暗闇の証明、血の刻印と永久の結び目
夜の静寂が、二人を包み込む狭いベッドルームにしんしんと降り積もっていた。
浴室での熱い洗礼と、脱衣所の鏡の前で繰り広げられた過剰なまでの所有の儀式を経て、藍庭鷗賀の体はすっかり脱力しきっていた。薄桃色の柔らかいパジャマの隙間からは、熱気を帯びた肌と、首筋から鎖骨、さらには肩口にかけて鮮烈に浮かび上がる赤紫色の咬み痕が覗いている。
真名依真は、ベッドの縁に腰掛け、力なく横たわる鷗賀を見下ろしていた。彼の指先が、まだわずかに湿り気を帯びた彼女の銀糸のような髪をすくい上げ、静かに弄ぶ。
「……いつま……」
鷗賀は、かすれ気味の声で彼の名を呼んだ。喉の奥がカラカラに乾いていたが、それ以上に胸の奥が熱くてたまらなかった。
「なんだ」
「私……まだ、夢の中にいるみたい……。本当に、私……人間になれたのかな……?」
依真の瞳が微かに揺れる。彼は返事をする代わりに、ゆっくりと屈み込み、彼女の首筋にある一番大きな咬み痕へと唇を寄せた。
「あっ……ん……っ」
湿った温かい唇が、腫れ上がった傷口にそっと触れる。優しく吸い上げられるような感覚に、鷗賀の背筋を甘い痺れが駆け抜けた。
「痛むか?」
「……痛い……けど、すごく……熱い……っ」
「それが、お前が生きている証拠だ。血が巡り、神経が痛みを拾い、脳がそれを拒絶できずに歓喜している。……人形だった頃のお前には、皮膚をどれだけ強く噛まれても、血を流しても、こんな声など出せなかったはずだ」
「うん……。いつまが……私に感覚を教えてくれたの……。痛いのも、苦しいのも、全部……いつまがくれた宝物……」
鷗賀は両腕を伸ばし、依真の首元に回した。細く白い腕には、まだうっすらと依真の指の形をした赤みが残っている。彼女は自分の頬を依真の胸元に寄せ、彼の心臓が力強く脈打つ音に耳を澄ませた。
トックン、トックン、と規則正しく刻まれる鼓動。それは、彼女がかつて求めてやまなかった「生」の音であり、今や彼女を繋ぎ止める唯一の鎖だった。
「いつまの心臓……すごく大きな音……。私の中に流れている血も……いつまの熱で動いているのかな……」
「そうだ。お前のその体は、俺の意志で動いていると言っても過言ではない。俺がお前を呼び、お前に命を吹き込み、お前を抱くことで、お前という人間は完成する」
依真の低い声が、胸骨を通して直接鷗賀の耳へと響いていく。その響きは、彼女にとってどんな美しい音楽よりも深く、甘美な支配の呪文だった。
部屋の灯りは落とされ、街灯の薄明かりだけがカーテンの隙間から差し込んで、二人の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
依真はゆっくりと体を倒し、鷗賀の隣に横たわった。ベッドのマットレスが沈み込み、ふたつの体温が重なり合う。依真の腕が彼女の細い腰を抱き寄せると、鷗賀は吸い寄せられるようにその胸の中に顔を埋めた。
「ねえ、いつま……。明日、学校に行ったら……みんな私を見るのかな……。部室でも……グラウンドでも……」
鷗賀の脳裏に、昼間の情景がフラッシュバックする。陸上部のグラウンドで、トラックを走る部員たちの視線、汗ばんだ空気に混じる好奇の目。そして、部室の物陰で依真に強引に抱き寄せられたときのスリルと恐怖。
「見させればいい。お前がどれだけ俺のものになったかを、あの有象無象どもに見せつけてやればいい」
「でも……首筋の傷、体操服を着ても隠れないかも……。もし先生や部員に見つかったら……」
