秘密の家庭教師と、甘い罰ゲーム
静かな夜の静寂の中に、カリカリとシャープペンシルが紙を滑る音だけが響いていた。
「……うーん、この極限値の計算……なんでここで符号が反転するんだ……?」
頭を抱える依真の隣で、小さなクスッと笑う声が聞こえた。
「そこはね、いつま。第三項の展開でマイナスを掛け忘れてるからだよ」
白く華奢な指先が、依真のノートの上を滑る。
ふわりと漂う、お風呂上がりの石鹸の甘い香りと、少女の体温。
見上げれば、そこには真剣な表情でノートを覗き込む鷗賀の顔があった。
髪を後ろでひとつに結び、依真の大きめのTシャツをダボッと着た彼女の姿は、いつもの可憐さに拍車がかかっていて、とても集中して勉強できる状況ではなかった。
「ほら、ここをこうやって変形すると……ね? 綺麗に消えるでしょ?」
「あ……本当だ。すごいな、鷗賀……」
「ふふん、伊達に旧組織の超高度演算データベースを積んでたわけじゃないからね! 高校の数Ⅲレベルなら、コンマ一秒で解答が出せるよ」
鷗賀は誇らしげに胸を張り、ドヤ顔を浮かべた。
かつて世界を破滅させかけた巨大なデータ処理能力が、今や「高校の補習指導」に使われているという事実に、依真は思わず苦笑してしまった。
「よし、じゃあこのページの問題、全部解けたね!」
鷗賀は赤ペンでノートに大きな花丸を描くと、ペンを置いて依真の顔をじっと見つめた。
翡翠色の瞳が、妖しく、そして甘やかに輝いている。
「……鷗賀? どうしたの、そんなに顔を近づけて……」
「いつま……忘れてないよね? さっき決めた『お勉強のルール』」
彼女は両手をテーブルにつき、依真の顔へとぐっと距離を詰めてきた。
吐息がかかるほどの近さに、依真の心臓がドクンと跳ね上がる。
「えっと……一問解けるごとに……だっけ……?」
「そう! 『一問解けるごとに、いつまが私にキスする』って約束!」
鷗賀は少し照れくさそうに頬を染めながらも、逃がさないと言わんばかりに依真の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「このページだけで、全部で五問あったよ。……だから、五回分。……早くしてくれないと、次の問題教えないぞ?」
少し悪戯っぽく微笑む彼女の唇は、桜色に濡れていて、どこまでも魅惑的だった。
かつて「感情を持たない人形」だった頃には考えられないほど、今の鷗賀は素直に、そして貪欲に依真からの愛を求めてくる。
「……ずるいよ、そんなの」
依真は降参したように溜息をつくと、彼女の細い腰を引き寄せた。
「きゃっ……! いつま……?」
「逃がさないよ。五回で足りるかな?」
そっと重ねられた唇。
一回、二回、三回——。
触れ合うたびに、二人の距離が深まり、温かい愛おしさが部屋中に満ちていく。
四回目のキスを終えた時、鷗賀の目元はすっかり熱を帯び、とろけたような表情になっていた。
「ん……っ……いつ、ま……」
「あと一回……」
最後の一回は、深く、お互いの存在を確かめ合うような長いキスだった。
離れた時、鷗賀は顔を真っ赤にして依真の胸に顔を埋め、彼の心音を聞きながら小さく息を整えていた。
「いつまの……バカ……。そんなに優しくされたら……勉強に集中できないよ……っ」
「自分から言い出したんじゃないか」
「だって……いつまに甘えたかったんだもん……。私、ずっと『真名鷗賀』として、いつまの隣に並びたかったから……」
彼女の細い手が、依真の手を優しく包み込む。
「明日からの学校、緊張するけど……いつまがいてくれれば、私、絶対に大丈夫だから」
「ああ。俺がずっと守るよ。今度は普通の……高校生として、最高の思い出を作ろう」
教科書とノートが広げられた勉強机の上。
月光が照らす部屋の中で、二人はどちらからともなく微笑み合い、再び静かに唇を重ねたのだった——。




