第93話:【解放】ヴォルフとセフィラ:アンビリカル・パージ
ショッピングモールを後にした私たちの旅路は、ウクライナの広大な平原へと続いていた。
アリスが歩んだ足跡を辿り、彼女の孤独とエゴを肯定したことで、私の心はこれまでにないほど澄み渡っている。
「リュウガ、あそこ……マナの濃度がまた上がってるわ」
私はアークのモニターを指差した。カオスゾーンの深部へ進むにつれ、大気は青白い極光を帯び、物理法則を歪ませる嵐が吹き荒れている。
本来なら足止めを食らうような場所だが、今の私たちは「呼吸」でマナを力に変えるシスターズたちがいる。彼女たちはハッチを開け放ち、荒野の空気を吸い込むだけで、まるで極上のワインでも味わったかのように闘志を漲らせていた。
そんな中、アークの屋根に陣取っていたセフィラが、珍しく自分からラボへと降りてきた。
「エリー様、ヴォルフ……相談があります」
銀髪の少女のような特務機は、無機質な瞳の中に、今までになかった「熱」を宿して私を見つめていた。
「このケーブルを……外していただきたいのです」
彼女が指差したのは、アークの主電源から彼女の背中へと繋がっている、太いアンビリカルケーブルだった。特務機という超高出力ゆえに、彼女はこれまでこの「臍の緒」なしでは長時間の稼働ができなかったのだ。
「えっ……? セフィラ、本気なの?」
私は思わず絶句した。守り人の集落で行ったマナ代謝の改造で、確かに自律駆動の理論値は跳ね上がった。けれど、彼女の出力はシスターズとは桁が違う。
「今のあなたなら計算上はいけるはずだけど……もし失敗したら、あなたのコアが焼き切れるか、そのまま沈黙するわよ? 私、まだそこまで自信が……」
「シスターズの姉様たちのように……私は、もっと自由に動きたい」
セフィラは私の不安を遮るように、強く、切実な声を上げた。
「アークを守るだけではなく、みんなの元へ駆けつけ、リュウガ父様を、エリー母様を、家族を……自らの足で護り抜きたい。私は、繋がれた兵器のままではいたくないのです」
その言葉に、そばで大型スパナを弄んでいたヴォルフが、静かに顔を上げた。
「……変わったな、セフィラ。お前がそんな『我儘』を言うようになるとはよ」
ヴォルフの口元には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「エリー、ピッコの演算でも『可能』の数値が出てるんだろ? なら、エンジニアがビビってどうすんだ。……こいつはもう、ただの機械じゃない。自分の翼で飛びたがってる『生き物』だぜ」
「……分かったわよ。そこまで言うなら、最高の結果にしてあげるわ」
私は腹を括った。ピッコに視線を送ると、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「……感情に流されるのは非論理的ですが、セフィラのリアクターがその意志に共鳴して自己進化を始めているのは事実です。エリー、準備を」
手術は、走行中のキャラバン「アーク」内で行われた。
ヴォルフがケーブルのロックを解除し、私がナノマシンのバイパス回路を最終調整する。
「セフィラ、いいか。この名前はな、俺がガキの頃にボロボロになるまで読んだ童話、『竜の姫と絆のユニゾン』に出てくる自由奔放な竜姫から取ったんだ」
ケーブルを切断する直前、ヴォルフがボソリと、誰に聞かせるともなく語り始めた。
「俺は、窮屈なこの世界で自由に駆け回るあの姫に憧れた。だから、お前を作った時、無意識に願っちまったんだ。お前は俺の所有物じゃない。……あの姫のように、世界を好きに駆けろ」
ヴォルフの手によって、物理的な「臍の緒」がパージされた。
その瞬間、その瞬間、セフィラの内部で巨大なタービンが自力で回転を始める。外部からの強制給電ではなく、自らの「肺」で世界を飲み込む重厚な駆動音が響いた。背中から白銀の粒子が噴き上がり、アークのラボ全体が眩い光に包める。
だが、次の瞬間、セフィラの膝がガクリと折れた。
「……っ、マナが、入って、こない……!?」
セフィラの顔に、焦燥の色が走る。ケーブルからの強制給電が消えたことで、彼女の巨大なリアクターは「自力での呼吸」を要求していた。だが、あまりに高出力ゆえに、守り人から学んだ呼吸法の同期が追いつかず、出力が急速にダウンしていく。
「セフィラちゃん! ぼーっとしてる暇はないよ!」
ハッチを蹴破って、コルネが飛び出してきた。彼女の赤い発光ラインが激しく明滅している。
