29.ユイルス家での生活
ヒュートは魔物討伐の部隊であり、魔物は夜、徘徊する。レシアの任務も自ずと夜間となり、日没の少し前に屋敷を出ることになる。
最初の何回かはユイルス家の馬車で送ってもらったがいつも遅刻させられる為、最近は浮遊魔法を使ってひとりで出かけていた。ユイルス家は王都の外れのほうにあるため、飛んでいてもそれほど目立たないのだ。
その日もレシアはヒュートからの要請で任務に出る支度をしていた。
陛下から賜った魔術師の隊服を身に着ける。普通の貴族令嬢なら着替えにはメイドがつくが、レシアは令嬢ではないし、そもそもひとりで着られない隊服など、聞いたことがない。
着替えを済ませホールへと向かうと、あらかじめ予定を伝えてあった為、執事長が見送りのために待っていたが、彼は苦い顔をしている。夜な夜なひとりで出かけるレシアをよく思っていないのだ。
「このような時刻に女性がひとりで出かけるなど、外聞がよろしくありません」
「ですが、魔物の活動時間は夜間ですから、夜が任務時間となるのは避けられません」
言い返したレシアに執事長は、これだからヒュートというのは、とため息とともに吐き出した。
騎士と違ってヒュートは身分に関係なく誰にでもなれる。そのため、貴族の中にはヒュートを軽んじる者がいるというのはルキルス邸にいた頃に聞いた話だ。
なるほど、ユイルス家の執事長がそのたぐいの人物だったのか、とレシアは思った。しかしここで論争しても仕方ない。差別というのは人の歴史と同じくらい長く、今日にも引き継がれている。執事長の考えを変えるなど、そう簡単にできることではない。
「先日も言いましたが、数日は帰ってこられないかもしれませんので、そのつもりでお願いします」
「かしこまりました、いってらっしゃいませ」
執事長は言葉少なく応じ、レシアのために扉を開けた。レシアは外に出て、耳につけていたイヤリングを外すと握りこんで杖へと変化させた。
「いってまいります」
レシアは執事長に言い、浮遊魔法を発動させた。空へと消えたレシアを執事長は溜息交じりに見送った。
ユイルスの先代は早くに亡くなっている。先代は執事長に、息子を頼む、と言い残して逝った。そのため、早くに親を亡くしたユイルスが社交界で笑いものにならないようにと彼は心を砕いてきた。
ユイルスの結婚相手も執事長が見つけてきた女性だ。家系図では従妹になるが、実際には他家から養子に迎えた娘でユイルス家との血縁関係はない。
度々この屋敷を訪れるその女性を執事長は将来の夫人として扱い、時には敬い、時には厳しく教育してきた。
先代が優れた魔法使いであったことは執事長の誇りであった、しかしそのせいで命を落としたとも思っている。先代は魔物に襲われたのだ。
幸か不幸か、ユイルスにはほどほどの魔力しかなく、それでも魔法使いと名乗りを上げてもおかしくないほどの実力はあったが、執事長はそれを選ばせなかった。
先代が魔物に殺されたことが執事長にそう判断させたのだ。
「ユイルス伯爵として社交界にお入りください」
単なる使用人としてではなく、父としてすら慕っていた執事長に伏して頼まれたら、ユイルスは拒否することはできなかった。
こうして、ユイルスは魔法界から遠ざかり、伯爵として生きていた。
そんな矢先にレシアという魔法使いが突如現れ、あろうことかその夫としてユイルスが選ばれてしまったのだ。
レシアという女性は見た目も所作も美しく、貴族令嬢としてはまずまずであった。ただ、その気位は平民と変わらず、良く言えば親しみやすく、悪く言えば舐められやすい、そんな娘だった。
執事長とて無駄にプライドの高い貴族を良しとは思っていない。それでも使用人を御し、他家と渡り合っていくためには少なくとも使用人を平伏させるだけの気品が必要で、長年教育をしてきた従妹のほうが執事長の望む伯爵夫人にふさわしいと言えた。
一度、ユイルス本人にレシアとの婚約を白紙にしてはどうか、と話をしたことがあった。
「できることならそうしたいよ。彼女は稀有な魔法使い、わたしが夫となるのはあまりに荷が重すぎる」
