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28.ユイルス伯爵家

先代オグリアスの孫であるユイルス伯との婚約を前提に、レシアは彼の屋敷へ移ることになった。

「お世話になりました」

ルキルス邸の使用人たちが居並ぶ中、見送りのために領地から駆けつけてくれたルキルス伯爵夫人にレシアは頭を下げた。

夫人は優しい力でそっとレシアを抱きしめた。

「ここはあなたの実家です、いつでも帰ってきて良いのですからね」

そうできないことは夫人にもレシアにもわかっていた。それでもレシアは微笑んで、はい、と返事をした。

ユイルス家の馬車に乗り込むレシアの指に、レイナートの指輪はなく、彼自身の姿もその場になかった。


「ようこそおいでくださいました」

そう言ったユイルス家の執事は、その言葉とは裏腹に、まったく歓迎していない態度でレシアを出迎えた。

家政婦長もメイドも誰もが同じ態度で、レシアはついレイナートの屋敷を思い出してしまう。ルキルス邸では誰もがレシアに親しげに話かけてくれ、レシアは使用人の休憩室でのお茶会を密かな楽しみとしていたほどだ。

わたしもユイルス伯爵様と結婚したいわけじゃない。レシアはこみ上げる不満を押し殺して、ユイルスの屋敷に入った。


レシアに用意されていたのは、北向きの小さな客間だった。

貴族でないレシアにはわからなかったが、それは夫人の付き添いのメイドや侍女が使う部屋で、少なくともこれから伯爵夫人になるという女性が使うような(たぐい)の部屋ではなかった。

「こちらをお使いください」

案内役の使用人の言葉に、レシアは反論するでもなく、わかりました、と言い、黙って部屋を眺めていた。その様子に使用人は小さくため息をつき、失礼します、と言って出て行った。

家政婦長の指示でこのメイドはわざとこの部屋を案内し、レシアを試したのだ。貴族なら激昂してもいいくらいの扱い、しかしレシアは承諾した。

ユイルス伯爵には頻繁に行き来をしている従妹がおり、本人たちはもちろん使用人たちも、いずれ彼らが婚姻すると思っていた。そのつもりで従妹に仕えてきたのに、ユイルス伯の嫁にと与えられたのは貴族のいろはも知らない小娘だった。

本当に魔法が使える稀有な娘だとは聞いている。しかし魔法など庶民には遠く、実際にそれを見たことがある者はほとんどいない。旅に出て、魔物に遭遇すればその有難さも実感するのだろうが、たいていの庶民は旅に出るような用事も金もない。

「どうだった?」

使用人の詰め所に戻るとすぐに同僚のメイドから声を掛けられる。

「なーんにも。黙って承諾したわ」

やっぱりね、と居合わせた一同はため息をつく、中にはレシアを見下すような意地の悪い笑みを浮かべている者もいた。

それを聞いていた家政婦長は苦々しい顔をしながら、

「旦那様のお客様ですから、失礼のないようにしましょう」

と言った。レシアは『お客様』であって『仕えるべき主人ではない』と認識された瞬間であった。


レシアがユイルスの屋敷に移ってしばらく経ったころ、彼女にヒュートからの出動要請が入った。

あれからレシアの部屋は別の客間に改められていた。女主人が使うには少しランクが落ちるが、貴族のゲストが使うには充分な部屋である。

元々城勤めをしていたユイルスだったが、レシアの婚約者候補になってから仕事が変わった。それは名誉ある役職ではあったが非常に多忙でもあり、ユイルスはほとんど屋敷に帰ってこられなくなった。だからレシアに部屋を用意した執事の報告にも、わかった、と返事をしただけで、どの部屋にしたかなど、いちいち気にも留めなかった。

