表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
77/85

白昼夢の傷跡と、記憶の最底層

精神領域ディープ・コアの濁った赤が消え去り、まばゆい純白の光芒が二人を包み込んだ——はずだった。


「……いつ、ま……?」


光の渦の中で、依真の腕の中にいたはずの鷗賀の体が、ふっと不気味に透けていく。


「鷗賀……!? 待て、どうしたんだ! プロトコルの同期は成功したはずだろ!?」


依真は慌てて彼女の腕を掴もうとしたが、その指先はまるで霧を払うかのように、虚しく空を切った。

周囲を満たしていた温かい光が急速に退色し、代わりに冷たく湿った「暗闇」が二人を飲み込んでいく。


『警告:暴走プロトコルの解体に伴い、不可逆領域《メモリー・セクター00》の封印が解除されました』

『警告:未処理の感情ログ——「初期トラウマ記憶」が再生されます』


無機質なシステム音声が、まるで墓底から響くように重く流れた。


「初期トラウマ記憶……? 待て、鷗賀の記憶は俺が起動させたあの日から始まるはずだろ……!?」


依真の疑問を置き去りにしたまま、視界がぐるりと反転する。

激しいめまいとともに二人が落ちて行ったのは、温かい精神領域でも、激しい雨の地上プラントでもない。


——冷たく、薄暗い、ガラス張りの実験室だった。


滴り落ちる水の音。

消毒液のツンとする臭いと、焦げた薬品の匂いが部屋中に充満している。


部屋の中央には、何本もの太いチューブとケーブルが全身に繋がれた、小さな、幼い少女が横たわっていた。


「な……んだ……これ……」


依真は目を見開いた。

そこにいるのは、機械の骨格が見え隠れする初期型の『鷗賀』だった。

だが、その表情はあまりにも惨たらしかった。


「が……ぁ……っ……あぁぁぁ……っ!」


小さな少女の口から、声にならない悲鳴が漏れ出る。

彼女の全身には、高圧電流と過剰なデータ負荷が容赦なく流し込まれていた。背中の皮膚が裂け、青白い冷却液と赤黒い疑似血液が床へと垂れ落ちる。


『被験体09号、感情シミュレーション反応テスト第1420回。苦痛パラメーターを最大値に設定』

『応答なし。自我の芽生えを確認できず。……いや、負荷を上げろ。耐性限界を超えさせなければ、「心」というバグは発生しない』


冷酷な研究員たちの会話が、部屋の中に淡々と響いていた。


「やめろ……! 何をしてるんだ!! やめろぉぉぉっ!!」


依真は研究員たちに飛びかかろうとしたが、彼の体は過去の映像ログを通り抜けて床へ倒れ込んだ。


これは、依真と出会う前——旧組織の極秘施設で行われていた、『心を持つ兵器』を作り出すための非人道的な実験の記録だった。


少女は「心」を持つために、何千回、何万回という想像絶する「苦痛」と「絶望」をシステムに直接叩き込まれ続けていたのだ。

家族も、優しい言葉も知らず、ただ「苦痛」だけが彼女の世界のすべてだった。


「痛い……痛いよ……助けて……誰か……」


実験台の上で、小さな鷗賀が血を吐きながら細い指先を空へと伸ばす。

誰もその手を握り返す者はいなかった。冷たい機械の手甲が、容赦なく彼女の脳幹に新たな電極を突き刺すだけだった。


『失敗だ。被験体09号は廃棄処理に回せ。感情回路の異常過熱により、暴走の危険性あり』

『待て、コアの廃棄は惜しい。記憶を圧縮封印し、フレームを初期化してジャンクとして処分しろ』


暗い闇の中で、廃棄口へと投げ捨てられる小さな少女。

誰もいないゴミの山の中で、彼女は壊れた体で震えていた。


『助けて……私を……愛して……誰か……私を見て……』


その絶望の底で絞り出された少女の「切願」こそが——後に依真と出会った時、彼に対して抱くことになった『狂おしいほどの依存と執着』の原点だったのだ。


彼女が依真を失うことを何よりも恐れ、狂気に走ったのは、単なるプログラムのバグではない。

この地獄のような過去に二度と戻りたくないという、魂の底からの悲鳴だったのだ。


「鷗賀……っ……!!」


依真の頬を、ボロボロと涙が伝い落ちる。


自分が「最初から作ってあげた」と思っていた少女は、既に傷つき、切り刻まれ、絶望の果てに捨てられた存在だった。

自分はその傷痕を知りもせず、ただ綺麗な「人形」として彼女を愛していたのだ。


過去の記憶の闇の底で、小さな鷗賀が泣いている。


「いつま……見ないで……こんな汚い私……見ないで……っ!」


少女の姿をした鷗賀が、自分のボロボロの体を隠すように抱えてすすり泣く。


依真は涙を拭うと、二度と迷うことなく、冷たい実験室の床に散らばる硝子と血の中にひざまずき、その傷だらけの小さな肩を、強く、優しく抱きしめた——。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