が複雑な編隊を組んで光弾の雨を降らせた。
「ふふ、芸術作品を壊すなんて、野暮な連中ね。……総員、スウィープ(掃討)開始よ!」
遠距離からはクララとヴィオラの狙撃が敵の核を正確に射抜き、近距離ではコルネとユーフィ、およびハープが踊るように刃を振るう。
「あらあら……皆様、お掃除の時間ですわよ」
オルガが放つ聖なる浄化の光が、影の軍勢を根こそぎ消滅させていく。
11人のシスターズ、セフィラ、およびリディアのドローン。私たちの「家族」が総出で、私が作ったガラクタの碑を守るために戦っている。その圧倒的な光景に、私は思わず息を呑んだ。
「すごい……。私の作ったもの一つ守るために、みんなあんなに……」
やがて、最後の一体がセフィラの剣によって霧散し、森に静寂が戻った。
「母様! 傷一つありませんよぉ! 完璧な守備だっただよぉ!」
「エリー母様、お怪まありませんか? ……ふふ、あの像、近くで見るととても温かいですわ。流石はアリスを超えた、母様のセンスです」
クララが優しく微笑み、コルネやユーフィが「母様かっこいい!」「天才的だね!」と口々に私を褒めちぎる。
「……ふ、ふふん! ま、まあ当然よ! 私が本気を出せば、ガラクタだって世界で一番価値のあるものに変わるんだから!」
私は胸を張り、有頂天になって叫んだ。
「リュウガ、聞いた!? 今の見た!? 私、アリスが捨てたノイズを拾って、シスターズ全員に守られるような最高のアートを作っちゃったのよ!」
「ああ。本当に、お前には敵わないな」
リュウガが呆れ半分、尊敬半分で笑う。その笑顔を見て、私はますます調子に乗って「もっと褒めてもいいわよ!」とアークの甲板で躍り上がった。
世界のデリートを止めるのは、完璧な論理ではない。
アリスが切り捨てた「不要な感情」を、誇らしげに掲げて歩む私たちの不純な愛。
私たちは「生きた証の碑」をその目に焼き付け、確かな手応えと共に、さらに西の真実へと加速していった。




