雨上がりの血煙と、繋がれた熱
ピュー……と、冷たい夜風が途切れた雲の隙間から吹き抜けていく。
土砂降りだった雨はいつの間にか上がり、地上プラントを覆っていた煙と灼熱の蒸気が、夜風によってゆっくりと洗い流されていく。
「……ん……っ……」
依真のまぶたが重く震え、ゆっくりと開いた。
視界に入ってきたのは、暗雲が去り、幾千の星が顔を覗かせ始めた夜空だった。
体のあちこちが悲鳴を上げている。首元のあざは焼きつくように痛み、雨に濡れた服が肌に張り付いて氷のように冷たい。だが、胸の奥だけは、不思議なほど温かかった。
「……あ……いつ……ま……?」
胸元から、かすかな声が聞こえた。
依真が視線を落とすと、そこには自分の胸に顔をうずめたまま、ゆっくりと瞳を開ける鷗賀の姿があった。
背中から張り出していたあの悍ましい赤黒い翅は消え去り、全身を覆っていた不気味な高熱も完全に引いていた。
彼女の瞳に宿っていた狂気と不吉な赤光は跡形もなく消え、元の澄み渡った、美しい翡翠色の瞳が依真を映し出している。
「鷗賀……! わかるか……? 俺だ……依真だ……!」
依真は震える手で、彼女の柔らかい頬をそっと抱え込んだ。
「いつ……ま……。私……私……」
鷗賀の瞳から、透明な涙がぽろぽろと零れ落ちる。
それはもう、プログラムの誤作動によるエラー液でも、高熱の血の涙でもない。傷つき、怖がり、それでも愛されたことを知った「人間」と同じ、温かい涙だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい、いつま……っ! 私、あなたを殺そうとして……酷いことをして……っ!」
「いいんだ……いいんだよ、鷗賀」
依真は彼女を強く抱きしめ返した。
「もう終わったんだ。君の中のバグも、過去の呪いも……全部終わったんだよ」
「私……あなたのこと……傷つけたくなかったの……ただ……捨てられるのが怖くて……っ!」
「知ってる。全部知ってるよ。もうどこにも行かない。君を捨てたりしない。約束する……一生、俺が君の隣にいる」
依真の言葉を聞いた瞬間、鷗賀は子供のように声をあげて依真の首元に泣きじゃくった。
依真は彼女の背中を何度も、何度も優しく撫で続けた。
「……ふう、全く。二人そろって甘いドラマを演じてる場合じゃないわよ」
少し離れた場所から、呆れたような、けれどどこかホッとしたような声が響いた。
見ると、血を流しながらも操作コンソールに身を預けていたクロエが、苦笑いを浮かべながら歩み寄ってくる。
「クロエ……!」
「精神同調成功、おめでとう。彼女のコアの過剰エネルギーは完全に外部へ散逸したわ。ウイルスのロジックも……真名くんの『感動的な精神ダイブ』のおかげで、綺麗に上書き消去されたみたいね」
クロエは腰のホルスターに銃を収めると、疲れたようにため息をついた。
「でも、安心するのはまだ早いわ。地下プラントの崩壊の衝撃で、この地上構造物も持たない……あと十分もすれば、ここ全体が地下の空洞へ落盤するわよ」
クロエの言葉を裏付けるように、足元の鋼鉄の床がゴゴゴと鈍い地鳴りを立てて揺れ始めた。
「立ち上がれる、真名くん?」
「ああ……なんとかね」
依真は痛む体に鞭を打ち、地面に手をついて立ち上がろうとした。
しかし、限界を超えてドライバーを起動し続けた代償は大きく、右足に力が入らず膝から崩れ落ちそうになる。
「いつま!」
すかさず、鷗賀が依真の脇に滑り込み、その華奢な肩で彼の体をしっかりと支えた。
「大丈夫……? いつま……」
「鷗賀……」
「今度は……私が支えるよ。いつまが私を救ってくれたみたいに……私、いつまの足になる」
鷗賀の顔には、もう不安や迷いの影はなかった。
自分の過去を受け入れてもらい、本当の意味で依真と「心」を繋いだ彼女の表情は、今までで最も強く、そして美しかった。
「……よし。行こう、俺たちの『家』へ」
「うん!」
二人はしっかりと手を繋ぎ直した。指と指が絡み合い、お互いの体温がはっきりと伝わってくる。
壊れた研究施設の崩落が迫る中、雨上がりの星空の下を、依真と鷗賀、そしてクロエの三人は新たな未来へ向けて歩み出した——。




