第91話:【代謝】精霊の息吹とマナの科学
カスピ海の底、乾いた風が吹き抜ける岩山の陰に、彼ら――「守り人」の集落はあった。
百名ほどが肩を寄せ合って暮らすその場所は、鉄屑と岩を組み合わせた無骨な住居が並び、力強い「野生」の熱気に満ちている。
「さあ、運び込みなさい!」
私の指揮で、アークのハッチからリグ・クローラーの巨大な肉塊が次々と運び出されていく。シスターズたちが平然と巨体の肉を担ぎ出す様子を見て、集落の民たちは畏怖の視線を送っていた。
「……感謝する。これほどの獲物を一度に、しかも新鮮なまま運べるとはな」
長であるガラードがようやく表情を緩めた。
私たちは単に肉を運んだだけでなく、お礼としてキャラバンに積んでいた予備の物資や、彼らの生活を助けるための簡易的な調理機械などを提供した。さらに、ピッコがその高度なスキャン能力を活かして、村人たちの健康診断や診療を行ってあげると、彼らの警戒心は目に見えて解けていったようだった。
リディアはリディアで、外の世界の情勢を面白おかしく聞かせることで、ガラードの信頼を勝ち取っていた。その対価として、彼らが数百年守り続けてきた「口伝の歴史」――魔法が消えた後の世界の成り立ちを共有してもらえることになった。
だが、私の興味は情報の交換以上に、彼らの「肉体」そのものに向けられていた。
「ピッコ、準備は?」
「……質問が愚かですね、創造主エリー。指示を待つまでもなく簡易スキャンは完了しています。アリス様の血を引いている割には、少々判断が鈍っているのではないですか?」
相変わらず手厳しいピッコの言葉にムッとしながらも、モニターのデータを見て、私は思わずコーラの瓶を落としそうになった。
「大気中のマナを……直接、細胞内のエネルギーに変えている? 魔法回路を一切介さずに!?」
「精霊の息吹」と呼ばれる呼吸法。これが、アリスが夢見た「ハードウェアとしての進化」の正体だった。
「これだわ……! リュック、これよ!」
私は興奮のあまり、隣で村の古老と話をしていたリュウガの袖を引っ張った。
「シスターズたちが抱えていた『燃費』の問題を、この『代謝プロトコル』で上書きできるわ!」
私は即座に、アークのラボにシスターズたちを呼び戻した。ピッコのデータをもとに、吸気系への「ナノマシン変換フィルター」増設と、肌に「ナノ紋」を刻む緊急手術を敢行する。
「私、私は!? ご主人様、ファーファのアップデート案は!?」
作業中、目の前でパタパタと浮遊しながらファーファが液晶に期待の文字を躍らせてきた。私はハンダごてを握ったまま、一瞥もせずに言い放つ。
「うーん、あんたはただの球体ドローンなんだから、肺なんてないでしょ。今あんたにできる追加改造なんて思いつかないわ。……あ、照明係として光量を3%上げるくらいならしてあげてもいいけど?」
「(>_<) 扱いがひどすぎますピ! ファーファだって強くなりたいピ!」
うるさい球体を無視して調整を続けていると、差し入れを持ったリュウガがやってきた。……が、その背中には村の小さな女の子がぴったりと張り付いている。
「リュウガ様、お疲れですか? この薬草の実、どうぞ」
「ああ、ありがとう。美味しいな」
リュウガが優しく微笑み、女の子の頭を撫でる。その光景を見た瞬間、私の手の中の溶接機が火花を散らした。
「ちょっと! リュック、危ないわよ、距離を詰められすぎ! その子は本能で『強いオス』を選んでるんだから!」
「エリー、子供相手に何を言ってるんだ……」
「マスター、奥様の嫉妬カウンターが最大値に達しました」
クララが後ろで淡々とメモを取る。屋根の上からは、セフィラの無機質な声が。
「解析結果。マスターへの接触時間、エリー様と比較して過去1時間で300%上回っています。離婚の危機……でしょうか?」
「離婚なんて縁起でもないこと言わないでよ! 私たちはもう夫婦なんだから! 離れなさい、リュウガの隣は私の特等席なんだから!」
私がてんぱりまくって叫んでいると、アークの影からリディアがひょいと顔を出した。
