第30話 狩猟祭 4
「男爵夫人、いい顔しているな」
扇を広げて囁くと、男爵夫人はこの上ないご機嫌な笑顔を見せる。
「前回、さんざんわたくしをこき下ろした女の顔が楽しくて」
いい趣味をしているな……男爵夫人……。
成金アーチデール男爵家の平民の後妻。
その言葉を囁かれていたのを、男爵夫人は忘れていない。
まして、記憶に新しい今年の春に、ビークロフト伯爵夫人ミランダに言われたことは猶更だろう。
根回しは十分だった。
陸軍閥のご夫人方は、ミランダではなく、次期ビークロフト伯爵夫人アイリーン様に声をかけている。
陸軍閥のご夫人がアイリーン様を取り囲むと、ミランダが足を運ぼうとする。
が、ミランダの動きを見て、「挨拶をしましたよ」そんな態で、ささっとアイリーン様から離れ、今度はアイリーン様と親しい貴族夫人や令嬢達がアイリーン様を囲む。
これが何回か繰り返されるのだ。
「シンシアの言う『ぼっち一直線コース』ってこういうことなのね」
「世代交代のタイミングを読めず、当主の嫁だからと幅を利かせてやりたい放題やった結果だ」
男爵夫人は私を見る。
「マリアンデール、わたくし、あなたの事業の社交も手伝えてよ?」
ビークロフト伯爵夫人を見て我が身を振り返るわけか。
「そうだな。嫡男である兄を押しのけて爵位を戴くのは、時間がかかるから男爵夫人の社交はまだまだ長いとみていい」
「よかった」
「バクスター公爵夫人とシーグローヴ公爵夫人の方を頼む」
男爵夫人にこの茶会のトップのアテンドを促すと、男爵夫人は心得たように扇を畳んで私の隣から移動する。
「マリアンデール」
「いかがしました? アデライド様」
「すごい根回しね」
アデライド様はちらっとミランダを見て私にそう言う。
この状況になるまで、水面下で丁寧な根回しが必要になる。
春の再開発の為のシーグローヴ公爵家の夜会で、アーチデールに正面切って喧嘩を吹っ掛けた時点で、時流が読めない人だと一部では認識された。
序列を重んじる貴族社会で、アーチデール男爵家……男爵家と言う低い爵位ながら隆盛を誇るのは、単純に手広く商売をしているから……だけではない。
敵対する相手の周囲から説得、懐柔、調整、根回しを施すからだ。
私がこの狩猟祭までそれらを実行してきたことを、アデライド様はご理解されているようだが、ミランダ夫人には受け入れがたい現状のようだ。
サマーホリデーシーズン(多くの領地持ち貴族は領地に帰る)を挟んだ為、時間がかかった。こういった下準備、場合によっては時間をかけすぎるとよくないが、今回は効果があったのかもしれない。
ミランダ夫人が知らない間に、周囲を固められた――というところかな。
「私の側におられるのは少々危険ですよ?」
淑女達がテーブルに着き始める頃合いで、ミランダ夫人が自分のテーブル席の面々を見て、驚愕している。
下位貴族に混ざっての席次に、怒りの導火線が火を放った頃合いだ。
今までならば陸軍閥上位の面々と同じテーブルになっていた。それがこの席次。
翻って、息子の嫁が陸軍閥の上層部のテーブルにつき、周囲のご夫人から挨拶や軽い雑談に受け答えしている。
この状況を見れば周囲も「当主の代替わりが今シーズンで行われる」と認識する。
ミランダ夫人には受け入れられない。
これまでと同様、ビークロフト伯爵夫人としての立場が交代するなど、自分には一切何も知らされていない――……そんなところだろうな。
この席次を仕組んだのが、アーチデール男爵家だと、そこの理解だけは速かったようだ。
東方の彼方の国の鬼女とはこういう顔かと思うぐらいに、顔を険しくさせて、私を見つけてこちらへ向かってくる。
「アーチデール男爵夫人が、アデライド様の母君様とバクスター公爵夫人をご案内しておりますので、そちらに向かわれた方がよろしいかと」
「成り行きを一番いいポジションで見ていたいのだけど」
困った姫君だ。
「わたくしに及ぶまでの何かなど、マリアンデールがいるのに、起きるはずがないわ」
