30.奪還
レシアの体調は一向によくならず、微熱が続いている状態だった。
未来の伯爵夫人としての勤めを果たせと使用人に強引にドレスを着せられ、夜会へと送り出されたこともあったが、現地でレシアを待っていたユイルスは彼女の状態に驚き、そのまま送り返した。
夜会での各所への挨拶もそこそこに屋敷に急ぎ戻った彼は執事長に苦言を呈した。
「体調が悪いならレシア嬢は欠席でかまわない」
「お言葉ですが、レシア様はこのユイルス伯爵夫人になられるお方では?人脈を作ることは夫人の大切な勤めでございます」
「だからといって無理はさせるな。彼女になにかあったら責任をとれる人物はここにはいないぞ」
ユイルスの言葉に執事長は眉をひそめる。レシアとの婚姻は純血主義を掲げる貴族たちが取りまとめたのであって、ユイルスはただ担ぎ上げられたに過ぎない。ユイルスひとりが詫びれば済む問題ではないと彼は言っているが、執事長は主人を利用した純血主義の貴族たちにこそ、責任を取らせたかったのだ。
口を引き結び返事をしない彼にユイルスはため息をつきながらも、とにかく無理はさせるな、と言い、それで話は終わりとなった。
納得はしていなかったが主人の命令に逆らうことはできない。使用人たちはそれ以降、レシアを夜会に駆り出すようなことはしなかった。しかし、いつまでたっても社交界に戻ってこないレシアを心配したレイナートの母が見舞いにやってきた。
もちろん執事長はあからさまに嫌な顔をしてみせたが、陛下からの信頼も厚いヒュートマスター、レイナートの母であり、レシアの友人だと言い張るルキルス伯爵夫人を追い返すことはできなかった。
「あぁ、レシア。こんなにやつれて」
夫人の訪問にレシアはひどく驚き、つい、以前のようにお義母様と呼んでしまった。
はっとして慌てて言い直そうとするレシアに彼女は、
「この部屋にはわたしたち以外、誰もいないわ。今はそう呼んでちょうだい」
と微笑んだ。その笑みにかつてのルキルス邸での思い出がよみがえり、気弱になっていたことも手伝って、レシアの瞳からはポロポロと涙がこぼれた。
「お義母様。わたし、お屋敷に帰りたい」
嗚咽を漏らしながら言うレシアの背中を夫人はただただ撫でることしかできなかった。
夫人はレシアを見舞ったその足でヒュート本部にいるレイナートを訪ねた。レイナートは最近、ほとんど屋敷に寄り付かない。その理由を夫人はよくわかっていた。レシアがいないからだ。彼女との想い出がそこかしこに残っているあの屋敷は、今のレイナートにとっては鬼門なのだろう。
「レイナート」
「母上。本部においでになるとは、どうされたのですか?」
「おまえが屋敷に帰ってこないのだから、話があったらここに来るしかないでしょう」
伯爵夫人は苦々しく言い放ち、レイナートは身をすくめた。
「レシアを見舞ってきました」
夫人の言葉にレイナートは息を飲み、様子はどうでしたか、と聞く。
「ひどくやつれて弱っていたわ、あのままでは死んでしまうかもしれない」
「そんな、まさか」
「あちらの使用人とうまくいっていないようです。当然といえば当然かもしれません、レシアをきっかけにユイルス様は力のない魔法使いとして認識されてしまいましたから。使用人たちは元凶であるレシアを受け入れられないのでしょう」
「しかし彼女は稀有な魔法使いです、国宝と言ってもいい」
そう思わない者もいるのですよ、と夫人は己が息子を諭すように言った。
「さて、おまえはどうするのです?このまま指をくわえて見ているというのなら、母はお前をルキルス家から叩き出すかもしれない」
「母上」
レイナートは彼女の静かな怒りに苦笑した。しかし彼女の気持ちは充分すぎるほど理解できた、レイナートもレシアへの冷遇には怒りを感じている。
「すぐに彼女をルキルス邸に移しましょう、後のことはレシアを取り戻してから考えます」
言うが早いか、レイナートは外出のためにマントを羽織った。
