第8話 象牙の塔の住人
まっさらになってしまった私の記憶だが、新たな記憶は、まるで乾いた土に水を垂らしたように染み込む。
話を、私の学院在学時まで巻き戻そうか。
デビュタント目前、学院卒業近く、この頃の私は、父親であるアーチデール男爵と後継である兄、オリバーから、私のアーチデール男爵家の継承をとりつけ、いくつかの事業を任された。
服飾と宝飾品、そして生活雑貨。
これは私がアーチデール男爵に頼んでこれらの事業を引き継いだものだ。
「アーチデール男爵様から任せられる事業はこれでよろしいのですか? My Lady」
「いきなり総合建築や金融事業を手伝うと言うと、アーチデール男爵はもちろん、傘下の上役の方々から反発がある。服飾と宝飾と雑貨は女の子らしい事業だ。娘が可愛いから――そんな口実で、任せるにはちょうどいい事業だろう。もちろん、この事業に新規事業を組み込む。私も手持ちの会社が欲しい」
「どういったことを?」
「先日、勤めたいと言ってきた娘がいただろう?」
「カレン・ヴィ・ファレル様ですね」
「うん。貴族の女性向けの事業を展開したい。まずは貴族のご婦人やご令嬢を対象にしたリラクゼーションサロンだ」
「リラクゼーションサロン……?」
「男爵夫人を見ていて思いついた。いつでも綺麗でいたい綺麗と見られたい、夜会のある日は朝から風呂に入って頭の先からつま先まで磨き上げられる。それをな、商売にしようと思う。キモはマッサージだな。人材を集めるのに苦労する。人の肌に触れるから、医療関係の経験がある者、対象は貴族夫人、令嬢だから、貴族家に仕えたことのあるメイド、あとはそうだな……娼館かな」
「は? い、今なんと?」
「娼館だよ」
グリフィスにしてみれば、私の口からその単語が出てくるとは思いもよらなかっただろう。しかし、あれは肌に直接触れる仕事だろう?
そうなると言葉や所作もしっかりした者がいい。高級娼館を数件も回れば、不採算な人材もいるはずだ。
カレンにそういった者達が貴族に接する教育をさせて任せようと思っている。それが終わったらサロン支配人を任せてもいい。なんと言ってもカレンはこの学院卒業前に、一番最初に私に請願してきた者だからな……。
そこで使用するバスグッズ、リネン、下着これらの製造販売を新規事業にする。
貴族向け事業だから、事業開始にはそれなりに開店資金が溶ける。この金額を知ったら男爵夫人や義妹は「何してるの!?」と悲鳴を上げるだろうが、サロンを開く予定の不動産は王都貴族街に設置する予定だ。
ドレスを仕立てたりアクセサリーを誂えたりする金額と、事業開始は金額の桁が違うのは当たり前だ。
しかし、まずは私の力量を計るにはもってこいの事業だろう。
「忙しくなるぞ、グリフィス」
そんなサロン開業準備の只中、新たに雇った従僕の一人が私に話があると言ってきた。
この新たな従僕には、アカデミーに行ったきりの兄の世話役を任せている。
名前はクリス・ハーベイ。彼は元々アカデミーの学生だった。
ここまで言えば、雇用に至った経緯は兄の推薦だと誰もが推察するだろう。私も研究バカの兄でもオトモダチは作れるのかと、このクリスを雇用する時に思ったものだ。
「話とは?」
「はい、お願いがございまして……」
「兄の研究費の増額か? 寒冷地の研究用の農場を用意してもまだ足りないとか抜かす気か」
「いえ、オリバー様ではなくて、その、とある学生の研究費用を」
この従僕のクリスは兄と同じか少し上の男だが、このアーチデール家から給料を貰ってるアーチデール家の家事使用人だ。
ここで私を小娘と侮り、逆切れするなら解雇する気でいた。
「見も知らぬ個人学生の研究費を融通しろと?」
普通なら、「何を言ってるふざけるな」と切り捨てるところだ。アーチデール男爵家の後継として私の名前は世間に少しずつ浸透している。小娘相手ならどうにもなると、学生が思っているということか……。
「舐められたものだな」
「いえ、いいえ! 決してそういう思いではなく! マリアンデール様のこれからの事業について、今アカデミーで研鑽を積んでる者が協力できるならば、研究費はもしかしたらマリアンデール様が出してくださるかもしれないとオリバー様が……」
あのボンクラボンボンが!
何を安請け合いをしているか!
