伝説の魔導師、禁断の最終兵器「着るこたつ(自走式)」を錬成する
隠れ家の上空が「永遠の夕暮れ」に固定され、安眠の環境は整った。だが、エルンスト・ラズロの前には、依然として「生物としての敗北」が立ち塞がっていた。
「……あー。……限界だ。……トイレに行きたい。……でも、このコタツから一歩でも出たら、僕の体温は外気に奪われ、心臓は凍土のような廊下の冷たさに停止するだろう……」
エルンストは、コタツの布団を眉間まで引き上げ、震える声で遺言のように呟いた。
「……エルンスト様。……流石にトイレに行くことを『死の行軍』みたいに言うのは、前世の冒険者仲間に失礼ですよ。……でも、わかります。……この熱源を捨てて歩くのは、実質的に全裸で吹雪の中へ飛び込むようなものです」
隣でメルティも、ポテトチップスの袋を抱えたまま、一ミリも動かずに同意した。
二人は、あまりにも身近で、それでいてあまりにも巨大な「生活の壁」に直面していた。
トイレ、キッチン、書庫。どれほど強大な魔法が使えても、そこに「移動」が伴う限り、エルンストにとっては過酷な労働でしかなかった。
「……よし。……解決しよう。……コタツから出るのが嫌なら、コタツと一緒に動けばいいんだ」
「……えっ? ……コタツを引きずって歩くんですか? ……それは流石に、伝説の魔導師としての尊厳が消滅しませんか?」
「……尊厳で体は温まらないよ、メルティ。……見てて。……一秒だけ、本気で魔法を使う……」
エルンストは、閉じかけた瞼の裏で、数兆通りの魔導式を瞬時に演算した。
それは、空間固定の概念をねじ曲げ、安眠をポータブル化する禁忌の付与魔法。
【全地形対応・自走式・完全防護型「着るこたつ」(プロトタイプ)】
瞬間、隠れ家の中に黄金の粒子が舞い上がった。
エルンストが愛用していたコタツの布団が、彼の体に吸い付くように変形し、まるで「巨大なミノムシ」のようなシルエットになった。裾には、床との摩擦をゼロにする「浮遊魔法」が組み込まれ、内部には「常時三十七度維持」の恒温魔法が脈動している。
「……ふぅ。……これだよ。……見て、メルティ。……僕が動けば、コタツも付いてくる。……僕が止まれば、そこがリビングだ。……僕は今、移動する楽園になったんだ……」
エルンストは、ミノムシのような姿のまま、床をスィーッと滑るように移動し始めた。足は一歩も動かしていない。思念だけでコタツごと滑っているのだ。
「……うわぁ……。……物凄く、物凄くカッコ悪いです、エルンスト様。……伝説の英雄が、布団の塊になって廊下を滑走している……。……でも、……でも、……ちょっと羨ましいです! ……私も、その『着るこたつ・聖女仕様』が欲しいです!」
「……いいよ。……今、メルティの分も『ポテトチップス専用ポケット付き』で編んであげるから……」
数分後、隠れ家の中を、二つの「動く布団の塊」がシュールに滑走し始めた。
トイレへ行くのも、キッチンへアイスを取りに行くのも、彼らは常にコタツの中にいた。境界線を消せば、家中の移動はもはや「観光」ですらあった。
だが、この「歩く超高熱源体」が家の中を徘徊している状態は、外の世界にまたしても甚大な影響を与えていた。
隠れ家の隙間から漏れ出す「コタツの余熱魔力」が、局地的な上昇気流を生み出し、空に「幸運を呼ぶ七色の虹」を常時発生させたのだ。
王宮に届いた報告は、またしてもエルンストを聖人へと祭り上げる。
『速報! エルンスト様、その溢れ出る慈愛を「歩く結界」として具現化! 彼の歩く場所には虹が立ち昇り、大地は春の如く温まる! ついに彼は、歩く聖域そのものとなられたのだ!』
宰相ヴァルガンは、震えながら追記した。
「……なんと。……自ら重い結界を身に纏い、一歩歩くごとに世界を浄化しておられるというのか。……そのお姿は、さぞかし神々しく、近寄りがたい威厳に満ちているのだろうな……。……至急、その『歩く聖域』を維持するための栄養剤(特製ケーキ)を送れ!」
隠れ家では、エルンスト(布団形態)がキッチンの前でピタリと止まり、魔法の手で冷蔵庫を開けていた。
「……メルティ。……これ、最高だね。……廊下で寝落ちしても、ここが僕の寝床だから、実質的に遭難のリスクがゼロだ……」
「……はい。……一生、この中から出たくないです……」
伝説の魔導師と聖女は、尊厳をドブに捨てる代わりに、究極の「持ち運べる安眠」を手に入れた。
彼らは今日も、ダサすぎる姿で虹を背負いながら、一歩も歩かずに家の中を滑走し続けるのであった。