「わたしは屋敷に戻ってレシアさんの部屋を整えておきましょう、必ず攫ってきなさい」
夫人の言葉にレイナートは苦笑した。
「人さらいを推奨する親など聞いたことがありません」
「違います、これは不遇な娘の救済です」
我が母ながらよく舌が回る、と彼は思ったが、それも納得がいく。
ヒュートマスターでありながら伯爵位を持つルキルス家の立場は、社交界では微妙だ。根っからの貴族はヒュートは野蛮人の集団だと受け入れてはいない、しかし、自らの領地は守ってもらいたい。
社交界に巣くう魑魅魍魎を相手にしていると母のようになるのかもしれない。
レイナートは思考を巡らせながらも、急ぎ、ユイルスの屋敷へ向かった。
うつらうつらとしていたレシアは屋敷内の大声で目を覚ました。どうやら誰かが言い争っているようだ。
なにかあったのだろうかと思ったが、それをレシアに知らせてくれる使用人はいない。レシアはまだユイルスと婚姻はしていないし、していたとしてもこの屋敷の者たちはレシアを女主人とは認めないだろう。
ため息をつき、再び目を閉じたレシアだったが、部屋のドアがノックもなく突然開かれ、驚いて飛び起きた。
そしてドアを開けた人物を見て、さらに驚いた。
「レイナート様!」
「レシア、帰るぞ」
「帰るって、どこへ?」
「決まっている、ルキルス邸だ」
レイナートはさっさとレシアを抱き上げ、自らの手中に収めた。
「レシア様は大切なお客様です、勝手をされては困ります!」
執事長が立ちふさがるがレイナートは動じない。
「大切と言うならば、なぜ看護人不在の部屋にひとりで放置されているのだ?」
「それは」
言いよどむ執事長にレイナートはマスターならではの凄みを見せた。
「よく覚えておけ。レシアは稀有な魔法使い、いわば至高の存在だ。如何なる事情があろうとも、軽んじて良い人物ではない」
お前たちへの沙汰は王弟殿下が下すだろう、と言い、レイナートはレシアを連れて屋敷の外へ出た。
「少し揺れるが我慢してくれ」
騒動の間にまたレシアの体温は上がり、苦しそうに息をしている。レイナートはレシアを腕に抱き、ルキルス邸へと馬を駆けさせた。
目を覚ましたレシアに懐かしい天井の柄が見えた。花を好むレシアのためにレイナートが使用人に指示をして、張り替えてくれたのだ。
しかしなぜそれがここにあるのだろう。ここはユイルスの屋敷で、あれはルキルス邸の話だ。
「気分はどうだ?」
声をかけられてそちらを見ると、レイナートがベッドサイドに座っていた。
とうとう幻が見えるようになったようだ、もうすぐ自分は召されるのだろう。ならばせめて、彼との想い出を持って旅立ちたい。
レシアがレイナートに手を伸ばすと、彼はレシアのほうへその身を傾ける。そんなレイナートにレシアは弱々しい力で懸命に縋りついた。
「最後に逢いに来てくださって嬉しいです。わたし、きっと幸せに逝けます」
不穏な言葉を口にするレシアをレイナートは抱きしめながら言った。
「逝くとはなんだ?俺は生きているし、レシアも生きているが?」
「え?」
レシアは少し身を離し、レイナートを見て首をかしげる。レイナートも同じように首をかしげた。
「ここはルキルス邸だ、俺がレシアを連れてきた」
「それはどういうことですか?」
レシアの問いにレイナートは再度、彼女を優しい力で抱きしめた。
「俺が読み違えたばかりに辛い思いをさせた」
すまない、許してほしい、と囁くレイナートにレシアはますます混乱した。混乱はしていたが、この温もりは幻ではなく、レシアはレイナートのもとに戻ってこられたのだとわかった。
「本当にレイナート様?」
「そうだ」
「わたし、ここにいてもいいんですか?」
「あぁ、もう離さない」
レイナートの言葉にレシアの目からは自然に涙があふれた。
「嬉しい」
レシアの小さな囁きにレイナートは口づけで応じた。久しぶりのそれは涙の味がした。
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