除夜の鐘と、初雪に染まる振袖の君
除夜の鐘が遠くからゴーン、ゴーンと響き渡る、大晦日の深夜。
凍てつくような寒さの中、地元の大きな神社の境内は、初詣に訪れた参拝客の熱気と露店の明かりで賑わっていた。
校門前で待ち合わせをしていた俺――真名依真は、ポケットに両手を突っ込んだまま、白く大きな息を吐き出して彼女の到着を待っていた。
その時、パチパチと音を立てる篝火の向こうから、一人の少女が小さく歩を進めてくるのが見えた。
「――いつま、お待たせ。……慣れないから、歩くのすごく遅くなっちゃって」
人混みを掻き分けて現れた藍庭鷗賀の姿に、俺は言葉を失った。
今日の彼女は、いつものポニーテールを綺麗にアップにまとめ、うなじを大胆に露出させていた。そして、その華奢な身体を包んでいたのは、淡い若草色に桜の刺繍が施された、見事な振袖(和服)だった。
普段のボーイッシュで健康的な陸上部エースの面影はどこにもない。そこには、大人の女性としての妖艶さと、日本画から飛び出してきたような圧倒的な美しさをまとった、俺の自慢の恋人がいた。
「……どう、かな? 帯がすごくきつくて、ちょっと苦しいんだけど……いつまに、可愛いって思ってもらいたくて、お母さんに無理言って着せてもらったの……」
鷗賀は着物の袖を少し持ち上げ、顔を真っ赤に染めながら、すがるような瞳で俺を見上げてきた。
すれ違う参拝客や他校の男子たちが、思わず息を呑んで彼女を振り返るのが分かった。その瞬間、俺の胸の奥に、どす黒く狂おしいほどの嫉妬と独占欲がピキリとひび割れるように沸き上がった。
「あぁ、綺麗だ。綺麗すぎて、周りの男どもが全員お前を品定めするような目で見てるのが、最高に不愉快だ」
「なっ――! もー、いつまは新年早々そんな怖い顔して……っ」
彼女は嬉しそうに口元を緩めると、着物の袖が擦れるのも構わずに、俺の右腕に自分の両腕をぎゅっと絡めてきた。
あの雨の日の大和解を経て、俺の歪んだ独占欲を全て愛として受け入れると決めた彼女は、大勢の人がいる境内でも、もう俺から離れようとはしなかった。
二人で長い列に並び、本殿で賽銭を投げ入れて鈴を鳴らす。
「何をお願いしたんだ?」と聞くと、鷗賀は「ひ・み・つ」と悪戯っぽく微笑んだ。だが、その直後に『いつまでもいつまと一緒にいられますように』と書かれた彼女の絵馬を偶然見つけてしまい、俺の胸は甘い熱で満たされた。
参拝を終えた頃、夜空からハラハラと白いものが舞い降りてきた。
「あ、いつま! 雪だよ! 初雪!」
嬉しそうに空を見上げる鷗賀。
俺は彼女の手を引き、参拝客の喧騒から離れた、本殿の裏手にある無人の御神木の影へと向かった。
千年の歴史を持つ巨木の根元。オレンジ色の常夜灯だけが静かに照らすその場所は、完全に世界の喧騒から切り離された『二人の密室』だった。
「ひゃうっ……いつま? 急にこんな暗いところに引っ張って……」
御神木の太い幹に背中を預けた鷗賀の前に、俺は立ちはだかった。
「おうか。お前、自分がどれだけ無防備か分かってんのか? そんな綺麗な格好して、俺以外の男にジロジロ見られて、ヘラヘラ笑ってんじゃねえよ」
「ヘラヘラなんてしてないよぅ……っ。私はいつまの隣にいられて、ただ嬉しかっただけなのに……」
彼女の碧緑色の瞳から、ポロリと熱い涙がこぼれ落ちた。
振袖のせいでいつもより自由が利かない彼女の身体を、俺は容赦なく俺の胸板へと引き寄せ、抱きすくめた。
「信じてほしければ、新年の最初の特権、俺に解禁してみせろよ」
「っ……もう、いつまのいじわる……。……ん、いいよ。私の全部、新年の最初から最後まで、いつまにあげる……っ」
彼女はゆっくりと目を閉じ、マフラー代わりに巻いていた白いファーから、熟したイチゴのような唇を覗かせた。
俺は彼女の顎をクイッと持ち上げ、初雪が舞い散る静寂の闇の中で、その甘い唇へと自分の唇を深く、深く重ねた。
「んむ……っ!? ――ん、はぁ……んぅ……っ!」
除夜の鐘の最後の音が遠くで消え入る瞬間、二人の舌は激しく、深く絡み合った。
着物の帯の苦しさも、周囲の寒さも、すべてが二人の熱い吐息の中に溶けて消えていく。鷗賀は振袖の長い袖を俺の背中に回し、置いていかれないようにと必死にしがみついてきた。
「んぅ……っ、いつ……ま……あけましておめでとう……。今年も、一生……私をいつまの檻の中に閉じ込めておいてね……っ」
「あぁ、当たり前だ。お前は一生、俺だけのものだ」
俺は、寒さのなかで真っ赤になって俺の胸に顔を埋める愛おしい恋人を、誰の目からも隠すように、さらに深く、強く抱きしめ直すのだった。




