閑話 マリアンデール麾下1 カレン・ヴィ・ファレル
わたし、カレン・ヴィ・ファレルが、王都の貴族学院に入学した時、暗澹たる思いだったわ。
入学と同時に社交デビューはできたけれど、実家のファレル家がわたしにお金をかけるのはここまでだと親に言われたのよ。
持参金を持たせて嫁に出すことはできない。
そこまでの財力がない。
だからお前は自力で職に付けと言われた。
そのために学院に通わせるのだからと。
だったら実家の領地で何某かの職にと思ったのだけど、一つ上の兄が結婚し、その嫁に憚ってのこと……。
兄嫁は、嫁ぎ先に小姑がいる状態に、いい顔をしないらしい。
小さな地方領主同士の政略結婚なのに。
しかし、兄嫁の実家は海も近く、それなりに栄えている。
内陸の山ばかりの実家のファレル家とは違って豊かな実家。そこで育てられた娘は、自己主張を言ってもそれがずっと通ってきた。
結婚しても通すつもりのようだ。
はいはい、お姫様の仰せの通り。
同じ男爵家のくせにとわたしは内心、憤慨していた。
そんな状態で学院に入学し、学業はそれなりの成績を収めてきたけれど、この学院を卒業した後の女子生徒の進路はほぼ結婚と相場が決まっている。
入学してすぐに、貴族のご令嬢とは本来そういうものだと田舎貴族のわたしは理解した。
地方の小領主の娘なんて、大した価値はないし親が持参金を渋る理由もわかる。
さて、自分の身の振り方を決めなければ――……。
そんな学院で、わたしは一人の男爵令嬢と友人になった。
――マリアンデール・ヴィ・アーチデール
大人しくて、紅茶色の髪と青みを帯びた鋼色の瞳を持つ、アーチデール男爵令嬢。
令嬢達の輪ではわたしと同様、聞き役に回っていた。
彼女自身から名前を聞かされるまでは、ううん、自己紹介された時も、国で五指に入る大商会のご令嬢だとは思わなかった。
この子こそ、兄嫁とは比べられない、下位爵位ながらも姫様扱いされてもおかしくない財閥のご令嬢。
それなのに実家の権勢を誇るわけでもなく、真面目で目立たない令嬢だった。
いつか――彼女に、職を願おうとは思っていたの。
大人しくて優しい彼女ならば、断らないかもしれないって。
そんな淡い希望は、卒業する三学年になった時に打ち砕かれたわ。
彼女は実家の階段から落ちて記憶を失ってしまった。
一命をとりとめたときいて、家に駆け付けたいとも思ったけれど、王都貴族街のアーチデール邸の前まで行くと情けないことに足がすくんでしまったのよ。
自分が想像していたよりも、遥かに彼女の実家が金持ちなのだと、その男爵家の家らしからぬアーチデール邸の佇まいを見て、本来なら、わたしなんかが気安く声をかけてはまずいレベルのお嬢様だったという現実を突きつけられて、そのまま学院の寮に戻って行った。
記憶喪失状態のまま復学したマリアンデールは、変わってしまった。
目立つことを良しとしない、大人しい、でも優しい、そんな人物像から、積極的にコミュニケーションをとりクラスの中でも、注目を浴びてあっという間に中心人物。そんな立場になって戸惑いを見せることもない。
男爵令嬢だけど、学院内のご令嬢達の中でも最大派閥を持つ、シーグローヴ公爵令嬢と知己を得てしまうまでに。
記憶喪失前の交友関係なんかもまるっきり忘れてしまっていて、複雑な思いを抱いたものよ。
でも、時間がどんどん経っていく。
わたしの進路は決まらない。
新年も迎えて卒業までのタイムリミットが近づいるのに……。
どうしよう、どうしよう……いいえ、動かないことには始まらない。
記憶を失っても、わたしのことを覚えてなくても、わたしは、マリアンデールの本質が、穏やかで優しい子だったのを覚えている。
だけど、記憶を失って、学院内では高位貴族に囲まれても狼狽えることもなく、自然に溶け込んでいる彼女は、明らかに以前とは違う。
王都の貴族街にあるアーチデール邸に住まう彼女は、爵位こそわたしと同じだけど、世界が違う人間だ。
もう、以前の彼女ではない……。
なら、ならばどうする?
