第10話 兄さんの知らない場所
兄さんが夕食に来なかった。
食堂では父さまが書類を読み、母さまがマルタと翌日の支度を話していた。
「兄さんは?」
「兵舎で食べるそうです」
マルタが答える。
「なんで?」
「今日は装備の点検があるとか」
僕は自分の皿を見た。温かいスープには豆が入っている。兄さんの席だけが空いていた。
夕食を終えてから、外套を着て裏門へ向かった。
兵舎の入口には濡れた靴が並び、中から笑い声が聞こえる。扉を押すと、兄さんが兵士たちの間に座っていた。
「あれ、アルヴィス」
兄さんは驚いた顔をした。
「ここにいたんだ」
テーブルには油の匂いのする布と、古い剣が並んでいた。
一人の兵士が僕へ頭を下げた。
「若様に助けていただいていたんです」
「兄さんが?」
兄さんは慌てて手を振った。
「たいしたことじゃない」
兵士は笑いながら、一本の剣を差し出した。
「これの根元に、細いひびが入っていたんですよ。気づかず稽古で使うところでした」
僕にはよく見えなかった。兄さんが剣を灯りへ傾けると、ようやく髪の毛みたいな線が見えた。
「ここ?」
「そう。何度も見てると分かるんだ」
兄さんは照れくさそうだったけれど、嬉しそうでもあった。
兵士たちの食事は麦粥と干し肉だった。誰かが兄さんに追加の肉を勧め、兄さんが断ると、皆が笑った。
僕の食卓とは違う。
でも、兄さんが次に誰かへ何を尋ねるのか、誰が答えるのか、見ているうちに少しずつ分かってきた。
兄さんはここでは、ずいぶんよく喋るのだった。
帰る前、僕は言った。
「父さまにも剣を見せたら?」
「何を?」
「ひびを見つけたこと。きっと褒めてもらえるよ」
兄さんの手が止まった。
「……お前は、何でも父さまに見せたいんだな」
「だって嬉しいでしょ」
「そういうのじゃないこともあるんだ」
兄さんは剣を布で包んだ。
「ここにいれば、ちゃんと役に立てる。兵の人たちも教えてくれる。それでいい」
僕は返事に困った。父さまに褒めてもらえるのは嬉しい。でも、兄さんがここにいたいという気持ちも、本当なのだろう。
帰り道は二人だった。
「また来てもいい?」
「邪魔しなきゃな」
兄さんは僕の歩幅に合わせてゆっくり歩いた。
いつもの優しい兄さんなのに、僕の知らない場所で、僕の知らない時間を過ごしている。
そのことが少し寂しくて、少し嬉しかった。