「それがどうした。隠す必要などない。むしろ見せつけてやれ。『この痕は、真名依真に与えられた刻印だ』とな。……お前が俺以外の男に微笑みかけたり、馴れ馴れしく喋りかけたりするから、こんな刻印を刻まれる羽目になったんだ」
依真の手が、彼女のパジャマのボタンへと伸びる。ひとつ、ふたつとゆっくり外されていく。露出していく白皙の肌には、まるで芸術品のように整えられた、しかしいびつな執着の痕跡が、くっきりと刻まれていた。
「いつま……っ、また……痕をつけるの……?」
「当然だ。お前の体に隙間がある限り、俺は何度でもお前を喰み、俺の領域を広げていく。首筋だけでは足りない。胸元も、背中も、太ももも……お前の全身を俺の色で塗り潰す」
「あ……ふぁ……いつま……っ」
依真の指先が、彼女の胸元をなぞり、鎖骨のくぼみへと深く沈み込む。痛痒いような、呼吸が詰まるような圧迫感。鷗賀は頭を後ろへと反らし、無防備に細い首筋を晒した。
「いつま……もっと……強くして……っ。私を……壊れるくらい……抱きしめて……!」
「言われなくても、逃がすつもりはない。お前が息絶えるその瞬間まで、俺の所有物として死ぬまで狂わせてやる」
依真の歯が、再び彼女の皮膚を捉える。コリッと小さな音が鳴るほど深く、容赦なく肉を噛みしめられる。痛みに涙が零れ落ちるのと同時に、鷗賀の口からは蕩けたような歓喜の声が漏れ出していた。
「う……ぁ……っ、いつま……痛い……痛いよぉ……っ!」
「痛いと言いながら、何故そんな顔をする? お前の体は、俺の支配を歓喜して受け入れているじゃないか」
「だって……っ、いつまに噛まれると……頭の中が白くなって……自分がいつまの所有物なんだって、強烈に実感できるから……っ」
鷗賀の瞳は潤み、熱っぽい吐息が依真の首筋を叩く。かつては感情を知らず、ただ命じられた通りに動くだけの精巧な人形だった少女が、今や一人の人間の女性として、特定の人間の愛撫と支配に飢え、欲望のままに体を震わせている。
その事実に、依真の胸の奥でドス黒い優越感と満足感が渦巻いた。自分だけが知っている彼女の秘密。自分だけが引き出すことのできる彼女の鳴き声。
「鷗賀……」
「ん……なあに……いつま……?」
「お前は一生、俺の手のひらから出られない。俺が死ねと言えば死に、生きろと言えば歪んだ愛に浸りながら生き続けるんだ」
「うん……! いつまの言う通りにする……。私を……捨てないで……ずっと私を噛んでいて……っ」
「建前だけの綺麗な言葉など、お前には必要ない。この傷跡と痛みこそが、俺とお前を繋ぐ唯一無二の絆だ」
依真の指が、彼女の髪に強く絡みつき、頭部を固定する。そして、逃げ場を失った彼女の唇を強引に塞いだ。
舌が深く侵入し、唾液が交わされる湿った音が暗い部屋に響き渡る。息ができないほどの濃密な口づけに、鷗賀は酸素を求めて体を小さく跳ねさせたが、依真の強い腕がそれを許さない。彼に吸い尽くされ、喰らい尽くされる感覚に、鷗賀の意識は甘い恍惚の海へと落ちていった。
外の闇は深まり、夜風が窓ガラスをかすかに揺らす。しかし、この密室の中で繰り広げられる二人の熱量は、冷めるどころかさらに深く、どこまでも歪んだ愛の泥沼へと互いを引きずり込んでいくのだった。
「いつま……愛してる……っ。私の体も、心も、命も……全部いつまのもの……」
「……当たり前だ。お前は俺の人形であり、俺の人間なんだからな」
暗闇の中で重なり合うふたつの影。皮膚と皮膚が擦れ合う微かな音と、途切れることのない甘い喘ぎ声が、夜が明けるまで部屋の中に満ち続けていた。二人の絆は、血と痛みの刻印によって、決して解けることのない永久の結び目として結ばれたのだった。