「あらあら、エリー。相変わらず余裕がないわねぇ。そんなんじゃリュウガ様に愛想を尽かされちゃうわよ?」
リディアは余裕の笑みを浮かべ、そばで大型アームを調整していたヴォルフの肩に、しなやかな腕を回した。
「ヴォルフ、あなたの方は順調? 汗をかいて働く男の人って、素敵だわ」
「お、おいリディア、近いって……! 仕事中だぞ、仕事中!」
ヴォルフは顔を真っ赤にして、持っていたスパナを落としそうになっている。
「ふふ、いいじゃない。あなたのおかげでアークの出力も上がりそうだし、今夜は特別に労ってあげようかしら?」
「……へっ!? ほ、本当に……?」
鼻の下を伸ばすヴォルフを見て、屋根の上のセフィラが冷たく言い放つ。
「マスター、心拍数が異常上昇。リディア様による誘惑デバフの影響を強く受けています。脳冷却を推奨します」
「余計なお世話だ、セフィラ!」
ラボの中に、私の悲鳴とリディアの高笑い、そしてシスターズたちの呆れた声が混ざり合う。
翌朝。改修を終えたシスターズたちが荒野に並んだ。その漆黒のスーツの上には、美しい青の「ナノ紋」が輝いている。
「あらあら……これは凄いですわ~。体の中からポカポカして、まるで春の陽だまりの中にいるみたい……。癒やしのマナが溢れて止まりませんわ」
オルガが胸元に手を当て、うっとりと頬を染める。彼女の周りには、意識せずとも強力な聖域が展開されていた。
「……ふふふふ。めんどくさい工程だったけど、これなら『加速』の必要さえ感じない。私の反応速度、もう限界値が見えないわ」
ルーテが静かに掌を見つめ、邪悪なほどに美しい笑みを漏らす。
「これなら……いくらでも撃てるよ! 奥様、見てて!」
コルネが深く息を吸い込むだけで、大剣が周囲のマナを暴風のように吸い込んで激しく発火する。
その様子を観測していたヴィオラが、バイザーの数値を二度見して声を上げる。
「信じられない……。私の電磁パルスの射程が従来の200%に拡張されています。これなら広域ジャミングを維持したまま、マシンガンの連射熱もナノ紋が瞬時に冷却してくれるわ」
「私のライフルも、5キロ先までの精密狙撃が誤差0.01%内で安定していますわ」
クララも驚きを隠せない。彼女たちの長距離制圧能力は、もはや一つの軍隊を単独で無力化できるレベルにまで跳ね上がっていた。
「……出力、安定。マナの『呼吸』による熱排出効率が最適化されました。最大火力の維持時間が無制限へ移行。……これが、本当の私」
アークの屋根で、セフィラが振動剣を僅かに抜く。それだけで地面が共鳴し、目に見える衝撃波が荒野を切り裂いた。
「姉様……見て。この盾、すごく軽いよ」
テューバがチェロの隣に寄り添い、こそこそと耳打ちしている。
「重力制御の効率が上がって、どれだけ質量を乗せても重さを感じないの……。姉様の斧と合わせれば、絶対負けない気がする」
「ええ、テューバ。……私たちの守りは、もう何者にも突破させない」
チェロも力強く頷き、二人は強化された防衛ラインの感触を確かめ合っていた。
放たれる魔法の弾幕は、もはや一点の曇りもない極光となって荒野を照らした。カオスゾーンの「毒」は、今の彼女たちにとっては尽きることのない「無限の燃料源」だった。
「……やはり、貴様らは異質だ」
見送りに来たガラードが、圧倒的なプレッシャーを前に感嘆の吐息を漏らした。
「我らは魔法を捨てた。だが、貴様らは魔法を『飲み込み』、自分たちの血肉に変えたのか。その鋼の肉体……もはや精霊そのものだな」
「そう? でも、これが私たちの『家族』の形のなのよ。ガラード、ありがとう。あなたたちの体、最高に参考になったわ!」
「……フン。二度と来るな、と言いたいが……貴様らの『欲』の深さは嫌いではない」
守り人の集落を背に、アークは再び西へと走り出す。
理を書き換えた私たちの足取りは、かつてないほど軽い。
隣に座るリュウガの手をギュッと握りしめる。
「リュウガ、次は……もっと西の、未知の領域ね」
「ああ。どんなバグが待っていても、俺たちの『絆』というハードウェアがあれば乗り越えられるはずだ」
荒野の向こうに、新しい地平線が見えていた。