マリアンデールに、進路の行先を相談する時点で、すでに立場は違うのだ。
彼女を主として従う。
それが最適解のはず。
ある日の帰り際、マリアンデールに手紙を差し出した。
記憶喪失以前友人だったこと。
そして、記憶喪失前に、話をしたかったことがあること。
できれば人がいないところでが望ましいこと。
学校での彼女は以前と違い、誰からも注目を浴びる。
情けないけれど、わたしの立場は、低い。
それはわかってる。
でも、衆目を集めての請願は、さすがに矜持が許さないというか……恥ずかしい。
わたしの手紙を受け取ってくれたマリアンデールは、休日に、わたしがいる学院の寮にアーチデール家の馬車を迎えに寄越し、王都のアーチデール邸に招いてくれた。
馬車から降りると、アーチデール家の筆頭執事がわたしをマリアンデールの私室に案内して、専属メイドがお茶を用意して、下がったところで、わたしはマリアンデールに切り出したのよ。
「お願いがあります。アーチデール男爵令嬢マリアンデール様、学院卒業後、わたしを雇っていただけないでしょうか?」
友達だったからという気安さは、記憶を失った彼女に向けられなかった。
わたしの言葉に、マリアンデールは、口の端を上げて笑みの表情を作る。
「よかった」
「……え?」
「カレン・ヴィ・ファレル男爵令嬢――記憶にないが、カレンと呼んでも?」
「も、もちろんです」
「堅いな、友人だったのだろ?」
マリアンデールはそう言うけれど、彼女にしてみたら、わたしは見も知らない学院の同窓生にすぎない。それに、わたし自身はずうずうしくも、職の斡旋を願うなどしている立場、堅いと言われても……。
あと、記憶喪失後にまともに会話をするのはこれが初めてで……マリアンデールの話し方が以前とは全然違っている。
まるで令嬢というよりは、令息みたいな話し方。
まるで別人のようで気おくれしてしまう……。
「家の事情というのはいろいろある。私もカレンも。私は記憶を失って婚約を解消した。多分今後、結婚はしないと思う――いつ記憶が戻るかわからないからな」
それはそう。
マリアンデールを囲んでいるご令嬢達からも、そういう不安があれば婚約解消は理解できるし、今後の婚約のお話も難しいわねと聞いている。
でも怪我をして記憶を失って傷を負っても、アーチデール家の娘ならばと、そういうお話はくるだろうと思っているんだけど……。
「そういう事情から、学院卒業後、私は父の事業のいくつかを任されるし、個人的にも事業を立ち上げたいと思っている。貴族の令嬢にあるまじき立場になる予定だ。そこで私個人を知る、私が信頼してもいい人材が必要だと思っていた――カレン、貴女にその気があるならば、私に力を貸してくれないだろうか?」
危うく脱力してソファに突っ伏すところだった。
「あ、ありがとうございます」
わたしは、かろうじてそう伝えると泣きそうになった。
よかった。
間に合った。
「寂しいことに、記憶喪失前の友人が一人もいなかったんじゃないかと、私は思っていた。『以前は友達だったのよ』と言ってくれる人がいなかったからな」
「それはマリアンデール様が変わられたからです」
「うん。『わたしたち、以前はお友達だったの、約束したでしょう? マリアンデール、お願いをきいて○○が欲しいの、融通してくれない?』とか言い出す奴がいるかどうか、学院に通ってる間、わくわくして待っていたが現れなかった」
ドキリとした。
言葉は多少違うが、わたしがやったの、今、マリアンデールが言ったことと、さほど変わらない。
でも、そんなことを言いだす人はいないだろう。
だって今現在、学院内ではマリアンデールの側にはアデライド様がいる……。
「よかった。カレンがそんな恥知らずな人が友人ではなくて。記憶喪失前の自分もなかなか捨てたものじゃないな」
「え?」
「記憶を失った私に対し、貴族の令嬢として手順を踏んで面会を申し込み、礼節を守る。信頼してもいいと思った。そしてカレン、謝るよ。記憶がないからね、カレンのことを調べさせてもらった」
「それは、謝る事では……」
「記憶喪失前の私が、カレンと友人であったのは、多分、家庭事情の複雑さに共感したからなのだろうと、推察した」
わたしはマリアンデールの言葉に頷く。
「多分、そうだと思います」
「きっと記憶喪失前の私は、カレンのことをたくましくて、すごいな――と思っていただろうな」
マリアンデール本人に直接そう言われたことはないけれど……、そんな雰囲気はあった気がする。
でも今は違う。
記憶を失ったマリアンデールは、男爵令嬢の枠に納まらない、何かに変貌してる。
彼女を前にわたしは言いようのない感情を抱いた。
これは畏怖か――それとも彼女の傍近くの位置に立った高揚か――……。
「そんな私に相談をもちかけるには、よほど困っていたのだろう。だから、カレン。今の、このマリアンデール・ヴィ・アーチデールに請願をするからには、覚悟をしろ。普通のご令嬢のような生活はできないその代わり、あてにならない実家に頼ることなく、貴族の令嬢として生活できる財力を、自分の力で稼がせてやる」
青みを帯びた鋼色の瞳をまっすぐに向けられて、わたしは一瞬、呼吸が止まった。
それはわたしの望むべきところだった。




