朝日の中の約束と、戻ってきた日常
瓦礫が崩れ落ちる重い地鳴りが、遠ざかっていく。
逃走用の緊急車両の車窓から見えたのは、漆黒の夜空を背景に、崩落した地下プラントが地中へと呑み込まれていく光景だった。
長かった夜が、ゆっくりと終わりを告げようとしている。東の空からは、深く澄んだ紺色を押し分けるように、かすかな金色の朝焼けが差し込み始めていた。
「終わったのね……本当に」
助手席でハンドルを握るクロエが、バックミラー越しに後部座席の二人を見やりながら、静かに息を吐き出した。
後部座席では、疲労の限界を迎えた依真が、シートに深々と背を預けていた。
右手の包帯からは痛々しい血が滲み、全身の筋肉が激痛で悲鳴を上げている。だが、その隣では——鷗賀が依真の左手を、まるできつく結ばれた結び目のように、一度も離すことなく握りしめていた。
「いつま……痛む?」
鷗賀が心配そうに依真の顔を覗き込む。
その瞳は、もう過剰な感情エネルギーに揺れることもなく、優しく澄んだ翡翠色を取り戻していた。
「大丈夫だよ……君が隣にいてくれれば、これくらい何でもない」
依真が力無く笑うと、鷗賀は小さく唇を噛み締め、照れくさそうに彼の肩にそっと頭を預けた。
伝わってくる體溫。規則正しい心拍の鼓動。
それはかつて、無機質な金屬と合成皮膚で作られていた「人形」の冷たさではなく、血の通った一人の「人間」としての、溫かい命の脈動だった。
數時間後——。
朝の太陽が眩しく街を照らし出す頃、車は依真の自宅前へと辿り著いた。
「私はこれから、組織の殘黨の監視と、バックアップ資料の完全破棄に回るわ」
車から降りた二人に対し、クロエは煙草に火をつけながら言葉をかけた。
「真名くん、彼女のコア・プロトコルは完全に安定した。もう暴走の危懼はない……けれど、彼女が『心』を獲得した以上、これからは普通の人間と同じように悩み、傷つくこともあるわ。しっかり支えてあげなさい」
「ああ、分かってる。ありがとう、クロエ……君がいなかったら、俺たちは……」
「お禮はいらないわ。私はただ、見たかっただけよ……人間と人形が、絶望を越えて辿り著く奇跡の結末をね」
クロエは口元に微かな笑みを浮かべると、排気音とともに車を走らせ、朝の街並みの中へと消えていった。
ガチャリ。
久しぶりに開ける自宅の玄關。
部屋の中には、あの日から止まったままの、靜かで懷かしい空氣が漂っていた。
「ただいま……俺たちの家だ」
依真が靴を脫ぎながら呟くと、旁邊の鷗賀は玄關の敷居を靜かに踏み越え、部屋の中を慈しむように見回した。
「……ただいま、いつま」
その言葉は、過去にプログラミングされた機械的な挨拶ではなく、自分の居場所へ歸ってきた一人の少女としての、心からの言葉だった。
二人は互いの傷の手當てを済ませ、混濁した意識のまま、吸い寄せられるようにリビングのソファへ倒れ込んだ。
過度な緊張から解放された體は限界を迎えており、依真のまぶたは急速に重くなっていく。
「いつま……」
鄰に橫になった鷗賀が、依真の袖口を細い指先でぎゅっと摘まんだ。
「私……夢を見てるんじゃないよね? 目を覚ましたら、またあの暗い地獄に戻ってたり……いつまがいなくなってたり、しないよね……?」
過去のトラウマが、ふとした隙間に彼女の胸を掠める。
依真は殘された力を振り絞り、彼女の身體を支え、額に優しく自分の額を重ね合わせた。
「夢なんかじゃないよ。ほら……溫かいだろ?」
「うん……」
「俺はここにいる。これから先、朝起きる時も、夜寢る時も……ずっと君の隣にいるよ。だから……安心して眠りな」
依真の手が、鷗賀の頭を優しく撫でる。
その心地よい手つきに、鷗賀の長いまつ毛がゆっくりと伏せられていった。
「いつま……大好き……」
愛おしい囁きとともに、少女の靜かな寢息がリビングに響き始める。
依真もまた、彼女の體溫を抱きしめたまま、安らかな淺い眠りへと落ちていった。
窓から差し込む朝の光が、重なり合う二人の影を優しく包み込んでいた——。




