8.ヒュート本部へ
アンマリーとの面会を終え、レシアとレイナートは下城すべく裏門へと向かっていた。その途中、レイナートが声をかけられた。
「レイナート様」
振り返るとそれはビスクドールのような美しさを持った令嬢だった。レシアは彼女がメイドの言っていたレイナートの婚約者だと勘づき、慌てて彼から距離を取ろうとしたが、逆に腰に手を回され、彼に引き寄せられてしまった。驚いてレイナートを見上げるが彼はレシアには目を向けず、令嬢を見据えている。
「ご無沙汰しております、ブリジット嬢」
レイナートの口調からブリジットのほうが高位であることが伺えた。
「そうですね」
ブリジットは扇で口元を隠し、レイナートに応じてからレシアに視線を向けた。
「そちらの方は、どなた?」
そう聞かれ、レシアは挨拶の為に進み出ようとしたが、レイナートはすばやく彼女を背中に隠し、
「俺の客人です。いずれ、ご紹介いたしましょう」
と、きっぱり言い切った。令嬢とはいえ高位の貴族にこのような口をきいて、レイナートは大丈夫なのだろうか。
「そう、ではまた」
レシアの心配をよそに、ブリジットはそれだけ言って王宮の奥へと歩いていった。レシアはそれにほっとして息をついた。ふと見上げるとレイナートはブリジットの後姿を冷めた視線で見送っている。
「レイナート様?」
レシアの声掛けに応じて向けた顔はいつもの穏やかさを取り戻しており、
「すまない、帰ろう」
と何事もなかったかのような言い方をした。レシアはレイナートに物申したい気分になったが、人目のあるところで話すことではないと思い、口を噤んだ。
帰りの馬車の中、レイナートと二人きりになったところでレシアは口を開いた。
「ブリジット様のことですが」
「うん?」
レシアの言葉にレイナートはいつもの穏やかな笑みを向け、先を促した。
「レイナート様の婚約者だと伺いました」
レシアの言葉にレイナートは笑って言う。
「はっはっは。君がその情報を持っているとは驚きだ、さては使用人どものしわざだな?」
彼は笑い話にするつもりのようだが、レシアとしてはきちんと意見しておかなければならない。
「婚約者がいらっしゃるのにわたしをお屋敷に置くのはどうかと思います」
「それはどういう意味かな?」
レイナートは面白いものでも見つけたような顔をしている。レシアはからかわれているとわかったがそれでも言った。
「婚約者以外の異性を屋敷に置くなど、外聞がよろしくないと申し上げております」
「なるほど」
そこでレイナートはずいっとレシアの顔に自分のそれを近づけた。あまりの近さに驚いたレシアは避けようとしたが、狭い馬車の中に逃げ場はない。
「それはつまり、君は俺のことを異性として意識している、ということかな?」
レイナートの言葉にレシアはひどく狼狽し、
「そういう意味ではなく!」
と必要以上の大声で抗議した。顔を赤らめるレシアにレイナートはくすりと笑って少し身を引いた。
「ブリジット嬢との婚約は噂に過ぎない、俺は承知するつもりはないし、あちらも同じだろう」
それからレイナートは座席に座り直し、いつもの穏やかな口調で言った。
「ここから先は俺が勝手に話していいことではないから言えないが、君が心配するようなことはなにもない。気にしなくていい」
こうもはっきりと言われてしまうと、これ以上言い募ることは無作法な気がして、レシアは黙るしかなかった。
アンマリーとの面会が済み、水面下でレシアの存在が囁かれ始めると、レイナートはヒュート本部に彼女を連れていくことにした。
レシアの籍をどこにおくかはまだ決まっていない。だとしても、魔法が最も有効活用できるのは魔物討伐、すなわちヒュートである。それにヒュートには貴族だけでなく、様々な人物が所属している。どこか世間ずれをしているレシアのためになるだろうと考えた結果でもあった。
「レシアは馬に乗れるか?」
朝食が終わり廊下に出たところで唐突にレイナートに聞かれた。彼のこういうところには慣れたつもりでいたが、やはり驚かされる。
レシアは落ち着いた態度で、いいえ、と答え、
「今度はなんのご用でしょうか」
と、問うた。
「君をヒュート本部に連れて行こうと思うんだ。今日はちょうどミーティングでマスターも集まる」
なるほど、レイナートは本部まで馬で行くつもりでレシアに扱えるかを尋ねたのだ。しかし、なぜ急にヒュートなのだろうか。
「ヒュート本部ですか?」
レシアの戸惑いにレイナートは、そうだ、と言い、続けた。