「熱を怖がっちゃダメだ! 肺を焼くくらいの勢いで、外の嵐を飲み込んでみなよ!」
「そうだだよぉ! 爆発は制御するもんじゃなくて、乗っかるもんだよぉ!」
ボーンが横から割り込み、ハイテンションで叫ぶ。
「セフィラちゃんの心臓は、今のままでも世界で一番熱いんだよぉ! もっと『ドゴーン!』と吸い込んで、『バリバリーン!』と回すんだよぉ!」
「深呼吸……世界を丸ごと飲み込むつもりで。大丈夫、あーしたちがついてる!」
ユーフィが優しく背中に手を添えると、セフィラの瞳に再び光が戻った。
「……吸い込む。……回す。……世界を、私の力に!」
セフィラが大きく胸を張った。
その瞬間、彼女の背中から展開されたのは、魔導装甲ではなく、眩いほどに光り輝く「自由の翼」。白銀の粒子がカオスゾーンの歪んだマナを中和し、周囲の空間そのものを安定させていく。
セフィラは流星のような速度でアークの屋根へと飛び戻り、前方から迫るマナの渦を、振動剣の一振りで軽やかに切り裂いてみせた。
「……熱暴走、なし。出力、定常値を突破。……これが、私の自由」
セフィラの走行速度が徐々に上がる。彼女が開く航路はどこまでも澄み渡り、私たちの進むべき道を照らしていた。
実験が終わり、全シスターズがアークの甲板に集まった。
チェロが、リディアが、および厳しい視線を送っていたオーボエまでもが、満足げに頷いている。
「認めますわ。セフィラ、今のあなたは文句なしに『個の最強』。……そして、私たちの頼もしい末妹ですわね」
長女のチェロが優しく告げると、他の11人の姉様たちからも口々に「合格だよぉ!」「流石だね」「あんた、最高に格好よかったわよ」と太鼓判が押された。
「……あ、ありがとうございます……」
それまで無機質な兵器の顔をしていたセフィラが、急に顔を真っ赤にして、銀髪を弄りながら視線を泳がせた。
「……姉様たちに、そう言っていただけると……その、演算ユニットが少し、くすぐったいです」
不器用に、けれど幸せそうに照れる彼女の姿を見た瞬間、シスターズたちのボルテージが跳ね上がった。
「きゃーっ! かわいいー! なにその顔、反則だよぉ!」
「あらあら、本当にかわいらしい……。もう一度言ってくださらないかしら?」
「ボク、もう我慢できない! セフィラちゃん、抱っこさせて!」
ラボ中に響き渡る「かわいいー!」の大合唱。コルネやユーフィが我先にと抱きつこうとし、セフィラは「ひゃぅ、あ、あの、姉様方……近いです、演算がパンクします……!」と、さらに真っ赤になって狼狽している。
その光景を、ヴォルフはスパナを握りしめたまま、言葉を失って見つめていた。
自分の作った「兵器」が、今、これほどまでに人間らしく、家族の中で愛されている。
熱いものがこみ上げてきたのか、彼は鼻をすすり、無愛想を装ってセフィラを呼んだ。
「……おい、セフィラ。あんまり羽目を外すなよ。回路に余計な負荷がかかったら元も子もねぇ」
セフィラはシスターズの腕の中からひょいと顔を出し、ヴォルフをじっと見つめると、これまでにないほど柔らかな、完璧な「笑顔」を浮かべた。
「お父様、ありがとうございます。……私を自由にしてくれて」
「お、お父……!?」
ヴォルフが完全に固まった。全身が石にでもなったかのように静止し、口だけがパクパクと動いている。それを横で見ていたリディアが、扇子を広げて艶やかに笑いながら彼の肩を叩いた。
「あらあら、ヴォルフ。あんた、意外とロマンチストで可愛いところがあるじゃない。それにしても、セフィラの生の由来が、童話の竜の姫、なんてねぇ?」
「リ、リディア! 今のはその……雰囲気に流されただけで……!」
「ふふ、いいわよ。そういう『青い』男、嫌いじゃないわ。本当におめでとう、立派な父親ね」
リディアにからかわれて顔を真っ赤にするヴォルフ。その様子を、セフィラがじっと観察しながら、ヴィオラから渡されたタブレットに「恋愛におけるデレの有効性:お父様とリディア様の場合」とメモを取っているのが見えて、私は思わず噴き出した。
『てぇてぇ最大値ピ! ファーファも混ぜてピ!』
ファーファが空気も読まずに叫んでいるけれど、今はこの多幸感に浸っていたい。
「リュウガ、見て」
私はリュウガの手をギュッと握りしめた。
「ああ、エリー。俺たちの翼は、もう誰にも止められない」
不完全な私たちが、不完全なまま歩む旅。
2000年前の絆が繋いだ新しい家族は、西の果てにある「真実」へと、さらに加速していった。




