6.ルキルス伯爵夫妻の暴走、もとい思惑
よく晴れたある日、ルキルス夫人はレシアを伴って街へと繰り出した。馬車には女性二人が乗り込み、それを守るかのように馬に乗ったルキルス伯爵が並走している。
「観劇は初めて?」
ルキルス夫人の問いかけにレシアはうなずいた。
「はい、どのようなお話なのですか?」
「騎士とお姫様の恋愛ものよ。流行っているというからチケットを抑えたのだけど、ありきたりだったかしら」
「わたしは劇というものが初めてなので、とても楽しみです」
思いをそのまま口にしたレシアの微笑みに夫人も笑顔になった。
やがて馬車は劇場に到着し、夫人は伯爵の、レシアは御者のエスコートで降りた。レシアは先日届けられたドレスを身に着けていて、ルキルス家の人達と並んで歩く姿はどこからどう見ても貴族の娘だった。
ルキルス伯爵とその夫人は普段、領地に住んでおり、王都にいること自体が珍しい。そのうえふたり揃って観劇に出かけるなど滅多になく、それだけでも少なからず注目を集めていた。
その人たちと共にいるのは銀髪が人目を引く美しい娘で、社交界では見かけない顔だ。こうなると見るなというほうが酷である。
「社交界に話題を提供することになろうとはな」
夫の言葉に夫人はすまし顔で、
「可愛い嫁を連れて歩くのはいけないことですか?」
と言う。まだ嫁ではないだろう、と伯爵は思ったが、この娘のことは息子も憎からず想っているようだし、なによりヒュートの立場として魔法使いは譲れない。
先に外堀を埋めてしまおうという夫人の策には大いに賛成で、いいや、と、これまたすまし顔で応じた。
かく言うレシアは着慣れないドレスでの所作に頭がいっぱいで、周囲の視線や夫妻のたくらみなど気に掛ける余裕もない。
人々の注目の中、三人は劇場へと入りボックス席に落ち着くと、その日の演目を大いに楽しんだ。
それは騎士と王女の恋物語で、ふたりは身分を超えて愛し合う仲となる。しかし周囲に引き裂かれ、ついに王女は死を選び、騎士も共に逝くという悲恋を描いた物語であった。
劇を見終え、最寄りのティーサロンで軽食を兼ねたお茶をする。
「騎士様でも王女様とは釣り合わないのですね」
この国の騎士はみな貴族である、しかし相手が王女ともなると貴族というだけではダメなのかもしれない。
レシアの感想に夫人は笑った。
「あれは物語だもの。実際には王族の護衛をする騎士は高位の者に限られるから、婚姻も難しいことじゃないわ」
それを聞いてレシアはほっとした。世の中の王女様みんなが騎士と恋仲になるとは思わないが、もしそうなったとき死ぬことでしか幸せになれないだなんて悲しすぎる。
「そうなってもいいように高位の者を護衛に置いているという噂もあるな」
伯爵の冗談には夫人とともに笑ってしまった。さすがにそんなことはないだろう。王女というのは大抵が国の利を背負って嫁いでいく、しかしそれは貴族ならば誰でも同じことだ。
だから社交界には愛妾というものが根強く残っている、夫や妻に愛する者を据えられる貴族は少ない。レイナートが愛妾の話を持ち出したのもそういう背景からだった。
しかしルキルス伯爵夫妻にはそういう存在がないようだった。レシアの目から見てもふたりは仲睦まじく、夫は妻を、妻は夫を大事にしている。
それはルキルス家が純粋な貴族ではないことに起因していた。ヒュートマスターとしての功績を称えられて貴族となったルキルス家には、血脈を利用して家を反映させようという思惑がない。
それよりも夫の留守中にもしっかりと家を守れることに重きを置いており、極端な話をするならば、万一、夫が任務中に帰らぬ人になったとしても動じないだけの気概のある女性が望まれる。
ルキルス伯爵夫人は貴族ではあったが、平民と大して変わらない生活をしていた。しかし小さいながらも領地の管理もしており、その手腕を買われてルキルス家に入った。
新婚早々、ルキルス伯爵は任務のため、半月ばかり不在にしたが、夫人は邸宅と領地を危なげなく切り盛りし、それは今でも使用人の間では語り草になっているほどだ。
伯爵もその一件ですっかり夫人に惚れ込んでしまい、それからは社交界の誰もが羨むようなおしどり夫婦となったのである。
そんなふたりだからこそ我が子にも愛し、愛される相手を見つけてやりたいと思っていた。
レイナートに何度か見合いをさせたもののそれ以上には発展せず、ヤキモキしていたところに本人がひとりの女性を連れてきた。
