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夕食の招待と、テーブルの下の秘密

大盛り上がりで幕を閉じた体育祭の日の夜。

グラウンドでのあの『公開抱擁』のせいで、クラスの奴らから浴びせられた冷やかしの嵐からなんとか逃げ切った俺――真名依真まな いつまは、見慣れた隣の家の玄関の前にいた。


「あら、いつまくん! いらっしゃい、待ってたわよ!」


ドアを開けて迎えてくれたのは、藍庭鷗賀あいにわ おうかの母親だった。

㠠賀のクラスがリレーで優勝したことを聞きつけ、今夜は盛大な御祝いのディナーを用意してくれたらしい。昔から家族ぐるみの付き合いだから、俺にとっては実家のような安心感がある場所だ。


「お邪魔します、おばさん。これ、途中で買ってきたデザートです」

「いつも気を使わせちゃってごめんなさいね。さあ、入って入って! 鷗賀はもうリビングで待ってるわよ」


リビングに入ると、そこにはすでにすっかり部屋着のTシャツとショートパンツに着替えた鷗賀が、ソファに座ってテレビを眺めていた。

昼間のあの凛々しいユニフォーム姿や、全校生徒の前で俺に抱きついてきた時の大胆さはどこへやら、俺と目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を揺らして、慌ててクッションで顔を隠した。


「……な、何だよ、いつま。そんなジロジロ見ないでよ」

「別に見てないよ。昼間あんなに騒いだのに、家に入ると途端に大人しくなるんだなと思ってさ」

「うるさいっ……! 昼間のは、その、テンションが上がってただけだし……」


クッションの隙間から覗く彼女の耳元は、まだほんのりと赤かった。

親の前では、なんとか今までの『ただの幼馴染』の距離感を取り繕おうと必死なのだろう。だが、一度バグってしまった距離感が、そう簡単に元に戻るはずがなかった。


「さあ、二人とも、ご飯ができたわよ! 席について!」


おばさんの威勢の良い声で、俺たちはダイニングテーブルへと移動した。

テーブルの上には、鷗賀の大好物である大きなハンバーグや唐揚げ、サラダが所狭しと並んでいる。

座席の位置は、いつものように俺と鷗賀が向かい合わせで座る形になった。


「それにしても、今年の体育祭はリレーで大活躍だったんですって? 木村くんのお母さんから聞いたわよ。鷗賀がいつまくんにバトンを渡して、そのまま一位でゴールしたって!」

おばさんが嬉しそうにビールをグラスに注ぎながら言った。


「うん……まぁ、いつまが頑張って走ってくれたから……」

鷗賀は視線を落とし、ハンバーグを箸で小さく崩しながら、もぐもぐと口を動かした。おばさんの話の中に、あの『抱きついた事件』が含まれていないことに、内心ホッとしているのが丸分かりだった。


「いつまくん、これからもウチの暢気な鷗賀のことをよろしく頼むわね。この子、いつまくんがいないと本当に何もできないんだから。まるで頼れるお兄ちゃんね」


お兄ちゃん――。

その言葉が、テーブルの上に静かに響いた。

かつては、その言葉が俺たちを繋ぐ、最も安全で、最も強固な絆の壁だった。


俺はコーラのグラスを傾けながら、前の席で背中を固くしている鷗賀をじっと見つめた。

彼女はお兄ちゃんという言葉に、微かに唇を噛み締め、何かを耐えるように下を向いている。もう、彼女の心は、その言葉を『安全な檻』としては受け入れられなくなっているのだ。


「……そうですね。おばさん、俺はこれからも、鷗賀のことを『特別』に面倒見ていきますよ」

「あら、頼もしいわね!」


おばさんが笑ってキッチンへと追加の料理を取りに席を立った、その瞬間だった。


トン、と。

テーブルの下で、俺のローファーの先が、鷗賀の素足の足首に微かに触れた。


「――っ!?」

鷗賀の身体が、電流が走ったように跳ね上がった。

彼女は驚愕の目を丸くして、テーブル越しに俺を睨みつけてきた。声に出せない、だけど「何するの!?」という猛烈な抗議の視線。


俺は平然とした顔で唐揚げを口に運びながら、さらに一歩、テーブルの下で足を伸ばした。

俺の足が、彼女の細くて柔らかいふくらはぎを、下から上へとゆっくりと愛撫するように滑り上がっていく。


「いつ……っ……」

鷗賀は声を押し殺しながら、顔を真っ赤にして俺の顔を睨みつけた。

親がいつ後ろから戻ってくるか分からない、このスリリングな状況。テーブルの上では、俺たちはただの幼馴染の顔をしているのに、テーブルの下では、衣服を隔てない生々しい肉体の接触が、二人の間の空気を狂わせていく。


「……おいしいね、この唐揚げ」

俺はわざとらしく、彼女の瞳の奥を見つめながら微笑んだ。


「う、うん……おいしい……」

鷗賀は、テーブルの端を両手でぎゅっと握りしめ、激しく胸を上下させていた。俺の足の熱が、彼女の肌を通じて、彼女の脳内を完全に支配していく。

逃げようと思えば、足を引っ込めればいい。なのに、彼女は俺の足を拒絶せず、むしろ、その熱を受け入れるようにして、自分の足を俺の足に小さく絡めてきた。


お兄ちゃんの檻なんて、最初からもう壊れている。

彼女自身が、親の前でさえ、俺との『秘密の距離感』を欲してしまっているのだから。


「お待たせ! グラタンも焼けたわよ!」

おばさんが戻ってくる気配がした瞬間、俺たちは何事もなかったかのように足を離し、それぞれのグラスを手に取った。


夕食が終わり、おばさんに「ちょっと鷗賀の部屋で勉強教えてきます」と告げて、俺たちは二階の彼女の部屋へと移動した。

ドアが閉まり、完全な二人きりの密室になった瞬間――。


バッ、と鷗賀が振り返り、俺の胸元を両手で掴んで壁へと押し付けた。


「いつまの、変態! バカ! 最低……っ!!」

彼女の瞳には、怒りと、そして耐えきれないほどの羞恥の涙が浮かんでいた。


「お母さんの前で、あんなこと……っ! もしバレたらどうするつもりだったのよ!」

「バレないよ。お前が声を我慢すれば、それだけのことだろ」


俺は彼女の細い腰をグッと引き寄せ、彼女の顔を覗き込んだ。

「なぁ、おうか。お前、さっきおばさんが『お兄ちゃん』って言った時、どんな顔してた?」


「え……?」

「もう嫌なんだろ、その関係。お前が俺を失いたくないからって、いつまでも幼馴染のフリをするのは、もう無理だって気づいただろ」


俺の言葉に、鷗賀は言葉を失い、俺のシャツを掴む指先にぎゅっと力を込めた。

彼女の呼吸が、俺の鎖骨のあたりを熱く濡らす。


「二学期が始まった。もう引き返せないよ、おうか」


俺は彼女の耳元に唇を寄せ、この夜の最後の、そして最も甘い呪いを吹き込んだ。


鷗賀は俺の胸に顔を埋めたまま、二度と元の関係には戻れない恐怖と、それを上回る圧倒的な愛おしさに身を委ねるように、じっと俺の腕の中で震え続けていた。

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