表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/22

消灯時間の巡回と、一つの布団の中の熱

修学旅行の一日目が終わり、舞台は京都の老舗温泉旅館へと移った。

大浴場で温泉を堪能した生徒たちは、部屋ごとに集まってカードゲームに興じたり、恋バナに花を咲かせたりと、夜の非日常を満喫している。


夜の十時半。間もなく消灯時間というタイミングで、俺――真名依真まな いつまは、自室の男子部屋を出て自動販売機へと向かっていた。

冷たいお茶のペットボトルを買い、静まり返った廊下を歩いていると、前方から見覚えのある姿が歩いてくるのが見えた。


「――あ、いつま」


そこにいたのは、お風呂上がりの藍庭鷗賀あいにわ おうかだった。

旅館の浴衣を身にまとった彼女は、髪がまだ少し湿っていて、湯気とともにふわりと甘い青リンゴの香りを漂わせている。いつもより少しはだけた胸元から覗く白い鎖骨が、薄暗い廊下の常夜灯に照らされて、ひどく艶めかしかった。


「おうか。お前も自販機か?」

「うん、ちょっと喉が渇いちゃって……。いつま、温泉入った? すっごく気持ちよかったよ!」

鷗賀は昼間のバスの中での出来事を思い出したのか、少しはにかみながら、浴衣の袖をぎゅっと握った。


その時だった。

廊下の曲がり角の向こうから、重々しい足音と、聞き覚えのある厳格な声が響いてきた。


「よし、これから二階の女子部屋の消灯チェックに行くぞ。時間を過ぎて起きている部屋は容赦なくペナルティだ」

(――ヤバい、学年主任の『鬼の鈴木』だ)


俺たち二人の背中に同時に冷や汗が流れた。

異性のフロアや廊下に消灯間際にいるのが見つかれば、明日からの自由行動は確実に剥奪、最悪の場合は説教部屋行きだ。


「ど、どうしよういつま……っ! あっちから先生が来るよ……!」

パニックになった鷗賀は、俺の手首をガシッと掴むと、すぐ目の前にある『自分の部屋』の襖を勢いよく開けた。

「いいから、こっち来て……っ!」


ずるずると引きずり込まれるようにして、俺は女子部屋へと連れ込まれ、静かに襖が閉められた。

そこは、鷗賀が一人で割り当てられている(あるいは同室の女子が別の部屋に遊びに行っている)四畳半の和室だった。


「ふぅ……っ、危なかった……」

鷗賀は襖に背中を預け、ホッとしたように胸をなでおろした。

だが、すぐに彼女は自分の状況に気づき、部屋の中央で立ち尽くしている俺を見て、再び顔を真っ赤に染めた。


「あ……。ご、ごめん、つい焦ってウチの部屋に引っ張り込んじゃった……。でも、ここ女子部屋だし、いつまがいたらもっとマズいよね……!?」

「あぁ、完全に密室の不法侵入だな」


ドタドタと、廊下を歩く先生の足音が、確実にこの部屋の前に近づいてくる。

トントン、と隣の部屋の襖が叩かれる音が聞こえた。もう逃げ場はない。


「次、藍庭の部屋いくぞ」

先生の声がドア越しに聞こえた。


「ひゃうっ!? いつま、隠れて! 押し入れ! それともテレビの裏!?」

「そんなベタな場所、真っ先に開けられるだろ。……おい、こっちだ」


俺は部屋の隅にすでに敷かれていた、一枚の『布団』へと視線を走らせた。

ふかふかの掛け布団がめくられている、鷗賀の寝床だ。


「え、ちょっと……待って、まさか……っ!?」

「我慢しろ。見つかったら終わりだぞ」


俺は彼女の手を引っ張り、一緒に布団の中へと滑り込んだ。

そして、頭からすっぽりと分厚い掛け布団を被り、外からはただ一人が寝ているように見えるように、彼女の身体を自分の胸の中に強く抱き寄せた。


ガラガラッ――。


「藍庭、入るぞ。……ん、もう寝ているのか?」

襖が開き、先生が部屋の中に足を踏み入れた。


布団の中は、一瞬にして完全な『濃密な密室』へと変貌していた。

畳の匂いと、鷗賀の身体から発せられる圧倒的な熱、そして、お風呂上がりの甘い香りが、掛け布団の狭い空間の中に充満して、俺の理性を狂わせる。


俺の胸の中にすっぽりと収まった鷗賀は、先生に気づかれないように、俺のTシャツを両手でぎゅっと握りしめ、必死に息を殺していた。

彼女の柔らかい胸が、俺の胸板にぴったりと押し付けられている。浴衣の薄い布地越しに、彼女のドクドクと激しく波打つ心臓の鼓動が、俺の身体にダイレクトに伝わってきた。


至近距離で見つめ合う、二人の瞳。

鷗賀の瞳は、恐怖と、そして男としての俺の肉体の近さに、完全に潤んでいた。彼女の熱い吐息が、俺の鎖骨のあたりを何度も何度も熱く濡らす。


(いつま……近い、近すぎるよ……っ)

声には出さない、だけど彼女の潤んだ瞳が、そう必死に訴えかけていた。


俺は彼女の腰に手を回し、さらにグッと自分の方へと引き寄せた。

これ以上ないほどの密着。お互いの足が布団の中で絡み合い、彼女の細い太ももの感触が、俺の肌を焦がすように熱い。


「……よし、しっかり寝ているな。明日の班行動も遅れるんじゃないぞ」

バタン、と襖が閉まり、先生の足音が遠ざかっていった。


完全に安全になったはずだった。

なのに――俺たちは、誰も布団から出ようとはしなかった。


薄暗い布団の中。外の冷えた空気とは裏腹に、二人の間の熱量は、限界を突破して膨れ上がっていた。


「……いつま」

鷗賀が、消え入りそうな小さな声で、俺の名前を呼んだ。

「もう、先生……行ったよ……?」


「あぁ、行ったな」

「じゃあ、早く離れてよ……。私、本当に、心臓が破裂しそうなんだから……っ」


彼女の目から、ポロリと熱い涙がこぼれ落ち、俺の胸元に染み込んだ。

俺は彼女の顎を指先でそっと掬い上げ、その真っ赤に熟れた果実のような唇をじっと見つめた。


「お前、さっきから『離れて』って言う割には、俺のシャツを掴む手が全然緩んでないぞ」

「それは……っ、だって、いつまが、離してくれないから……」


「言い訳の檻は、もう壊れたんだよ、おうか」

俺は彼女の耳元に唇を寄せ、昼間のバスの中よりも、さらに深く、甘い声を響かせた。


「失いたくないから恋人にならない? そんな子供騙しの理屈で、この熱から逃げられるとでも思ったのか?」

「……っ……」


鷗賀は声を失い、ただ、熱い吐息を漏らしながら俺を見上げていた。

彼女の瞳には、もう『お兄ちゃん』を見る目は一ミリも残っていない。ここにいるのは、一人の男の独占欲に、身体も心も完全に降伏した、一人の恋する女の子の顔だけだった。



俺は彼女の涙を親指でそっと拭い、誰も見ていない薄暗い布団の中で、彼女の小さな身体を、さらに深く、強く、抱きしめ直した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