その言葉に執事長は苛立った。ユイルス伯爵夫人になるには、レシアが分不相応なのであって、決して役不足などではない。
ユイルスと話をした後ではレシアが魔法使いであることを鼻にかけているように見えてしまう。
彼女はときどき小さな魔法を使って高いところに置いてある本を取ったり、濡れた服を乾かしたりしていた。レシアにしてみれば、忙しそうにしている使用人に言いにくかったから魔法を使ったに過ぎなかったが、執事長はそれを、魔法は万能であると主張している、と捉えてしまった。
そのうち、ユイルスは屋敷に戻らなくなり、それは新しく与えられた職務が恐ろしく多忙な為であったが、それすらもレシアのせいに思えてくる。彼女は、魔法を使えないユイルスに見せびらかすようにそれを使っている。
ユイルス家の執事長として、レシアに無礼を働くような真似はしなかったし、他の使用人にも許さなかった。だとしても、この屋敷をレシアのホームにさせる気はなく、彼女はあくまでもユイルス伯爵家の客人どまりであった。
そんな余所余所しい空気にレシアは閉口しながらも、それを誰にも言い出せず、心の内に蓄積される澱みはやがて彼女の魔力にも影響しはじめた。
とうとう夜明けまで彼女の魔力が持たなかったのだ。任務に就いていたのが、レシアの魔法ありきの戦いに慣れていた若いヒュートで構成されていたことも悪いほうへ作用した。
結果、多くの重傷者を出してしまったことにレシアは責任を感じ、うなだれていた。
「申し訳ございません」
帰還したヒュート本部には王弟ラウルが来ており、レシアは部屋に入るなり謝罪した。
「いや、レシア嬢の魔法に頼り切っていたメンバーズにも問題がある」
教育をし直せねばならん、とラウルはスマイソン侯爵に言い、彼も同意した。
「魔法は麻薬のようなもの、一度食めば止められなくなる。しかしヒュートはそうであってはなりません、若いヒュートたちのよい教訓となったでしょう」
「傷は癒しました、身体的には問題がないでしょう。でも心はどうでしょうか、魔物に襲われたというその恐怖は彼らにどう影響するのか」
レシアの杞憂をラウルは一蹴した。
「そうなれば除隊だ、その程度の心根でヒュートが務まると思われても困る」
ラウルの言葉にレシアは息をのむ。
「ヒュートは魔物討伐のための部隊だ、魔物の中には怪しげな術で惑わせる輩もいる。そういう類を跳ねのけるだけの気概も必要で、軟弱な隊員は不要なのだ」
ヒュートというものの本質に初めて触れたような気がした、レシアが思うよりヒュートはずっと気高く、そして高貴だ。そして自分はその一員として迎えられた、ユイルス家での出来事など些末なもの、心揺らしている場合ではない。
レシアは決意も新たに屋敷へと戻った。
しかし待っていたのは使用人たちの冷たい視線だった。ヒュートの討伐失敗の噂は市井を駆け巡っており、ユイルス家にも届いていた。
使用人たちは出かけた先々でレシアの失態だと言われたのだ。もっともそのあとに彼女を案じる声があったのだが、使用人たちの耳にそれは入らず、そうなると彼らがレシアに対して冷淡になるのも無理はなかった。
「おかえりなさいませ」
執事長の出迎えはいつも以上に冷ややかで恐ろしく、レシアは、ただいまもどりました、と小声で返事をするのがやっとだった。
間の悪いことに翌日は次期ユイルス伯爵夫人としての茶会に出なければならなかった。
ユイルス家の属する派閥は選民意識の高い貴族が多く、ヒュートのことをよく思っていない家が多い。そんなときに討伐に失敗したレシアが参加するなど格好の餌食といってもよく、案の定、その茶会は散々であった。
「気にすることはありません、あなたが優れた魔法使いであることはよくわかっていますから」
早々に切り上げて乗り込んだ馬車の中でユイルスは慰めてはくれたが、浅はかな心構えしか持ち合わせていなかったレシアの責任であることは明白で、なにも言えなかった。
そしてその日からレシアは発熱し、寝込んでしまったのだった。
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