信頼が篤いな。
「これはどういうこと!?」
いきり立ったミランダ夫人が、優雅さが抜け落ちた急ぎ足で近づく。
「席にお戻り下さい」
「わたくしはビークロフト伯爵夫人よ!」
「この茶会を機に、新たなビークロフト伯爵と伯爵夫人の交流を優先させるように、要望がございましたので、この席で間違いございません。お戻り下さい」
「この……っ! 公爵家が目をかけてるからって!」
ミランダ夫人が扇を手に振り上げる。
振り上げて振り下ろすモーションが、予想通りの速度だったので、私は上手い具合にミランダ夫人の扇を握る手の甲を自分の扇でピシャリと打ちのめす。
「なっ……わたくしの手を!」
正直言って、私の頬を張ったアーチデール男爵夫人の方が動きは速かったな。
私に手を上げるなら、やり返される覚悟がいるぞ。
「王家主催を代行するシーグローヴ公爵家主催のこの狩猟祭の茶会で、なりふり構わず感情のまま振る舞うとは……出自が知れるというものだな。貴女は引退する伯爵の奥方だ。本来なら、この場はアイリーン様の今後の交流に配慮すべき立場だろう」
青みがかった鋼色の瞳をミランダ夫人に向ける。
「なんですって!?」
そう叫んで掴みかかろうとするミランダ夫人を、私の会社の警備の者が取り押さえる。
私は扇の先端を掌で軽く叩きながら近づく。
「私の手を振り払って階段から落ちたお酒に酔ったご友人から聞いておられないようだから、改めて言おう。私は年齢や爵位などに遠慮はしない。現在のビークロフト伯爵家の状況は、全てお前の考えなしの行動が引き起こした! それも理解できないのか!!」
「たかが男爵令嬢の癖に生意気な! 離しなさい!」
ミランダ夫人が自身を取り押さえる護衛に向かって叫ぶも、私も間髪入れずに声をあげる。
「離すなよ! 私の傍にはアデライド様がいらっしゃる。何かあったら、首が飛ぶどころではないと心しろ!」
護衛達は表情を変えることはないが、取り押さえる力を加えた様子で「痛い!」とミランダ夫人が叫ぶも、決して腕を離すことはなかった。
「アデライド様、そろそろお席に。私はミランダ夫人をお送りするので」
アデライド様にそう声をかけると、アデライド様はにっこりと微笑まれた。
――最後まで見届けたいということか。
私は後方にいる男爵夫人に視線を投げると、男爵夫人はアイコンタクトで任せても大丈夫のようだ。
バクスター公爵夫人もこちらへやってくる。
軍閥のトップとしては黙っていられないらしい。
これ以上、大物を側に置いて、衆人環視の中でミランダ夫人とやりあうつもりはない。
強制退場だ。
「連れて行け」
「な! 離しなさい! 無礼者!」
会場から離れて、馬車停留の場までミランダ夫人を連れていく。
護衛達に引きずられように、会場からここまで連れられてきたミランダは私をにらみつけるだけで精一杯のようだ。
ミランダ夫人を拘束している護衛会社の者がグリフィスに耳打ちする。
用意ができたようだな。
「この、たかが男爵令嬢の分際で――……!」
「黙れ! この痴れ者がっ!! 王族に連なる方々もご臨席する場で御宸襟を騒がせるとは何事か! 貴様の所業がビークロフト伯爵家の品位を貶めていることを自覚しろ!」
「なっ!」
「それと――私を男爵令嬢に貶めた貴様に「たかが男爵令嬢の分際で」とは言われたくはない。貴様の実家は、主家である私の実母の実家、ブラックウェル伯爵家の足を引っ張り没落に追い込んだ張本人。このことを知る私が、今、貴様を生かしている現状に感謝するべきだ。グリフィス、用意はできたのか?」
「Yes, My Lady」
「よし、馬車に押し込めろ」
「はあ!? ちょっと! 離しなさい! わたくしはビークロフト伯爵夫人よ! こんなこと許されるわけがないわ!」
そう喚くも屈強な護衛達の拘束が解けるはずもない。
護衛達に馬車に押し込められるミランダに、私は引導を渡す。
「二度と貴様は王都の土を踏むな」
青みががかった鋼色の瞳を向けて、冷淡に言い放った。




