↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥まみれの英雄たち  作者: 時雨
第二部 凡人の再起/第五章 黒衣の兄と白樺監視所の撤退戦
PR
46/50

第46話 靴を選ぶ日

 西谷補給所へ来て、二度目の秋が近づいていた。最初の年に直しながら履いていた靴もいよいよ限界になり、休みの日、僕とテオは前に話していたセラの店へ新しい靴を買いに出た。

 通りには洗濯物が揺れ、酒場の前に荷車が何台も停まっている。軍の倉庫とは違い、人々は僕らの歩く速さに合わせてはくれなかった。


「ほら、そっち」


 テオが僕の袖を引く。

 通り過ぎた荷車の車輪が、ぎりぎりで僕の靴先を避けた。


「ぼんやりするなよ」

「ごめん」

「またそれだ」


 テオは笑った。

 セラの店は市の裏通りにあった。

 布と革の匂いが混ざる小さな店で、壁には靴が吊るされている。


「軍の子たちね」


 セラは僕らの足元を見て、すぐに言った。


「その靴で冬を越すつもり?」

「安いのがあれば」


 テオが答えると、セラは奥から何足か出してきた。

 僕は値札を見比べた。一番安いものでも、手持ちの小遣いの半分を使う。


「こっちの方が安い」


 僕が薄い靴を指すと、セラは首を振った。


「底が薄いわ。泥道を歩くなら、三月で駄目になる」

「でも高い」

「二足買うより一足を長く使った方が安いでしょう」


 僕は少し悔しかった。分かっているのに、今あるお金が足りない。

 セラは僕の顔を見て、靴を一足だけ残した。


「直しながら履けるものにしなさい。踵の交換も受けるわ」


 僕はその靴を履いて、店の中を歩いた。

 新しい革は固かったが、足の裏が床へしっかりついている。

 帰り道、テオが言った。


「お前、最初のころより歩くの早くなったな」

「そんなことないよ」

「あるって。荷車に置いていかれなくなった」


 僕は笑った。

 兵士でもなく、魔術師でもない僕の足が、少しずつこの町の道に慣れてきた。

 そのことが妙に嬉しかった。

 補給所へ戻ると、オルドが門の前にいた。


「遊びは終わりか」

「はい」

「なら明日から、北の増援隊向けの準備を手伝え」


 僕は靴箱を持ち直した。


「増援隊?」


 オルドは短く頷いた。


「剣の強いのが来るそうだ。今度は国境の奥まで行くらしい」


 なぜだか、胸の奥がざわついた。


 ◇


 増援隊の話は、補給所へ正式な命令が届く前から広まっていた。

 兵士たちは食堂で、誰が来るのかを言い合った。


「一人で盗賊の群れを追い払ったらしい」

「いや、国境の魔術師部隊を止めたんだって」

「どっちも大げさだろ」


 話す人によって人数も場所も違う。

 僕は黙ってパンを食べていた。

 ある日、ラウルが石門砦から荷を受け取りに来た。

 僕は伝票を渡しながら尋ねた。


「北から来る隊のこと、知っていますか」

「少しだけ。黒い外套を着た若い騎士が指揮しているとか」

「名前は?」


 ラウルは首を振った。


「聞いていません。砦でも噂ばかりです」


 僕は胸のあたりを押さえた。

 僕が西谷へ来てからでも一年半、兄さんが北へ発った冬から数えれば、もう五年近くが過ぎている。

 何通か手紙は来た。母さまを通して、元気だと知らされたこともある。

 でも、僕が返事を書いたことはなかった。



 その夜、僕は荷物の底から古い地図を取り出した。

 兄さんと書庫で広げた地図ではない。出発するときに持ってきた、小さな写しだ。

 北の砦へ続く道を指でなぞる。

 兄さんがいるはずの場所は、石門砦よりずっと遠い。


 近づいたからといって、会いたいわけじゃない。

 そう思った。

 けれど翌日から、門をくぐる兵士の顔を確かめる自分がいた。

 ミラは僕の様子に気づいたらしい。


「誰か待ってるの?」

「……兄が北にいるんだ」

「会いたい?」


 僕は答えなかった。

 ミラは無理に聞かなかった。


「会ったら何を言うか、決まってなくてもいいと思う」


 僕は少しだけ顔を上げた。

 それでも、会うかどうかはまだ決められなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。