そして使用人たちは屋敷にレシアがいるから主人が寄り付かなくなったのだと勝手に思い込み、不満を募らせていった。

間の悪いことに、レシアに出動要請がかかったこの日、ユイルスは珍しく早く帰ってきた。たまたま仕事が片付いたからだったが、この偶然の行為が使用人たちの予測を裏付けしてしまうということにユイルスは気づいていない。

レシアが討伐用の服に着替えてホールに行くとユイルスが待っていた。

「あなただけ行かせるのは心苦しいけど、僕が行っても役には立たないでしょうから」

その言葉に彼にも葛藤があるのだとレシアは気づいた。

ユイルスはこれからずっと魔法の使えない魔法使いとして生きていかなければならない。レシアが現れなければオグリアスの血を引く者として注目されることもなかったのかもしれない。

誰も幸せにならない自分たちの婚姻にいったいなんの意味があるのか、レシアはユイルス家の馬車の中でひとりため息をついた。


集合場所に着くとすぐ、顔見知りのメンバーズのひとりがやってきた。

「レシア様、お久しぶりです」

「ご無沙汰しております、今日はよろしくお願いします」

「到着早々で申し訳ありませんが、間もなく会議の時間となります」

「わかりました、すぐに向かいます」

充分に間に合う時間に出発したのにギリギリになってしまった。レシアは御者がわざと遅らせたのだと勘づいたが、彼は自分を降ろすとすぐに馬車を出してしまった。追いかけてまで苦情を言う時間はないと判断し、急いで会議へと向かった。


レシアは居並ぶメンバーの中にレイナートを見つけた。彼は側近となにやら話し合っていてレシアには目も向けてくれない。しかし今のふたりにはこれが正しい距離だ。レシアはレイナートに捨てられた元恋人であり、ユイルスとの婚約が内定している身でもある。

「会議を始める」

侯爵の声掛けにレシアは気持ちを切り替えた。


レシアはすぐに気づいた、自らの魔力が以前より弱くなっていることに。そして、心当たりは充分すぎるほどある。

魔法使いは結局、血脈という曖昧な要素が作用すると考えられているだけあって、同じく術者のコンディションという極めて曖昧な要素が大きく影響する。ユイルス伯爵家での暮らしはレシアにとって快適とは言い難い。そんな環境に置かれてモチベーションを保つことなど不可能だ。

それでもレシアは自らの杖に刻まれた王国の紋章に励まされて、魔法を発動させた。自分はこの国の宮廷魔術師となり、力をふるう機会を与えられたのだ。

人々に普通の暮らしを。父、母の望みをかなえるべく、レシアは自らを奮い立たせなんとか、朝まで持ちこたえた。

日の出と同時にその場に崩れ落ちたレシアにメンバーズのひとりが駆け寄った。

「レシア様!」

「すみません、少し力を使いすぎたようです」

レシアは安心させるように微笑んでみせるが、内心では、遠目に見えるレイナートがこちらを見ているのに、なにも言わなかったことに動揺していた。

以前、シェリスにからかわれたことを思い出す。

『愛を確かめ合ったから、離れていても大丈夫』

嘘ばかりだ、離れていいことなんてひとつもなかった。彼のそばにいられない、ただそれだけのことで自分はこんなにも頼りない存在になってしまった。これでは宮廷魔術師など名乗る資格もない。


メンバーズがレシアの肩に手をまわし、用意した天幕へと案内する様子を、レイナートは遠くから眺めていることしかできなかった。

以前のレシアには魔法をふるい、そのうえ彼女に襲い掛かる魔物を捌くだけの力があった。この衰弱ぶりはどうだろう。思えばレシアを最初に見出したのはレイナートだった、それが偶然ではなく必然の出逢いだったとしたら、彼女を手離したことは間違いだったのかもしれない。

最近、彼の父であるルキルス伯爵は王宮に詰めており、なにやら画策しているようだ。レイナートは来るべき時に備え、任務を滞らせることのないよう粛々と遂行することを決意した。

お読みいただきありがとうございます

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