彼女を見るレイナートの目は甘く、本人にはまだ自覚がないようだが、両親はすぐにその想いを見抜き、たとえレシアが魔法使いでなかったとしても嫁に迎えようとしたであろう。
邸宅での晩餐も茶会も、実はレシアの所作を確認するためのものであった。それは全く問題なく、またダンスも踊れることから、レシアに対する貴族教育は必要ない、と夫人は判断した。
そして今日の観劇は満を持してのお披露目、ルキルス家の若夫人としてレシアを社交界に知らしめる為である。
ルキルス伯爵令息にまだ婚約者がいないことは有名であり、整った容姿をしている彼の隣を望む娘が多いこともまた有名であった。しかし、ヒュートマスターであるルキルス伯爵令息の妻というのは、ロマンスを求める令嬢に務まるほど軽いものではなく、浮ついた縁談はすべて断っていた。
そんなルキルス伯爵夫妻が妙齢の女性を連れ歩いているとなれば、どう考えても夫妻公認のレイナートの婚約者ということになる。
こうしてわざわざ外でお茶を飲んでいるのも夫妻とレシアの仲が良好であることを見せつけ、この縁談は伯爵夫妻の後押しであることを示す為だ。
レイナートに群がるご令嬢はこれであらかた片付くだろう。残るはレシアのほうであるが、これはなんともし難い。
先日、夫人がレシアに語ったように、彼女は王族に望まれてもおかしくないほどの立場にある。しかし運よく釣り合う年齢の王族がいない。となると残りは伯爵家より上の高位貴族たちだ。
レシアがレイナートを異性として意識しているかは微妙なところであるが、こればかりはレイナート本人がレシアの心を得るしかない。
が、レイナート自身が自分の想いを自覚していないこの段階でどうこうなることはなく、つまりは完全なる親バカが暴走している結果であるのだが、レシアも任務中のレイナートもそんなことは知る由もない。
「レシアさん、そろそろ帰りましょう」
と、夫人はいつになく親しげにレシアの手を取って帰路についた。
そんなことがあった数日後、ルキルス邸に早馬が到着した。
「レイナート様がお帰りになるそうよ」
それはちょうどレシアがメイドたちの休憩に混ぜてもらっているときであった。
「まぁ大変!」
「レシア様、急いで!」
メイドたちはクッキーを口に運ぼうとしているレシアを両脇から抱えて部屋へと連行する。
「え?なに、どうしたの?」
混乱するレシアをメイドたちはさっさと部屋に押し込み、あれよあれよという間に着ていた衣服を脱がせてしまう、もちろん手に持っていたクッキーも没収だ。
「なにをするんですか?!」
半分涙目で抗議するレシアを無視してメイドたちは己の任務に邁進する。
「若旦那様がお戻りになる前に、お召替えを」
「どうして着替えを?」
「奥様の言いつけでございますので」
「でも」
別のメイドがレシアに注意する。
「お口を閉じてください、紅が塗れませんわ」
「塗らなくていいです!」
「まぁ、そんな駄々っ子のようなこと」
レシア様は可愛い方ですね、と一蹴され、綺麗にメイクをされてしまう。
そしてドレスに着替えさせられ、部屋に押し込まれたときと同じように両脇を抱えられてホールへと連行された。
「あの、わたし、部屋に戻ります」
動こうとするレシアの両脇はいまだメイドががっつりつかんでいる。
「もう間もなく、若旦那様のご到着なさいます」
「それとこれとは関係ないかと」
「奥様の言いつけでございます」
「ルキルス夫人はなにを命じられたのですか?」
「もう間もなくでございますよ」
「そうではなくて」
「今、帰った!」
というレイナートの声と同時にレシアの両脇に張り付いていたメイドはさっと離れた。
「おかえりなさいませ」
メイドたちの声は自分の背後から聞こえ、レシアは彼女らの筆頭に立ってレイナートを出迎えたようになってしまった。ここに立つべきはルキルス邸の女主人であるルキルス夫人であり、どう考えてもおかしい。
「お、かえりなさい、ませ」
それでもどうにか片言の挨拶を吐き出したレシアのドレス姿に、レイナートは蕩けるような視線を向ける。彼は彼女の手をとり、その指先に恭しく口づけをした。
「今、戻った」
その声には明らかな熱がこもっていてレシアはいつかのように顔を赤らめながらも、このままではレイナートの愛妾にされてしまう危険があると感じていた。
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