「何を研究しているか知らんが……欲しければ研究内容を簡潔に纏め、本人がここに来て、目の前で頭を下げろ。アカデミーで研究なんて、実家が太くなければできんだろうが。実家から金を引き出せないのに、簡単に私から金を毟りとれると思うな。そう言え」
これだから象牙の塔の住人は。
そう私は吐き捨て青みがかった鋼色の瞳でクリスを睥睨した。
金を出してもどうせ実家に研究成果を流されるのがおちだ。
この一件はこれで終いだと思っていたのだが、後日、アカデミー学生寮から先触れの手紙が私宛に届く。
記載された名前はフローラ・エイミスと記されていた。
女か……。
どうせあの世間知らずのクソ兄が、うっかり色香に迷ったか。
とりあえず、聞くだけ聞いてやろうと思い、先触れの手紙に了承の返信を、アーチデール家とアカデミーに行き交うクリスに託した。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
クリスが感涙しながら了承の手紙を受け取る様を見て、兄ではなく、こいつが相手かと思った。
「なんだ、お前の女か」
「ち、ち、違います! そうではなくて、そうではなくてですね! マリアンデール様の仰るように、アカデミーには確かに貴族の子息や令嬢は多く在籍しておりますが、オリバー様のように、実家からの強い支援を受ける者は本当に稀なのです! まったくないとは申しませんが、今一つ金額が往々にして足りていない場合が多いのです」
「そんなものか」
「そうなんですぅぅぅ。それにエイミス女史は、マリアンデール様の企画されている意図を汲んだ商品を作れる人物です」
「グリフィス」
「Yes, My Lady」
「この女、調べておけ」
「御意」
面会を了承したのはいいが、変な人物だったら事だ。
グリフィスに調べさせて問題有りとなる人物だったらば、事前に用事を作って不在とし、後日、この話はなかったことにとした方がいい。
とりあえず、グリフィスは別室で、クリスからこのフローラ・エイミスなる人物の詳細をわかる範囲で聞き出し、その後、裏取りをした。
結果。
「感激でございます! マリアンデール様!」
王都アーチデール邸の私専用の執務室――空いてる部屋を事業を任された為にそう設えさせた部屋に訪れたのは、オリバーと同じぐらいの年齢に見える、ブルネットの髪にグリーンの瞳をした令嬢だった。
ドレスではなく、どこかの制服のような衣装をまとい、長い髪を団子にして化粧気もない。
「私は、エイミス伯爵家三女、フローラ・エイミスと申します! あ、今は庶民なのでヴィの称号は持ってませんよ。是非フローラとお呼び下さい。お噂はお兄様であるオリバー様から聞かされておりました! 私は、ずっと研究しておりましたの! 女性の為の商品を! 婚家の伯爵家からの慰謝料を使いつくし、途方に暮れておりました!」
このフローラ・エイミス……実はバツイチだ。
18の時に某伯爵家に嫁ぐものの、夫である伯爵には恋人がおり「キミを愛することはない」と宣言された。だが結婚当初、彼は離婚する気はなく、社交には以前から付き合いのある恋人と一緒に出席する有様。
婚家の使用人達にもいるのかいないのかの扱いをされ、それならばと婚家から出される予算を使ってアカデミーに入ったという話だった。
この話を聞いたアンとシンシアは「え~絵小説みたい~」と盛り上がっていた様子。
それはさておき、夫がこのフローラを切って恋人と結婚したいと強く思ったらしく、多額の慰謝料を払って三年前に離婚したという。
最初からその恋人と結婚しとけばいいのにと彼女も思っただろう。
そんな彼女曰く。
「誰からも必要とされないなら、誰もが必要とするものを作ればいいじゃない。そしたら、私は、誰からも必要とされるのと同義だと思ったのです」
なかなかいい根性してる。
「それで、慰謝料全額使い果たしたのか」
「そうなんです。本当は会社を作りたかったんですよ、でも、研究の方にお金がかかってしまってできなかったんです。こういったものを作ってます!」
ハーブ系のハンドクリームやリップクリーム。
バスオイル、シャンプー、トリートメント、ボディクリーム。
「で、最初はこういった商品をいい感じにして富裕層向けに売りたかったのですが、こういったものを作った後に、安価で誰もが……特に女性が使うものをと思いまして……その、えっと、執事の方は席を外していただけると」
ちらちらとフローラはグリフィスと私に交互に視線を向ける。
私は頷いて、グリフィスに席を外させた。
「要は女性が月に一回使用するものを」
フローラが言い辛い感じで小さな声で言いながら、現物が入った紙袋を私に渡す。
「これが製品です」
「実際使用したか?」
「もちろんです! ものはいいんです! でも、ほら、企業はなんていうか男の人でしょ? 女性用の商品って言った時点で鼻で笑われてしまうんですよ! しかも私はバツイチの女だから!」
だろうな、それだけこの国は男性上位の社会だから女が必要なのはドレスと宝石だろうとどこかの金持ちの男爵も言いそうだ。
「この研究は続ける?」
「はい、これは製造コストがかかります。この国の全女性が必要となります! コスメ雑貨を始め、女性が身に付けるもの全般に渡って開発したいんです」
「わかった。フローラ。契約しようか」
私はそう言ってグリフィスを部屋に呼び戻した。




