真夏のビーチと、眩しすぎる君の特等席
花火大会の熱気がまだ街に残る、八月の上旬。
陸上部の合同合宿の打ち上げを兼ねて、部員たちと何人かの部外者を交え、地元の海水浴場へ遊びに行くことになった。
部外者であるはずの俺――真名依真がなぜそこにいるかといえば、理由は単純だ。陸上部の主将が「藍庭を連れてくるなら、真名もセットじゃないと無理だろ」と、半ば強制的に俺を巻き込んだからだった。
当の藍庭鷗賀は、数日前の山の上での約束――『覚悟しとけよ』という俺の言葉――を意識しすぎているのか、砂浜に集合した時から、俺とまともに目を合わせようとしなかった。
「お、おい、いつま! 早くパラソル立てるの手伝ってよ!」
海の家から少し離れた白い砂浜で、鷗賀は大きなビーチパラソルを抱えながら、わざとらしい大声で俺を呼んだ。
だが、その声を発した彼女の姿を見た瞬間、俺の思考は完全にフリーズした。
「……おうか、お前、その格好」
「え? な、何だよ……。変、かな? 部活の奴らには『いつもとギャップありすぎて誰か分かんなかった』って言われたけど……」
鷗賀は、照れくさそうに自分の細い腕で身体を隠すようにしながら、はにかんだ。
そこにいたのは、いつものスポーティな彼女ではなかった。
白のレースがあしらわれた、少し大人っぽいビキニタイプの水着。陸上部の過酷な練習で引き締まったウエスト、跳躍種目で鍛え上げられたしなやかで長い足が、夏の太陽の下で眩しいほどに輝いている。
健康的でありながら、どこか毒を孕んだような圧倒的な女の子の魅力が、そこにはあった。
周囲の男たちの視線が、一斉に鷗賀の身体へと突き刺さるのが分かった。
同じ陸上部の男子部員たちですら、「おい、藍庭ってあんなにスタイル良かったっけ……」と遠巻きにざわついている。
胸の奥で、強烈な不快感と独占欲が、一瞬で沸点に達した。
「変じゃない。……むしろ、刺激が強すぎる」
俺は一歩、彼女の前に立ち塞がるようにして、周囲の男たちの視線を遮った。
「え、ええっ!? し、刺激って何だよバカいつま……っ!」
「いいから。ほら、日焼け止め塗ったのか? お前、すぐ赤くなるだろ」
「あ……まだ、背中が届かなくて……」
鷗賀は、モジモジしながら日焼け止めのボトルを俺に差し出してきた。
昔なら「しょうがねえな」と笑って、何も気にせず背中に塗りたくっていただろう。だけど、今の俺たちの間には、もうそんな無防備な空気は残っていない。
「……座れ」
「う、ん……」
パラソルの日陰の下、ビニールシートの上に鷗賀をうつ伏せに座らせる。
俺は手のひらに冷たいクリームを出し、彼女の白くて滑らかな背中に、そっと手を触れた。
「――っ」
俺の指先が触れた瞬間、鷗賀の背中がビクッと大きく跳ね上がった。
細い肩が小刻みに震え、うなじのあたりが、太陽の熱とは違う理由でじんわりと赤くなっていくのが分かる。
「いつま、の手……熱い……」
「お前の背中が冷たすぎるんだよ。動くな、ちゃんと塗らないと後で痛むぞ」
俺はわざとゆっくりと、彼女の肩甲骨から腰のラインにかけて、手のひらでクリームを伸ばしていった。
指先から伝わる、彼女の柔らかな肌の感触と、必死に抑え込んでいる激しい呼吸。
周囲の波の音や、部員たちの騒ぎ声が、妙に遠くへ遠ざかっていく。まるで、このパラソルの下だけが、世界から切り離された密室であるかのように。
「……いつま」
鷗賀が、腕に顔を埋めたまま、くぐもった声で呟いた。
「私ね、今日、本当はいつまに見てほしくて、この水着選んだんだ……」
「え?」
俺の手が、ピタリと止まる。
「一ノ瀬さんのこと、やっぱり私、すごく気にしてて……。いつまが『お前の方が可愛い』って言ってくれたけど、私、自分の身体とか全然自信ないし……。だから、その……少しでも、男の人として、意識してほしくて……」
それは、彼女が初めて口にした、明確な『依真へのアプローチ』だった。
安全圏の中に閉じこもっていたはずの彼女が、俺を繋ぎ止めるために、自ら殻を破って、必死に大人の階段を上ろうとしている。
愛おしさが、胸の奥から決壊するように溢れ出した。
俺は日焼け止めのボトルを置くと、うつ伏せになっている彼女の身体を、後ろからそっと抱きしめた。
「――ひゃっ!? いつま、何っ、みんなが見てる……っ!」
「見てないよ。みんな海に入りに行った」
俺は彼女の耳元に顔を寄せ、濡れた海風にかき消されないように、深く、低く囁いた。
「意識、してるよ。さっきから、お前以外の奴に一ミリも視線動かしてない。……むしろ、他の男に見せるのが嫌で、今すぐお前をここに閉じ込めておきたいくらいだ」
「いつ、ま……」
鷗賀は、俺の腕の中で完全に力を失ったように、熱い吐息を漏らした。
彼女の背中越しに、その小さな心臓が、まるで壊れた時計のように激しくバクバクと脈打っているのが伝わってくる。
「お前が俺を見てほしいって思うなら、俺はいくらでもお前だけを見る。だから、もう逃げるなよ、おうか」
「……うん。もう、逃げない……」
鷗賀は、涙を少し潤ませた瞳で振り返り、俺の首元にその細い腕をそっと回してきた。
盛夏のビーチ。照りつける太陽よりも熱い二人の距離は、波の音に包まれながら、確実に『幼馴染』という境界線を越えて、新しい場所へと進み始めていた。
俺は彼女の細い肩を引き寄せ、青い海を遮るように、二人の影を砂浜の上に深く、濃く重ね合わせた。