「レシアの魔法が活かされるのはやはり対魔物だ、いずれヒュートと動くことになろう。今から馴染んでおいても損はないと思う」
なるほど、レイナートなりに先を見据えた結果というわけか。正直、積極的に魔物討伐をしたいとは思わないが、自分にできることがあるなら助力を惜しむつもりはない。
「わかりました。ですが、馬に乗らなくても浮遊魔法で行けますからご心配なく」
と、言い、その場で少し浮いてみせた。
「そんなこともできるのか」
「なんならレイナート様もご一緒にいかがですか?」
そう言ってレシアは彼の手をとった。するとレシアの魔法はレイナートにも効力を発揮し、彼もふわりと浮いた。
「なるほど便利だな。だが、却下する」
レイナートがそう言うとレシアは不満そうな顔を見せた。そんなレシアを諭すようにレイナートは言う。
「こんなものを街中で使ってみろ、騒ぎになる。現に見なさい」
彼はついっとレシアの背後に視線を移した。訝しく思いながらもそちらを見ると、メイドや使用人が数人、驚愕のあまり固まっている。
レイナートはレシアの肩に手を置き、その顔を覗き込むようにして言った。
「君はもう少し、自分が特別であることを認識したほうがいいな」
思いがけずレイナートの端正な顔が近づき、レシアの頬にさっと朱がさした。慌てて顔をそらしたレシアをレイナートは優しく見つめ、
「近いうちに賢者の学院に行こう。他の魔法使いがどれほどのものか、知っておいたほうがよさそうだ」
と言い、笑った。
ドレスを着せたがったメイドたちを押し切ってレシアは動きやすい軽装を選んだ。今日は王城に行くわけではないし、レシアは貴族でもないのだからこれで充分だ。
身支度を整えたレシアが外に出ると、そこには一頭の馬が用意されていた。馬には乗れないと言ったはずなのにどういうことだろう。レシアが疑問に思っているとレイナートも屋敷から出てきた。
「待たせたか?」
「いえ、今、来たばかりです」
レイナートは、そうか、と言い、馬丁から手綱を預かるとひらりとまたがった。そして当然のようにレシアに向けて手を差し出す。
「レシア、おいで」
その声色には明らかな熱がこもっていてレシアを慌てさせた。
「馬には乗れません」
わざとぶっきらぼうな言い方をするレシアの腕をレイナートは強引につかんだ。
「安心しろ、俺は君を落としたりはしない」
そしてレシアの了承なくその身を持ち上げ、自らの腕の中に収めてしまった。互いの体温を感じる程の近さにレシアはどうしていいかわからない、片やレイナートはどこ吹く風だ。
「行ってくる」
レイナートは見送りの執事に言い、軽く馬の腹に蹴りを入れ、緩やかなスピードで駆けさせた。やっぱりドレスにしなくて正解だった、とレシアは思った。
ヒュート本部はレイナートの屋敷から少し距離がある。そのうえ、街中を抜けなければならず、馬車で行くにはそれを迂回することになり、余計な時間がかかる。それを嫌ってレイナートは大抵、馬を使うのだ。
まだ朝の時間ではあるが人通りはそこそこある。その中をレイナートの操る馬が駆けていく。街の人々はレイナートの姿に挨拶をし、それにいちいち応えるレイナートは慕われているようだ。
貴族が庶民と挨拶をするなどあまり聞いたことがない。人々は、彼が貴族というより、ヒュートマスターという認識を強く持っているのかもしれない。
「レイナート様は市井の方々と親しいのですね」
「それはどうかな?」
実際にはレイナートが女性と相乗りで馬に乗っているということに驚いた人々は、野次馬根性をむき出しに少しでもその情報を手に入れようと声をかけていたのだ。しかしレシアにそれはわからない、わからないからレイナートが皆に慕われているようにしか見えない。
もちろんレイナートにはその意図がわかっていたから、質問の隙を与えぬよう足早に通り抜け、やがてダークオークで作られた重厚な建物、ヒュート本部が見えてきた。
「お疲れ様です!」
門番がレイナートに向けて敬礼する。レイナートは、ご苦労、と声をかけ、馬のまま敷地の中に入り、正面玄関の前で馬を止めた。
レシアはレイナートの助けで馬を降り、彼は馬丁に馬を預けながら尋ねた。
「マスターはそろっているか?」
「はい、つい先ほど。王弟殿下と侯爵様はまだお見えになられておりません」
馬丁の言葉にレイナートはうなずき、レシアに声をかけた。
「レシア、おいで。他のマスターを紹介しよう」
「はい」
建物に圧倒され、呆けた顔で見上げていたレシアは慌ててレイナートの後に続いた。




