鉄の規律 vs 禁断の毛布――王国最強の女騎士、コタツの重力に敗北する
隠れ家の廊下を、二つの「巨大なミノムシ(自走式・着るこたつ)」が、スィーッ……と無音で滑走していた。
「……メルティ。……右から来るよ。……障害物(掃除機)を回避……」
「……了解。……左に傾斜します。……ふぅ。……時速三キロの空中散歩、最高にスリル満点ですね……」
二人は、一歩も歩かずにキッチンへ向かう「ミノムシ・レース」に興じていた。伝説の魔導師と聖女の尊厳は、すでに廊下の隅に埃と一緒に積み上げられている。
だがその時、隠れ家の防衛結界が、これまでにない強固な「鉄の意志」を検知した。
「……あー。……また来た。……今度は、物理的に扉を叩いてる……。……うるさいなぁ。……振動が、僕の体内のコタツ熱を散らしてる……」
現れたのは、王国近衛騎士団の団長、アイリス・フォン・シュタイン。
『鉄壁のアイリス』の異名を持ち、不眠不休で魔物と戦い続ける、王国で最も規律に厳しい女性だった。彼女は、聖女メルティを「救出」し、エルンストに「真面目に働け」と説教するために、単身乗り込んできたのだ。
「エルンスト・ラズロ! 貴様の怠惰は度を越している! 聖女様を軟禁し、天候まで弄び、あまつさえ――なっ、なんだその、薄汚い布の塊は!?」
扉を蹴り破らん勢いで入ってきたアイリスが目にしたのは、床を低空飛行で滑る、茶色い毛布の塊だった。
「……あー。……アイリス団長……。……うるさい。……声のボリューム、三割下げて。……あと、そこ、冷気が入るから扉閉めて……」
「貴様っ、私に向かってその態度は何だ! さあ、その怪しげな呪具(着るこたつ)を脱ぎ捨て、聖女様を解放しろ!」
アイリスが剣を抜き、エルンストの「毛布」を切り裂こうとしたその時。
隣から、もう一つの毛布の塊がスィーッと現れた。
「……アイリス様。……落ち着いてください。……これ、呪具じゃないです。……『救済』です」
「メルティ様!? なんというお姿に……! 毒か!? 何か毒を盛られたのですか!?」
エルンストは、面倒くさそうに指をパチンと鳴らした。
直後、アイリスの足元に、予備の【自走式・着るこたつ(騎士団長カスタム・鉄紺色)】が召喚された。
「……うるさいから、これ着て。……話はそれからだ。……あと、その重い鎧、脱がないと中が蒸れるよ」
「ふざけるな! 誇り高き騎士が、そのような軟弱な……ひっ!?」
強制的に「着るこたつ」に包み込まれたアイリス。
その瞬間、彼女の脳内に、一生分の疲れを溶かすような「極上の温もり」と「フカフカの毛布の愛」が流れ込んだ。
「……な、なんだ……この、抗えない多幸感は……。……筋肉が……私の鋼の筋肉が、バターのように溶けていく……」
「……でしょ。……君、働きすぎなんだよ。……一回座って。……あ、座らなくていい。……その布、自動で座りやすい姿勢に固定してくれるから」
十分後。
隠れ家のリビングには、三つのミノムシが三角形に並んで床を滑っていた。
「……アイリス。……おやつ、食べる? ……その布、脇のあたりから手が自由に出せるようになってるから」
「……はむっ。……なんですか、この『ポテトチップス』という食べ物は。……塩分が、二十年戦い続けた私の五臓六腑に染み渡ります……。……軍の配給、全部これにすればいいのに……」
『鉄壁のアイリス』は、今や『毛布のアイリス』へと完全にジョブチェンジしていた。
「……メルティ。……仲間、増えちゃったね。……三つ並んで滑ると、なんか……連結列車みたいで楽しいね……」
「……はい。……アイリス様、連結(合体)魔法の術式、そっちに送りますね。……これでもう、一歩も離れずに三日寝られます」
「……了解した。……騎士団の任務は、今日から『この温度の維持』とする……」
こうして、王国最強の武力は、一着の毛布によって無力化された。
王宮に届いた報告書には、こう記された。
『速報! アイリス団長、エルンスト様の「移動式聖域」に取り込まれ、共に行を開始! 三位一体となった彼らの結界は、もはや神の防壁に等しい! 近寄るべからず!』
隠れ家の中を、三つのミノムシがシュールに連なって滑っていく。
彼らの安眠を脅かす敵は、もはやこの王国には一人も残っていなかった。




